悪気がなくてもステレオタイプがパフォーマンスを下げるっていうお話

ここ最近、ステレオタイプを取り巻く議論を目にすることが多い。例えばこの記事は特にジェンダーに関する内容だった。

自分自身、これらの何が問題なのか?と考えるにあたり、偏見や差別についてよく知るために買った本を、改めてこの連休に読んだ。この本はスタンフォード大学で心理学教授を務めているクロード・スティール氏によって、ステレオタイプ脅威とは何か・なぜ脅威になるのか・どう乗り越えるのかなどについて書かれている。

今日はこの書籍の内容をもとに「ステレオタイプ脅威」について考えたい。

ステレオタイプ脅威とは

この本の解説を読んで整理ができたのだが、「ステレオタイプ」「偏見」「差別」はそれぞれ意味が異なる。ぜひ序文からイメージを掴んでほしい。(以下、日本語序文より抜粋)

ステレオタイプは、あるカテゴリーの人にどういった「イメージ」があるかという認識面(認知という)に焦点をあてた概念で、社会心理学のなかでも「社会的認知」と呼ばれる研究領域で扱われる。これに対して偏見は、ネガティブな他者へのイメージに対する拒否的、嫌悪的、敵意的感情であり、この感情に基づいた行動が差別である。簡単に言えば、ステレオタイプは認知、偏見は感情、差別は行動ということになる。
たとえば、社会全体にある「女性はリーダーシップ力が欠ける」というイメージはステレオタイプ。このイメージをもとに女性のリーダーや上司に不満を感じやすくなるのが偏見。差別は「だから登用しない」といったように、個々人の能力の査定に基づくのでなく、女性だからというステレオタイプで実質的な被害を他者に与えてしまうことである。
(中略)
周りからの偏見や差別がなかったとしても、「本人が周りからどう思われるかを怖れる」だけで、ステレオタイプ脅威の影響は出てしまうのである。

つまり、個人の能力としてではなく、社会があるカテゴリーの人に「できない」というステレオタイプがあり、その脅威にさらされると、本当にできなくなってしまう。たとえ周囲に、差別をしようという積極的な悪意がなかったとしても、自分自身でその脅威を感じ、無意識にパフォーマンスを下げてしまっている。

この本の最初の例で「女性は数学ができない」という社会通念に対し、「遺伝のせいか?このステレオタイプ脅威のせいか?」を試す実験を行い、「遺伝ではなくステレオタイプ脅威のせいである」という結果になった。

この本には、もちろん女性の例だけではなく、「ゴルフのタスクを”運動神経”ではなく”スポーツ・インテリジェンス”を測定するものだとしてやらせると、白人と黒人の成績が完全に逆転する」などの例もある。

私自身「女性であること」に対して、偏見や差別をひどく感じたことはない。しかし、自分が社会・文化に触れることで作られたステレオタイプに無意識に縛られ、恐怖し、自分自身のワーキングメモリのパフォーマンスを落としてしまっている可能性は否定できない。

アイデンティティに由来しないという安心感

大前提として、ステレオタイプで偏見を持ったり差別することがあれば、その構造を改革するべきだと著者は述べている。しかしこれらの研究が示唆しているのは、「アイデンティティに由来する苦境に陥ることはないという安心感を与えることが不可欠」だという。人間の自己防衛本能に対峙する方法を学ぶことがこれからのリーダーにとって重要なスキルとなっている。

例えば、以下のような実践的な発見もある。

・ある環境で、特定の集団のクリティカルマスを満たすと、その構成員の信頼、快適感、パフォーマンスを改善できる。
・多様なバックグラウンドの学生同士の雑談をうながすだけで、マイノリティ学生の居心地の悪さと成績を改善できる。
・学生に、自分が一番大事にしている価値観を肯定させると、長期にわたり成績が上向く。

自分に置き換えて考えてみると、例えばジェンダーについてこんなステレオタイプがある。

・女性は綺麗にしなければならない
・女性は数学が苦手である
・女性は仕事だけでなく家庭を支え育児をしなければ一人前ではない
・女性は論理的ではなく感情的である

これらは特に自分に当てはまらないと思うが、心のどこかで”こうならないと集団から批判されるのではないか”と考えてしまう。もちろん悪気なく誰かにこれらの話をされたこともあるが、この主語が「女性」ではなく「私」であったなら、存分に異議を唱えることができただろう。

また、冒頭の若い女性アナウンサーの登壇をPRしていたイベントについても、「女性が、どんどん主役になる」というキャッチコピーとともに女性の活躍応援団(全員男性)のリリースを出したことについても、ある種のステレオタイプを強調し、安心感を与えるつもりが逆にアイデンティティに由来する苦境を見せてしまっているのではないか。「自分は差別していない、偏見を持っていない、ただ応援したいしポジティブに思っている」という人が多いと思うが、悪意がなくても脅威を感じるようなサインが出てしまったのではないか。

この記事で伝えたかったことは、「いかに人が目の前のタスクに対処するだけでなく、ネガティブに判断されたり、扱われたりするリスクから自分を守ろうと必死であることを常に思い起こしてもらう」という書籍の狙いそのものであり、特定の誰かを批判したいものではない。この防衛本能のメカニズムを理解することが、何か解決の糸口になると信じている。

最後に

この話をする上で、アイデンティティとステレオタイプは切っても切り離せない関係にある。「ある人の感情や思考において、一つのアイデンティティを際立ったものにするのは、そのアイデンティティへの脅威である」と著者は述べている。社会の中で生活する以上、私達は何らかのアイデンティティを持つ。最後に著者がオバマ元大統領を例に挙げて、アイデンティティへの理解をどう持つべきか述べている。

アイデンティティとは、その人を全面的に支配するものでも定義するものでもない。アイデンティティとは流動的で、一定の環境に置かれたときにわたしたちの心理や行動に影響を与える。(中略) この観点からいうと、アイデンティティはさほど恐ろしいものでも、心配すべきものでもない。むしろ、アイデンティティを探求することから恩恵を得られるかもしれない。

個々人がアイデンティティやステレオタイプに縛られず、探求し、その多様さが価値につながるようにするためにも、まずは自分の行動を変えていきたいと思う。

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