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1.まるこ、こうして病気になる

おはようございます。まるこです。
初投稿を読んでくださり
ありがとうございます。

双極性障がい(いわゆる躁うつ病)を抱えながら、
発症から15年経った今も心療内科への
通院を続けています。

15年のうち、入院も5回程経験しました。
ここ5年ほどは病状も安定していて、
障がい者手帳を取得し
障がい者雇用で働いています。

特技は「書く」こと。
特にノートを書くことが大好きで、
考えをまとめたり悩みを可視化するために
「書く」と言う手段を使います。

自分への振り返りも含めて、
「15年前なぜ病気になったのか?」を
綴っていきたいと思います。

⚠️病気のある程度生々しい話もありますので、
苦手な方は以下お控えください
⚠️

当時、私は某コールセンター企業で
働いていました。入社4年目の中堅社員。
本当に多忙で、
「今日は24時前に上がれた!」と
喜んでいたことをよく覚えています。

色々なクライアントさんの仕事をする
コールセンターで、8つくらいの業務を抱え
さらにまた別の仕事の準備もしつつ…と
今思えばとんでもない量の仕事を
こなしていました。

そこで起きた大大システムトラブル。
なんと、電話をする(受ける)事がメインの仕事。
それを支える「PBX=電話交換機」が
トラブルで全く使えない状態になったのです。

電話の会社が電話使えないって
致命的ですよね。
でも仕事はしなきゃいけない。

どういう方法を会社が取ったかというと、
トラブルの起きたビルの業務を、
近隣のセンターに3分割するというものでした。

同じ駅にもう1つ、隣の駅にもう1つ。
私はただでさえ忙しさ度MAXだったのに、
ビルを3つ見ないと
仕事ができなくなったのです。

そりゃあもう地獄みたいな日々でした。
ちょっとクライアントさんのところに
外出したら、
アルバイトのリーダーさんが号泣してたり、
移設したシステムがうまく動かなかったり。
挙げれば枚挙に暇がありません。

業務時間も必然的に長くなります。
夜中の3時4時まで働いて、
タクシーで帰って仮眠して9時には出社。
以下繰り返し。

直属の上司は力になってくれず、
ものすごく親しくしていたセンター長は
ビルの補償問題など、
「センター長しかできないこと」に
かかりっきり。

誰かの力になることは多々あっても、
誰の力も借りられない状態になりました。

そんな日々が続くこと、3〜4週間。
心に不調をきたすようになりました。
それに伴う異常な行動も。

とにかく、長ーーーーーーーいメールを打つ。
会社からも、自分の携帯からも。

「自分は何でもできるんだ!」と言う
圧倒的な万能感。
会社でもそれに近い発言をしていました。
自分が関わるべき案件では無いのに
「私!それできます!!」と手を挙げる。

あと、金遣いがものすごーーーーーーく荒くなりました。カードの限度額まで使ってしまうほど。

結果、これは「おかしい」と思った
会社の上司と同僚、両親と一緒に
精神科に連れて行かれ、即入院となりました。

記憶はそれなりにあるのですが、
注射を打たれて起きたら病院だった…
と言う状態でした。

以降、3ヶ月ほど入院してやっと退院。
病名は、当時は「躁病」でした。

それから3年後、5年後、6年後
何度となく症状が悪化して入院。

会社の休職期間も限界に達することが分かり
仕事面でとても悩んでいたこともあり
ある薬1ヶ月以上分全部飲んで
救急車で運ばれて、、

そこでついた病名が
「双極性障がい」(いわゆる躁うつ病)です。

よくある症状ですと、躁状態とうつ状態を
繰り返すのですが、私はひどいうつになった
ことがなく、、むしろ気をつけるべきは
躁なのです。

それから、もうここまで来たら
精神障害の手帳を取ろうと思い、取得。
今働いているところでは、
障がい者採用として働いています。

やっぱり、あらかじめ働く人たちに
分かってもらえるってありがたいなと
思っています。

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最後まで読んでくださり
ありがとうございます
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