"応援席"で現役を終えた大学生がコーチになった話
2022年12月まで中学生年代のクラブチームでサッカーコーチをしていた。
今自分は都内の大学3年生で、悲しいことに学生ラスト一年を迎えようとしている。
今日は、当時19歳の若造がいきなり約25人の選手を預かり、試行錯誤しながら最後まで指導者として過ごしてきた時間から、自分が何を得たのか、そして人前に立つ人間としてどんな課題を感じたのかを忘れないうちに書きたい。
初めはアシスタントコーチだと思っていた。
2020年8月頃に、サッカーにもう一回関わりたいなと思いついて、その日に近くのクラブチームをスマホで調べた。
たまたまホームページのデザインがかっこよかったクラブが一つあって、迷わずお問合せフォームから連絡した。
翌日、
「○日にトレーニングがあるので来て下さい。」
とすぐに返信が入り、そこから仮採用と言うような形で1週間の活動を経て、正式に入団させてもらった。
指導者初心者、ましてや高校サッカーで試合にも出ていなかったので、当然アシスタントコーチだと思っていた。
しかし、正式に入団が決まった日に代表から言われたのは
「今の1年生を3年生まで観てもらいたいと思ってるからよろしくね。」
予期せぬ事態に唖然とした、自分でいいのかと。
しかし、そんな不安を圧倒的に上回るワクワク感から二つ返事で
「わかりました。よろしくお願いします!」
と快諾した。子供たちとの3年間が始まった。
与えられるコトは限られていたからこそ、同じ目線で一緒に創り上げていくことを選んだ。
担当を持たせてもらってから1ヶ月間、どんなサッカーを創ろうか、子供たちの中学3年間という時間を使ってどんな人間になってもらいたいか?
子供達と大して歳の変わらない、19歳のちょっと大きめのガキンチョが真剣に考えた。
最終的に二つになった。
ありきたりかもしれないが、指導者経験0の自分ができること・やりたいこと・選手の為になることの三つの要素が重なる要素を考え尽くした結果がこうなった。
自分の人生・日常の中に熱狂できる対象や好きなものがある。ということの素晴らしさを子供達に知ってほしい。
学校教育で答えが決まっている問題に触れることがほとんどであったり、周りに合わせないと仲間はずれになりやすい子供達の社会で、自分の頭で物事を考え、主張し、納得した選択をしていく力をつけて欲しい。
この二つの想いから出てきた。
それを実現するためには、指導者の一方的な指導ではダメだと思っていたし、そもそも一方的に与えられるものも当時は持っていなかったので(笑)、選手たちと行った最初のミーティングでは
「コーチは指導経験がないから与えられるものは限られてる、だから何か一方的に教えるんじゃなくて、コーチもサッカーをみんなと一緒に学んでいく。みんなとコーチで一緒にサッカーを創っていこう。だからみんなに沢山質問するし、考えてもらう。自分の考えていることを伝えられる選手になって下さい。」
と伝えたのを覚えている。多分今頃この内容を覚えている選手は5人ほどしかいない(笑)
一番の被害者がつくってしまった”見えない序列”
3年間全てを話してしまうと、卒論3個分くらいになってしまうのでこの章で人前に立つ人間として感じた課題感を書き、次の章で得られたものを書きたいと思う。
”見えない序列”
僕はこれを作り出してしまった。
見えない序列とは何かというと、自分の能力の無さから、そのコミュニティでの発言力を失い居辛さを感じてしまうことだと勝手に定義している。
例えば、サッカーチームで周囲のレベルと比較して自分の技術が劣っていて、能力のある選手達から「下手くそが何偉そうにしてんの」と言わんばかりの発言や態度を取られて徐々に練習以外の時間でもみんなとの会話の中で発言力を失っていくといったことだ。
急にわかりやすい説明になったのは、自分がその被害者側だった経験があるからだ。(笑)
周りはなんとも思ってないのに、能力差を感じて勝手に当事者がしんどくなるパターンもあれば、能力のある人間達が執拗に能力の劣る人間に悪意を向けて序列を作るパターンもある。
前者は、防ぎようがない。
だが、後者は防げる。
さっきも言ったが、指導者として選手たちがサッカーを今より好きになってもらうためには、この見えない序列をつくらないことは必須条件だった。
当事者でありながら、なぜ見えない序列をつくってしまったのか?
