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漢の約束、ブルーアーカイブ④カルバノグの兎編(1)


責任を負うものについての話をしましょう


 前回の記事にて、「次回はエデン条約編です」と大言を放っておきながら申し訳ないが、カルバノグの兎編を先に語ることにした。利用は単純でエデン条約編については語りたいことが多すぎて確実に長期戦になるので、片づけられるものは先に片づけたかったのだ。というわけでカルバノグの兎編について語ろう。もちろんまだ1章しか読んでないし、2章は聞いたところによると最終編の後なのでだいぶ期間が空いてしまう。だから今回は備忘録ということで、よろしく。

 ブルーアーカイブを始めてからそれなりに時間が経って、冒頭に提示された「責任を負うもの」の輪郭がやや鮮明になってきた。つまるところブルーアーカイブは責任なんてものは生徒が負うべきではないと言いたいのだろう。しかし残念ながらキヴォトスでは生徒が責任を負わざるを得ない場面が多々発生している。そもそも最初の対策委員会編ですらアビドス廃校の責任を対策委員会が負っていたわけで。そしてそれは恐らく、先生が抱える唯一のジレンマであるのだろう。先生は生徒の抱える責任を、出来るだけ引き受けてあげたいと思っている。それは責任とは大人が負うものという決意の表れではあるが、しかし逆説的に責任を負うことは大人だけの特権ではないことの証明でもある。そして、カルバノグの兎編1章は鮮明にそのジレンマを描き出している。

ラビット小隊の話

 物語の冒頭、SRT特殊学園はすでに廃校が確定しており、ラビット小隊は公園でのデモ活動を行っている。この時点ですんでのところで踏みとどまっていたアビドス高等学校とは状況が違っており、学籍がかろうじて残っているという免罪符がなければ先生が介入することも叶わなかった。ちなみに、学籍が残されたのは不知火カヤの功績が大きいのだが、皆さんご存じの通り今回の件は大体が不知火カヤのせいである。いっぺん痛い目にあったほうがいいよ、ホント。

この見た目で裏切らないほうが無理でしょ

 しかし、先生が介入したとて状況は一切好転しない。釈放されたラビット小隊が戻る先はSRT特殊学園ではなくあの公園だし、SRT特殊学園の復活はいよいよ叶わない。1章の最後で先生とラビット小隊は公安局と企業の癒着を暴いたが、しかしそれが何だというのか。公安局と企業の癒着を暴こうとSRT特殊学園は復活しないし、必死で守り抜いたあの公園はSRT特殊学園の校舎でもなんでもない。1章を読む過程で私の感情は様々に大きく揺れ動いたが、それとは裏腹に、気づけばジェットコースターのように最初の場所へと戻ってきてしまっている。こんな状態で2章はずっと先っていうんだから、意地悪だよね、ブルーアーカイブ。
 つまるところ、これまで圧倒的に生徒を救ってきた先生がラビット小隊を救えないまま1章は終わってしまった。なぜか?それはひとえにラビット小隊が本当に、何も持っていなかったからなのだろう。


持たざる者の話

 作中に、デカルトとかいう人より人らしく欲深な求道者が登場する。デカルトは所確幸という「所有せずとも確かな幸せを探す集い」のリーダーだ。ストーリーをプレイされた方なら、所確幸の”無所有”という考えがいかに虚構かはご存じかと思う。結局デカルトはラビット小隊にも公安局にもボコボコにされるわけだが、デカルトはその身をもって無所有なんてものは、”多くを持つ者”に搾取されるだけなのだと証明してくれている。デカルトはラビット小隊に無所有の素晴らしさを教えようとしたようだが、そんなことが上手くいくはずがない。彼女たちは元から無所有で、そして無所有に絶望しているのだから。
 ラビット小隊は、弾薬を失い、食料を失い、風呂を失い、学校を失った、無所有である。もちろんここで無所有とは搾取される側という意味である。で、ラビット小隊が搾取される側だったとするなら、先生が黙っていないはずである。しかし、先に述べたように先生はラビット小隊を救えていない。確かに先生はラビット小隊に食料や風呂やその他色々な物を与えている。物語後半のラビット小隊は確かに無所有ではないかもしれない。しかし、ラビット小隊はもっと大事なものを最初から最後までずっと持っていないのだ。それは何か。

