ウィル・スミス氏の罪について
先日のアカデミー賞授賞式において、ウィル・スミス氏がプレゼンテーターのクリス・ロック氏に妻のジェイダ・ピンケット・スミスさんの容姿を侮辱され、クリス氏に平手打ちをかました事件が話題になっている。舞台上で繰り出される軽快なマシンガントークに、最初は笑っていたウィル氏も、ジェイダさんがクリス氏の発言に悲しい表情になったことに気づくと態度は一変したように見えた。個人的にはアメリカ人の多くがクリス氏に同情的で、スミス氏の暴力行為のみを非難する立場をとっているように見えることが意外であり、また腹立たしく思っている。
スミス氏の妻であるジェイダさんは脱毛症を告白していて、抜け毛に悩んだ挙句頭髪を剃ったというが、これには大きな決心が必要だったのではないだろうか。特に女性にとってはその心中察するにあまりある。ウィッグを着けずに毅然と振る舞うジェイダさんには、尊敬さえ感じるところだ。
事故にかかった費用の負担額を過失割合で決めるのは、交通事故の際の考え方だ。しかしあのアカデミー授賞式の舞台上で起きたことに、そんな考え方を適用してはいけないと思う。ウィル・スミス氏が殴ったことはメチャクチャ悪いことであり、もしその悪質度を数値化できるなら、殴られたクリス・ロック氏の暴言よりさらに悪質だったかもしれないが、両氏の評価を相殺してはいけない。双方の悪い部分を双方が償わなければいけないのだ。過失比率が 70:30としても、70ー30で40ポイントスミス氏だけが悪く、ロック氏の過失点は0になったということには絶対ならないのである。
今回のことで、スミス氏はすぐに謝罪のコメントを発信したが、ロック氏は少なくとも公にわかる形では『被害者』のままだ。このままでは『暴言は許されるが暴力はいけない』というアホみたいなダブルスタンダードが成り立ってしまう気がするが、世界は沈黙したままなのか。闘っている人をバカにするのは最も卑劣で低俗な行為だと私は思う。こんなことがまかり通るならSNSで誰かをいくら誹謗中傷しようが構わないということにはならないか? それはダメでこれはいいのか? この件で私は大切なものに危害が及んだ時の世の人々の正義というものに幻滅した。人というものは大切なものを守るために生きているのではなかったか。