夜の散歩は電車を目指す

春に転職して今までの生活が一変した。清く正しく美しく、朝起きて日付が変わる前に寝る生活を好んでいたのに、今では日付が変わるくらいに帰宅する。
このご時世で、しかもIT会社というアドバンテージがありつつも在宅ではなく出社である。田舎の母も聞いて呆れる具合である。
これを夜型の生活と言うには大袈裟だけれど、帰りの駅のホームの酔っぱらいの多さはまさに夜だし、訳のわからない小言を言うサラリーマンや肩を組んで大名行列する大学生一行を見ていると、「やっぱり夜だ」と思う。
夜の住人を前に真っ当であろうとしてはいけない。と「肩ぶつかったよな?」といちゃもんをつけるサラリーを見て肝に銘じてる。

この生活によって特に変化したことは妻との眠る前の散歩がなくなったことだろう、と電車に乗ると考える。

夜に散歩をするようになったのは転職活動をしていたとき。私を半ば強制的に気分転換させる為に妻に引き連れられたのがきっかけだった。
散歩にはお決まりのコースがいくつかあるけれど、どちらも電車がゴールにある。いくつかある妻のチャームポイントの1つはこの電車への愛着と言って間違いない。

まず、妻は電車好きではない。乗ることを嫌うし目的地まで一駅なら歩くくらいだ。
それなのに、だ。散歩における電車は妻にとっての小さな幸せなのだ。歩いていて電車を見ることができたら幸福になる、象徴のようなもの。らしい。

なので散歩中に電車を見つけると、夫婦揃って律儀に電車に正面を向けて暗闇の中に動く光を眺める。
不思議なのは、妻は電車が通り過ぎるまでの間はいかにも意味ありげな顔をする、神妙さより子供のような無邪気さが近いと気がついた。ただどう見ても喜びの顔というより困惑の顔だなぁとおもう。光の大移動とでも思ってるかもしれない。はたまた、龍の移動とかか。

見送り終えると、なぜか満々の笑みになり。電車が通ったことを申告してくる、隣にいたのにも関わらず。いつも感想を言ってくれるが、トンネルに入っていく電車はセンターオブジアースのように見えてるらしい。
いちいち幸せのおすそわけしてくるあたり妻は本当に優しい。

妻にとって、夜の電車が背負っているものは大きい。これがなくなると多分ピノから星型がなくなるような感じになるだろう。頑張れ電車、というより運転手、いつもありがとうつくばエクスプレス。

そしていま、夜の電車で帰る。
あの時見ていた電車を構成する一人だ。
妻の言葉を借りればセンターオブジアースを探索する乗組員にあたるのかもしれない。言われてみれば、たしかにみんなぐったりしている。

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おむら
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