おむら

にっきてきなことです

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クリープハイプ「君の部屋」の俺は今どこにいるのか

「きっと死んだら地獄だろうな。でも天国なんかないしな」 と始まるこの歌は、ふとした瞬間に浮かび上がる、“君”の部屋のカーテンの柄から幕を開ける。 彼にとって、あのカーテンは、情けなくくだらない毎日を象徴している。 何もできず、ただ帰りを待っていた自分。そして「俺」にとって、そのカーテンの柄は、“君”と過ごした生活そのものであり、あの頃の「虫ケラだった自分」の証でもある。 君とあなた 歌詞の中で目を引くのは、「君」と「あなた」という言葉の使い分けだ。 同じ人物に向けた呼び

    • 天むす

      スマホがなかった頃、たぶん20年前くらい。 あの頃は小学生で、好きなものがたくさんあった。 特に、夏になると名古屋にある祖父母の家に行くことが楽しみだった。 友達に話しても、みんな「そんな遠くまで行かないよ」と言うから、なんだか自分だけ特別な冒険に出る気分でちょっと誇らしかった。 東京から愛知まで、家族みんなで車に乗って行く。 遠い道のりだったけれど、出発前にお菓子を買ってもらったり、好きなDVDを車で見れたりするから、むしろワクワクした。 朝3時ごろ、家を出る。まだ誰も

      • 過剰にM1グランプリ2024を予想する

        こんにちは、ただのお笑い好きです。普段はデザイナーをしてます。お笑い系の案件あったらください。フライヤーやWebなんでもやります、多少腕はいいと思いたいです。といったかんじで生きてます。 早速ですが、2023年のM1グランプリは圧倒的に令和ロマンの年だったと思います。颯爽と現れたルーキーが優勝を掻っ攫う姿に感動しました。 彼ら(令和ロマン・高比良くるまさん)は 2022のM1グランプリの考察時点で、2023年の傾向を完璧なまでに言い当ていましたね。すごい。ちゃんとキャパオー

        • 1日11時間を5日働く

          こんな感じのエッセイを読んだ。驚いた、自分は今までそんなことを考えたことがなかった、電車に乗る前に目的駅には何分につくかを調べる。着いたらコンビニにお昼ご飯を買いに寄る時間はあるか考える。こんな余地の無い思考に「降りない」選択肢を与えたことがほとんどなかった、 無意識に「降りなければどうなるだろう」を考えさせられるが、自分の可能性の狭さにちょっと胸がギュッとなる。 そんな生活は1日11時間の労働につながっている。文字通り「生活」であり生き残るための作業とも言える。お世辞にも

        クリープハイプ「君の部屋」の俺は今どこにいるのか

          台湾旅行

          妻と台湾に行った。結婚3年目で初めての夫婦での海外旅行になる。 「台湾はご飯が美味しい、日本語が至る所にあるので困ることもない」 出発前に色んな人にそう言われた。それだと日本とさほど変わらないのではないか、出費と距離は大きい方が得れる感動が大きいのではないか。苦労が経験をより思い出深くするのではないのか。みんなが台湾を褒めるのは居心地に対するコスパの良さなのではないか。 それに暑く虫が多いと聞くがゴキブリどうだろうか、潔癖症気味の妻でもご飯を食べられるのか。それでも同僚に

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          夜の散歩は電車を目指す

          春に転職して今までの生活が一変した。清く正しく美しく、朝起きて日付が変わる前に寝る生活を好んでいたのに、今では日付が変わるくらいに帰宅する。 このご時世で、しかもIT会社というアドバンテージがありつつも在宅ではなく出社である。田舎の母も聞いて呆れる具合である。 これを夜型の生活と言うには大袈裟だけれど、帰りの駅のホームの酔っぱらいの多さはまさに夜だし、訳のわからない小言を言うサラリーマンや肩を組んで大名行列する大学生一行を見ていると、「やっぱり夜だ」と思う。 夜の住人を前に真

          夜の散歩は電車を目指す

          東京にだって1人でいける

          好きな曲の歌詞の一節に「東京にだって一人で行ける」というものがあって、思い出したことがある。 それは中学生の時にクラスの女の子が「東京にだって一人で行ける」と言っていて、純粋に凄いなと感心していたこと。 「だって」という言葉に東京以上の場所を彷彿とさせる何かがあったし、当時は、隣の県に行ったことが最長のお出かけだった。それも友達二人と出かけただけのこと。一人で行くといえば家から5駅ほどまでで、それでも「こんな所に一人で来ている」と思っていた。 今では仕事の為に、週に5日は

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          ファーストビッグイベントは味噌

          私はすぎた時間や過去や未来や思い出とか、そういったものに対して人一倍ノスタルジーに思う癖があって 思い返せば、小学3〜4年生の時に家庭科の授業で行った「大豆から味噌を作る」という調理実習を達成した時 「あぁこれは、この感覚はもう2度とは味わうことは無いだろう。例え今から一人で味噌を大豆から作ったとしてもこの感覚は絶対に味わうことは無いだろう。なんていうことだ。これは大変なことだ」と幼心に思った記憶がある 何にそこまで怯えたのか、理由は分からないのだけどあれから14年経った

          ファーストビッグイベントは味噌