実際に選手たちの中でどんなことが起きていたかというと、
能力のある選手達が、能力が劣る選手達に対して
「やる気ないなら帰れよ」
「下手くそ!」
「練習してこいよ」
と言った発言が飛び交っていたり、練習時間外で話したり、一緒に帰る選手達のメンバーが能力のレベル感ごとにわかりやすく分かれていた。(もちろん常にではないし、中間を取り持ち上手く付き合っている選手達もいた。)
ではなぜ、当事者だったはずの自分が見えない序列を作り出してしまったかというと、一番は、仲間内でのその発言がやる気があり、もっと上手くなりたい、強くなりたいという向上心の表れだと捉えてしまい、過度な言葉遣いや悪意に目を瞑ってしまったからだ。
当事者でありながらも、選手個々の向上心があればそういった発言があるのは普通のことなんじゃないかと思っていたし、過度な言葉遣いや悪意にを放つ選手達に対して、やる気や向上心を削がずに相手を想いやることの必要性だけを伝える言葉がなかなか出てこなかった。
だから中途半端な伝え方になってしまっていたし、そういった向上心の表れは指導者としても嬉しさは感じてしまっていたので、自然とそこの問題を見ないようにしていたのかもしれない。
「試合沢山出てるやつとは話しづらいしサッカーするの楽しくないです。」
ふとある選手に言われた時には活動も終わりに近づき、ほぼ手遅れだった。
時間の経過と共に自分の中で指導者としての振る舞いを理解してきたつもりだったが、もっと彼らに対して繊細であるべきで、まだまだ大人として未熟さを痛感させられた。
21歳にして、思春期の子育て疑似体験
得られたものは沢山あるが、ここで一度指導者は退く為、指導者の視点を省いたもので、一言にまとめると子育てのほんの一部を疑似体験できたことだ。
思春期真っ盛りの20人弱の子供達を一人で観るのはとても苦労を要したし、かける言葉や振る舞いには神経を使った。
特に中2。地獄(笑)
でも、「え。お前そんなことできんの、すげーじゃん」と一言褒めるだけで毎日ボール蹴るようになっていたり、たった一つの言葉で変化してく子供の成長スピードは恐ろしいなどと、いろんな発見もあった。
中学生のくせにませたこと言う奴だったり、何回同じこと話しても右から左に通り抜ける奴だったり。
だったり。笑
いろんな選手がいた。
本当に生意気な選手が沢山いたし、頭の中では何回引っ叩いているのかわからないような選手達も不思議なものでなぜか可愛く感じてしまう。
彼らがこれからどんな大人になっていくのか、楽しみで仕方がない。
これが親の感覚と近しい感情なのだろうか。指導者と子供、親と子供では関わり方が当然違うけれど、とはいえ大人と子供という関係性には共通点があり、週5回以上の活動とLINEでのコミュニケーションで関わり続けてきた。
「子育て」という100ページの本があったとしたら3ページ分ぐらいは理解できたのかなと思い上がっている。
最後に
流石に卒論3個分を書き上げる体力を使ってまで書く気にはなれなかったが、これでたまにこの記事を読み直してこの3年間で学んだことを思い出せたらいいなと思う。
選手達には、これから夢ができたり、挫折したり、恋愛したり、失恋したり、商社マンになったり、なれなかったり(笑)
いろんな経験をすると思うけど、何か行き詰まった時に帰ってこれる場所がこのクラブであれば嬉しく思う。
見えない序列を作ってしまったからこそ、あまり期待はできないけれど、それに限らず何かこの3年間で過ごしてきたクラブでの時間が、彼らにとって少しでも役に立てば嬉しい。