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他人の気持ち

 『人は2種類に分かれる』とは昔からよく使われてきた言葉だ。色々な時代で色々な立場の人が色々な事柄について、人のあり方や生き方を2種類に分けてきた。ちょっと前にはローランドさんの「俺か、俺以外か」という、少々演出がかった不遜さが有名になったが、私は 人間の『しょーもなさ度』を計測する手段として『他人を笑う人と笑わない人』というものさしがあるんじゃないかと思っている。

 挑戦する人は輝いているものだし、失敗しても次がある。私がこれまでの人生で接してきた中で、色んなことにチャレンジできる人は、同じようにチャレンジしている他人を応援することができる。しかしチャレンジしない方の人は、他人のチャレンジを嘲笑の対象とし、『失敗すれば面白いのに…』とさえ思っていたりする。
 人の失敗を楽しむ趣味の悪さったらないと思うが、例えばこの手の人は、普段いけ好かないと思っている人が失敗などしたら (ざまぁみろ)と陰でほくそ笑んでいるし、その人がピンチになった時にも(いい気味だ)と知らん顔であり、嫌いだからという理由で 救いの手を差しのべることもない。ホント全くつまらない人種だと思う。

 サプライズと呼ばれる、1人がずっと騙され続ける悪ふざけを 私が嫌う理由も根源は同じなのかもしれない。楽しいと思える人たちだけで楽しんでくれればいいのだが、それを見ている中に 同調できない人が混在しているかもしれないってことが考慮されることはない(そこに気が回る人はそもそもサプライズなどしない)。ましてや仕掛けられる対象になってしまったら・・・! 
 多様性(この言葉には百も千も文句はあるが)の時代だというのなら、怒りの感情や 悲しい気持ちを持つ人、またそれを不快にしか感じない人がいることを どうかわかってほしいものだと思う。

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