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2023.7.1 わたし達のなかの小さな石ころに、そっとひかりを

ハイッ、こんにちは。ななこです。
投稿するのが久しぶりで、少し緊張しています。書きたいことがなかったわけじゃなくて、実は山程たくさんありました。「書きたい」アクセルと「自分をさらけ出すことへの抵抗感」のブレーキを全力で踏んでいて、勝手に自滅していました笑
が、この7月1日を機に、また書き始めようと思います!
というのも、この上半期で自分の人生を変えるような、大変大きく、しかし静かなる出来事が自身に起きたためです。

経験とは?ーーー

いきなりですが経験って、どんなものだろう。ふと、このnoteをスタートするに当たって、そんな想いが湧き上がってきました。
きっと今の私にとって、経験というものがなにかを書くことが大切なのだと思います。そんなわけで、今の私のこたえを書き記しておこうと思います。

それは、誰からも買うことも、いただくことも、ましてや力づくで奪うこともできない、ひとりひとりの命のかがやきの結晶だと思います。差し込むひかりの加減によって、磨かれ方によって、見る人によって、そのかがやきは変化する。
かがやき、といっても、いつだってキラキラ輝いているものではない。むしろ自分からみたら、ただの石ころで、「こんなもの」と言いたくなるときもたくさんあって、握りしめていたいのか、向こう岸に放り投げたいのかも分からないようなそんなもの。
でも、ある時、ずっと手のひらのなかで強く強く握りしめて離さなかった石ころが、ふと手からこぼれ落ち、窓辺に転がったーーー。ほんの偶然に、日のひかりが石ころに差し込み、そのゆらめく輝かしさは、窓辺を歩く人々の目に映ったーーー。人々にとって、その石ころはとても美しく輝く結晶であり、あるときは沈んで歩いている誰かの心をそっと癒やし、温めた。手の中で握りしめられていたら気付かれなかった美しさが、外気にでて、偶然にひかりが差し込んだことでーーー。
持ち主も、そして、なによりも結晶自体がその輝かしさを知るのです。

そんな偶然のかがやきを、私の石ころたちも経験したいーーー。そしてその方法がnoteでの投稿だと思いました。
ふと偶然に、誰かがわたしの石ころたちに「見る」というひかりを差し込んでくれたとき、(それは今読んでくださっているあなたですね)、私の石ころちゃん達は、同じものはひとつもないかけがえのない結晶だということを思い出すのでしょう。


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meguri
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