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引き際
齢六十を過ぎ、解脱できず輪廻に身を委ねざるを得ない我が身にとって、今世も後半から終盤に入ってきた。色々と考えることの多い日々だ。
定年を間近に控え、仕事におけるこれからの私のミッションは、何より後進に役目を引き継ぐことにある。その責務を果たさなければご奉公の締めくくりにはなるまい。そんなことを考えていると、スムーズに世代の交代を成し遂げるためには、いつまでも自分が出しゃばるのではなく、可能な限り組織への影響力を減らしていく必要があるんだろうと思える。論語に説かれている60歳は、不惑(40歳)、知命(50歳)に続き、人の意見を素直に聞けるようになる(少し聞いただけで理解できる)という『耳順(じじゅん)』である。良いように言えば若いリーダーに任せるべきを任せる。悪いように言えば本当に必要な場面以外 年寄りは引っ込んでろ。その通りだと思う。
きっと耳順を履行できるような理想の年長者の真反対に位置付けられる 『老害』が生み出される背景には『◯◯さんでないとわからない』とか、『さすが◯◯さんですね』みたいな、悪い意味でベテランに頼る属人的な仕事が常態化している背景があるのかなぁと思っている。そんな環境の中、頼られることが大好きな年長者は変に自分が組織にとって絶対必要な存在なのだとする勘違いがあるのではないか。
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他人の長所を認めることは、自分の敗北を認めることだと無意識に感じているからこその他者批判なのかもしれないが、後進を育成するにあっては、その人の至らない点や不足部分を克服させることこそが最重要課題であると考えるのは間違いなのだろう。
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表す対象によって当然数値化する項目は変わる
野球選手やゲームのキャラクターなどの戦力を一目でわかりやすく表すために 多角形の座標に表された能力表(上図 参照)を用いることがあるが、仮に仕事における実力をそんなグラフに落としてみると、人間誰しも得意分野とは別に凹んだ項目があるものだ。しかし老害と呼ばれる一群の方々は、自分のことは棚に上げて(老害は自分への指摘をことさらに嫌う)、他人の欠点や至らないところばかりが目につき、批判したがるように感じる。
いや、ここまで書いて気づく。他人をとやかく言っている場合ではない。