20240317『食べることと出すこと』
頭木弘樹さんの本は、いつも興味深く新しい視点を与えてくれる。文学の引用があったり心理学の話があったり、知見を広げるにとても良い。
『食べることと出すこと』を読んだ。
潰瘍性大腸炎になった筆者の、だいぶ具体的な話が書かれている。
心情、何を食べてはいけないか、点滴で栄養は足りてるけど口や喉が食べ物を欲している、漏らしたときの話、プレドニンという薬は免疫を抑制するから、他の病気にかかりやすくなり潔癖にならざるを得ないなど。
気は病から。体と心。心が荒んでいるときは体のどこかが不調。わかる。私は怒りっぽくなったりすぐ泣きそうになったりするとき、しっかり食べてあったかくしてしっかり寝ることで回復する。
食コミュニケーションがよしとされているが(一緒に食べること飲むことが人と人を繋ぐのは実際の話でもある)、病気により食べられない人もいる。そういう人に対する寛容さを持っていたいと思った。他人に対して抱く違和感を、その人を遠ざける材料にするのではなく、何か理由があるのだろうとわかろうとすること。
あらゆる不幸を察知する能力は、現実をしっかり捉えられる一方で生きづらくなる。そこのバランスが、難しい。
努力は万能ではない。
諦めずに頑張れば夢は叶うという人がいるが、自分が頑張ったからってだけではなく、周りの環境や人など運による部分が大きいと思った。しかしその運というやつを味方にするにはどうすればいいのか。自分から動き出すこと、試行錯誤することでしか、運の良さも悪さもついてこないのであった。
自分をコントロールできていることが人生の充実感につながる。病気になるとコントロール不能になる。
見えてない人がいる。
「貧しい国の子どもは元気と活力があると言う人がいるが、元気じゃない子は死んでいるのでは?」
ハッとした。見えているものがすべてではない。でもそれを考えると気が遠くなる。身の回りのことからしっかり見ていこう。
「言語隠蔽」についての話。
『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』で語られたそれよりも一歩前進してる気がした。
言語化することによって無視される気持ちがある。しかしそんなん言っても言葉にしないと伝わらないし、気持ちを大切にするがあまり、喋ることも書くことも怖くなるのはおかしな話だ。
「言葉にすると本当の気持ちが消えてしまうなどというのは贅沢な話で、言葉にして伝えるしかないということのほうが、より切実だ」
経験しないとわからない。
想像が及ばないことがあるだろう、という理解。
わからないことをわからないままにするなという誰かの言葉、仕事の経験の話においてはそういう場合が多いけど、生きること、病気、死ぬことなど生きている限り逃げようがないことにおいてはわからないものの方が多いのだから、無理にわかろうとしたら世界が歪む。生きづらくなる。
だから世の中のことや他人のことをわかろうとしなくていいんだ!ということではなく、何もかもはっきりさせる必要はない、すべてを経験できないからこそあやふやにしておくべきところもあるのではないかという考え。
潰瘍性大腸炎という病気の一例を知った。
私が毎日食べることと出すことを問題なく行えているのは、ものすごく、ありがたいことなのだ。
健康であることにこだわりを持って、生活していきたい。
「出すこと」といえば、坂口恭平さんが、書くことは排泄だと言っていて、その解釈が好きだ。
「食べることと出すこと」というイメージは、食べ物と消化管の関係だけでなく、経験することと書くことの関係と考えることもできる。インプットとアウトプット。例えば本を読んで、感想を書く。本を読むことは食べること。言語化しそれを書き留めることは出すこと。排泄。排泄できていないと、必ずどこかが不調になっている。
頭木さんのことは、カフカを通じて知った。どんよりとした出会いではあるが、それは生きることに広さと深みをくれた。