【掌編小説】とある春の日、たんぽぽに出逢って。
羽を広げたくなるような空。
駆け出したくなるような草原。
そんな春の日に、黄色いお花が咲いていた。
私は、羽を休めていた紋白蝶がひらひらと飛んでいく様を見つめながら、緑が息吹く小さな丘をゆっくりと歩く。ほんの少しだけ空に近づいた私が身を屈めると長い黒髪が、はらり、と落ちて視界を遮った。
髪を掬い取って耳に掛けると、まあるいお花が瞳に映し出される。
「たんぽぽだ」
ぽつり、と咲いているたんぽぽは、細長い花びらが身を寄せ合うように集まって無垢な顔をして空を仰いでいる。
どこからやってきたのだろう。
周りを見渡しても、他のたんぽぽの姿は見当たらない。
「遠いところからやってきたんだね」
私がそう呟くと、風に撫でられたたんぽぽが柔く揺れた。
***
日ごとに、たんぽぽは元気な色を宿して花を咲かせていく。一度しぼんだたんぽぽは、しばらくすると、ぐん、と茎をのばして綿毛になっていった。
草でもない、花でもない、ふんわりとした綿毛の姿はひと際、目を惹いた。
私はお花よりも背を高くした綿毛の横に座り、胸をくすぐる好奇心からそれに触れてみると、想像以上にもふもふしていて自然と頬が緩んでいた。
「たねを遠くまで飛ばしたいんだね」
ひとつの綿毛が、ぴょこんとふわふわの境界線から飛び出していた。
風にゆらされる、ひとつの綿毛。
まるで手を振ってるみたい。
「もうすぐ、いくんだね」
どんな旅になるんだろう。
蝶々や蜜蜂と一緒に飛ぶかもしれないね。
もしかしたら、春の風から山や海の風を伝ってずっと遠くにいくかもしれない。
風にのって、出会いと別れを繰り返して、
辿り着く場所はどんなところだろう。
たくさんの草花が広がっている色とりどりの公園かな。
水辺の鳥が棲む静かな湖かもしれないね。
人通りの多い賑やかな道かもしれない。
太陽の光をいっぱい浴びて、芽を出して、根を張って。
どんなところでも、たんぽぽの花を咲かせるんだね。
ふ、と背中を押すように風が吹くとひとつの綿毛が飛んでいった。
手を引かれるように、隣り合っていた綿毛たちも旅立っていく。
私は最後の綿毛が飛び立つまで見届けた。
風が吹く。
風に靡く黒髪をそのままに、深呼吸をして立ち上がった。
空を見上げれば、青色と紫色の雫が溶け合ったようなきらめく色が広がっている。
瞬きも忘れるくらいの、うつくしさ。
私は駆け出していた。
そして大地を蹴って、めいっぱい羽を広げた。
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