責任、である。

 もちろんこれは私の考えでしかないけれど、彼女たちは決定的に責任が足りていないのだ。今回の物語の発端はSRT特殊学園の廃校である。もっと遡れば連邦生徒会長の失踪までいくのだろうが、これは恐らくキヴォトスで生じているあまねく問題の端緒であるので度外視しよう。SRT特殊学園の廃校について詳細な情報はまだ開示されていないが、はたしてこれはラビット小隊が原因なのだろうか。アドビス廃校、ゲーム開発部廃部、補修授業部退学、これらは多かれ少なかれ、当事者たる彼女たちが責任の一旦を担っているのは間違いないだろう。しかし、ラビット小隊は?例えば学校を担保に企業と取引でもしただろうか?学校の制度に盾突き、生徒会を敵に回しただろうか?学校の敵対者として、その滅亡を望んだだろうか?もちろん違う。彼女たちはSRT特殊学園廃校について本当に何の責もなく、真の意味で巻き込まれた被害者なのだ。今までの生徒は皆、発生した問題に少なからず責任を感じており、そのため問題による実害を、呵責として受け入れてきた。しかし、ラビット小隊にはそもそも呵責を負う謂れすらない。そして先生はその抱えるべきでない責任を肩代わりすることで生徒を救う存在である以上、最初から何も抱えていないラビット小隊を、先生が救えるわけがないのだ。
 
生徒は責任を負うべきでない、だからもし責任を負っている生徒がいたらそれを救い上げる。でも責任を負っていないのに苦しんでいる生徒がいたとき、先生に何ができるのか。決して逃れられないジレンマ、である。
 とはいえ、よくよく考えれば、”シャーレの先生”が本気を出せばそもそも責任の所在に関わらず、問題が発生する前になんとかできたのではないだろうか。しかし今回の件に限らず、先生は想像より遥かに事後的に問題に対処している。おそらく先生は自身の持つ力にいやに自覚的だ。だからその力でもっと簡単に問題をなかったことにできる事を知っているし、その罪深さを知っている。問題を消すことなんて簡単だ、行動の出先を潰せばいい。公園でボール遊びが禁止になるように、背の高い遊具が撤去されるように、行動そのものを消していけばいいのだ。だからこそ先生は問題が起こるまでけして動かない。問題を消滅させるということはすなわち生徒の自由を奪うことと同義なのだから。
 しかし、そうはいっても問題が発生した時点で取り返しがつかなくなるケースだって現実にはある。それでも先生が現実離れした理想を抱き続けられるのはひとえに生徒たちが死なないからだろう。もちろん、死に匹敵する概念、ヘイローの破壊、はある。しかしそれは私達が抱えるシンプルな死と比べると明らかに漫然だ。その漫然さが生み出す僅かな時間だけが、先生を先生足らしめている。だからこそ、問題を未然に解決しないことは先生の罪なのだろう。そしてその罪か、あるいは業こそが、先生がキヴォトスで最も弱い身体で、最も儚い命を持って、死なない少女たちの命の矢面に立つことを強いているのだ。もし、仮に先生の選択によってヘイローが破壊されていたとしたら、先生の理想が叶わないと知ってしまったら、先生は自身の持つ正義だけをもってその力を振るっていただろうか。だとしたら黒服は大した慧眼である。それこそまさにゲマトリアの持つ理不尽さと全く同じであるのだから。


