それはタダなのか?
我が国では食事を提供するほとんどの店において水は 無料=タダだ。水などというものは金を払って注文する物ではなく、注文の前後や食事中に何もせずとも存在しているというのが日本という国である。食事のために入った店では まず水が出てくるし、おかわりも店員を呼べば抵抗もなく、料金もかからず持ってきてもらえる。
生徒を引率するため毎年海外に行っていた時期が10年程あったが、当初 飲食店において ただの水に対して値段が付くということにかなり違和感があった。イタリアなんかでは喫茶店での注文が 水だけという現地の人の日常を知ったし、ビジネスマンなんかは朝に立ち寄ったバールで、注文→提供→飲む→支払 の全工程が30秒で終わる事実を前に、我々は顔を見合わせ、文化の違いを思い知らされたものだ。
しかし日本人は水の他にもタダだと信じているものがある。それは『安全』と『清潔』と『平和』だと思う。街を歩いていてもかっぱらいやスリなんかにはほぼ遭遇しないし、駅のトイレはまずまずキレイに保たれている。落としたものは後ろを歩く人が拾ってくれ、教えてくれる。
以下、これら3項目についての私見である。
《安全》
オリンピック開催地の誘致委員だった滝川クリステルさんは、落とした財布が戻る都市として東京を紹介していたが、youtubeなんかでブラジルあたりの旅行者を狙ったかっぱらいたちの犯行を目にすると、そんな危なっかしい巷こそがグローバルスタンダードであり、日本の状況は世界的に見たらかなり特殊なのだと妙に納得したものだ。
白昼堂々の貴金属店強盗や、山中に惨殺死体を投棄するような痛ましい事件は無くはないものの、我が国で大騒ぎしたとしても 他の多くの国はもっと危険であり、日本における事件の件数など、世界レベルで見れば微々たるものなのであろう。
しかし最近流行りの特殊詐欺と呼ばれるものは質が悪いと思う。日本人の民度はここまで落ちたかとため息しかない。
《清潔》
清潔さという観点で見た時、日本以上の国はないと断言できる。欧米は言うに及ばず、例えば『清潔』で有名なシンガポールでは街に塵一つ落ちていないという触れ込みだったが、行ってみたら何のことはない 、ポイ捨てが処罰対象になるということで、街には大きなゴミ箱がに定間隔に設置されているから『ゴミ0』なだけだった。ゴミ箱だらけの街は『ゴミのない清潔な街』と呼べるのだろうか? シンガポールが『清潔な都市』として有名なのは、決して人々の衛生観念が高いからではない。
私は日本人の『清潔』や『衛生観念』に関しては、水が大きく関わっているのだと睨んでいるのだが違うだろうか。豊かな水資源を持つ日本であるからこそ気軽に『洗う』という習慣と文化が形成され、世界一の清潔大国になったのだといえまいか。しかしこの水源が 今や他国に次々に買われている事実に対し、私は背筋に冷たいものを感じている。
《平和》
平和といえば 日本人は楽天的な国民性もあろうが、周囲の人々に対し『人というものは生来 他人への思いやりがあって、悪いことやズルいことはしない』と思っているように感じる。紐解くに、これはきっと元来の民度の高さゆえの親切さに加え、『人の目』が気になる国民性のなせる業なのだと思う。
ウクライナや中東のような、比較的遠方で勃発した国の争いごとはおろか、尖閣や竹島、また北方四島のことなど日常ではほぼ話題にもしない私たち。中国が台湾を武力攻撃したりしたら初めて大騒ぎになるのかな? しかしアメリカがそれに介入したら、あってはならないことながら、沖縄はアメリカ軍の前線基地になるだろうし、さらにそれに対抗して彼の国は日本本土を攻撃対象にすることを意味する。
多くの日本人は他国が我が国に攻撃を仕掛けたり、領土を取りに来ることなど あり得ないと思っている。だから日本人にとって『安全』はタダなのだと皮肉も言いたくなるのだ。
気づけば奇しくも今日は12月8日である。82年前の今日、ハワイ真珠湾攻撃をもって、大東亜戦争は始まった。平和ボケで国民が何も考えない状態は、戦いの前段階でもある。