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うつのこと。7 〜インナーチャイルドのこと〜

今回はうつの話というか、私が抱えていた「自分の心由来の生きづらさ」が寛解したのは何故だったか、ということについて話したいと思う。

「そういえば、ずっと抱えていたはずのあの辛さ、いないな」と気づかせてくれたのは、VOGUE JAPAN 2022年7月号に掲載された宇多田ヒカルのインタビューの一節だった。

自己肯定感は、なんでも「いいよいいよ、最高」って言うことじゃなくて、子どもが何らかの理由で悲しいと思っていたら、大人からしたらたいした理由じゃなくても、「悲しいよね」ってその都度認めてあげること。そういうところから自己肯定感って芽生えてくると思うんですね。
VOGUE JAPAN 2022年7月号 「IN MY MODE 宇多田ヒカルが語る、『今の私』に至るまで。」

私はずっと自己肯定感が低くて不安定だった。ちょっとしたことで泣き、何でもないことでひどく怒り、いつでも感情の波に揺らされていて、心が平穏なことの方が珍しかった。
なるほど、そういえば私は子どもの頃、自分の感情をそのまま受け止めてもらった記憶があまりない。泣いても怒っても、「そんなくだらないことで」とよく言われていた。
「くだらないこと」で泣いたり怒ったりしてしまうことをやめたくて、抑えよう、抑えようとするほど涙は止まらず、怒りは燃え上がるばかりだった。

大学生になり、親より友達と過ごす時間の方がずっと長く濃くなり、受け止めてもらう経験を重ねることができた。
SNSを始めて感情を吐き出して整理する場所ができた。
誰にも話せず、自分で自分の感情を処理するしかない経験もした。
やっと自分の感情をそのまま受け入れられるようになった。

自分で自分を受け入れられるようになってからも、「自分のことを受け止めてくれない家族」への想いについては悩んでいた。
そんな家族とのわだかまりの解消に役立ったのは、家族との直接の対話よりも、母の入院や、私が実家を出たことで、家族と物理的に距離を取り、自分自身と向き合った経験だったかもしれない。
インナーチャイルドを自分で育て直したような感じだ。とはいえ、育て直したっていうか、まだちゃんといるんだけど。
誰にも受け止めてもらえなかった自分を、ほかでもない私自身が受け止めたことで、ひとつになり、勝手に暴れ出すことが無くなった。

気持ちが安定しているのは、もちろんうつのために処方されている向精神薬のおかげもあるとは思う。
私は薬が身体に馴染み始めてから人生で初めてと言っていいような「心が凪いだ状態」を経験し、いまではそれが普通になった。
でも、薬のおかげだけじゃない。薬は心があまりにも大きく揺れ動くことを防いではくれるけど、日々起こるさざなみを乗りこなす術は自分で体得しなければならなかった。日記やSNSに自分の心の中を書き出し、日を置いて見直し、整理して向き合うことによって、私はそれができるようになったのだ。

母が私を産んだのは23歳の時だった。
自分がその年齢になった時、あまりにも「(自分を含めた)23歳の大人」が子どもなので驚いた。
それまでずっと「お母さんは/お父さんは どうして私にこうしてくれないの」という想いにとらわれていたが、それから少しずつ、「親は完璧な大人じゃない」ということを受け入れられるようになった。

ひとりの赤ん坊を「ちゃんとした大人」に育てるために必要な努力ははかりしれないということもわかった。
それは父と母だけの力では到底成し得ないことで、私が人生の中で出会う教師などのほかの大人や、友人たち、きょうだい、本やテレビなどのメディア、そして自分自身が複雑に組み合わさって、「私」というひとりの人間を形作る。
その中で、自分自身とは想像以上に力強い。

私の両親は私をたくさん愛してくれた(今も)けれど、それはどうやらうまく私の自己肯定感を育まなかった。でも、自分自身でそれを育む力はちゃんとついていた。
親は子どものすべてを育ててあげることはできない。
子育ては、「しあげはおかあさん」(「はみがきじょうずかな」通じる?)ではなく、「しあげは自分自身」なのだ。
だから私は、これからもっともっと素敵な大人になれる。

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マルコメ乙女
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