尾刃カンナの話

 さて、ラビット小隊には責任はないかもしれないが、カルバノグの兎編1章では責任を負ってしまった生徒がいる。尾刃カンナだ。公安局局長という立場ではありながら、彼女はその実、中間管理職としてその職務を全うしている(まぁ現実でも世の中の局長はだいたい中間管理職だが)。カルバノグの兎編の冒頭、先生はリンに連邦生徒会に呼び出される。その内容は”報告書の書き方について指導される”というものだったが、その際にたまたま発生した公園占拠事件に駆り出されることで物語は進行していく。このときの先生は珍しく”問題の渦中にいる生徒からの依頼”、ではなく”実質的な上司からの命令”によって動き始める。要するに先生は珍しく”中間管理職”として物事にあたるわけだ。ちなみにこれは七神リンと不知火カヤの代理戦争という側面もあるのだが、少なくとも先生と尾刃カンナは自分の意志ではなく上司の命によってあの公園に急行することになった。実は先生と尾刃カンナは似た者同士であり、冒頭からその対比というのは仕込まれていたわけだ。しかし、最終的に先生と尾刃カンナは敵対することになる。
 カルバノグの兎編1章では最終的に公安局と企業の癒着が解決すべき問題であった。もちろんそれはラビット小隊の救いにはならないのだが、それをテーマに据えたことにはきっと意味がある。シンプルに考えれば、公園という子ども性の象徴と、商業施設という大人性の象徴の対峙が今回の問題の本質だろう。もちろん形としてはラビット小隊と公安局が対峙している、すなわち子ども同士の戦いなわけだが、その裏には大人である先生とカイザーグループがいるわけだ。この時、本来であればラビット小隊という子どもと、カイザーグループという大人が直接戦うのが筋なのだが(アビドス編がそうであったように)、実際にはカイザーグループは公安局を自らの手先として動員している。これは先生の逆鱗である”大人の都合に巻き込まれる子ども”という構図であり、当たり前だが先生はラビット小隊(子どもの象徴)の味方をするわけだ。こうして紐解くと公安局、特に尾刃カンナは、子どもの味方をする大人=先生とは対称的に大人の味方をする子どもという役割をもっており、”先生と相反する存在である”という大偉業を成し遂げているのである。すごいね、実質ゲマトリアだね。

尾刃カンナ 公安局ゲマトリア

 不知火カヤの、あるいはカイザーグループの命令によって動いていた尾刃カンナは恐らくこの時、キヴォトスで最も不自由な存在であっただろう。尾刃カンナはラビット小隊をガキと呼び、こんな中途半端な立ち位置じゃ何も出来ないと吠えた。そう、先ほども言ったが、尾刃カンナはあくまでも中間管理職なのだ。下の者に命令し、その責任を吸い上げ、上の者からは命令され、その責任は吸い上げられない。なんとも損な役回りである。しかし、それをどうにもできないから中間管理職なのであり、最も不自由なのである。彼女は自分が公安局局長であることをしっかりと自覚していたし、局長たらんとしていた。狂犬ではなく、局長として。そういえば、小鳥遊ホシノ自らのことを”おじさん”とよく呼んでいたが、これもまた、責任を負うものとしての自覚だったのだろうか。大丈夫、先生から見ればみんな子どもだよ。な、不知火カヤ?ところで、作中で不知火カヤは”原則なんて知ったことではありませんね!”と言っているのだが、その言葉通り、責任は上司が取るという原則も無視している。大した有言実行だよ。
 そういえば今回先生は”公安局で対処できない問題を解決するため”に派遣されたんだっけ。だとしたら物語の筋として尾刃カンナを救って1章が終わるというのは、理には適っている。もちろん尾刃カンナの責任を肩代わりすることには何の支障もないだろう。少なくとも癒着が暴かれたことによって、彼女の不自由性が幾ばくか軽減されるであろうことは想像に難くないのだから(もちろんそれによって失うものもあるだろうが)。


これからの話

 さて、ラビット小隊はさておき、本来のスタートであった”公安局を救う”が果たされたところで1章はひとまずの終わりを見せた。もちろんこれから先生はSRT特殊学園を何とかしなければいけない。そのカギになるのは不知火カヤと、フォックス小隊になるのだろう。フォックス小隊の詳細は杳として知れないが、どうみても”責任”は持っていそうである。責任さえあれば先生は大手を振ってその権力を振るえるだろうので、解決も近いかもしれない。まあ不知火カヤもフォックス小隊もそのカラクリにも気づいていそうなのだが。
 で、もちろん2章になって先生が今までのようにその責任を発揮して解決してくれるのもいいのだが、これは”カルバノグの兎”編であるからして、全てを一瞬で解決するウルトラCこと「聖なる手榴弾」が登場するのか、あるいは兎の見た目に騙された愚かな為政者が無残にも自滅するのか。どちらにせよ、SRT特殊学園は、ラビット小隊は、先生によって救われないほうが、正しいように思えてしまうのだ。


次回、漢の約束、ブルーアーカイブ⑤エデン条約編(1)に続く

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