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親がいなくてする苦労、いるからする苦労 2

 我が校に通うその女子生徒は養護施設で育った。どうしてそうなったのか、いきさつは知らない。

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 ウチの学校では、課外のプログラムとして休日にセミナーを受けたり 指定されたテーマに基づいて取り組んだ活動についてプレゼンをしたりする生徒活動の組織があるのだが、誰もがメンバーになれる訳ではなく、エントリー後に面接やテストをして選抜する。年によってバラツキはあるものの、その倍率は平均7,8倍ほどになる。

 ウチに入学したいと言ってくれた上に、この活動メンバーへのエントリーをした冒頭の生徒 “Rさん” は、平素からすぐ泣くのが特徴といえば特徴である。案の定 面接時にもこぼれ落ちる涙とともにエントリーした動機を述べた。辛いわけでも悲しいわけでもないのだが、少しでも心が動くようなこと(悲しさや悔しさはもちろん、緊張、指摘、叱責、喜びなど全て)があれば、物理的に目から水が出てしまうというのが近いイメージだろうか。

 課外活動に取り組む前述の生徒組織を仮に “F” グループとする。冒頭のRさん を含む今期のFグループメンバー 約20名が決定したことを受け、今後の活動の説明会を行った。1つの教室に知らない顔ぶればかりが輪になって、初めてのプログラムは例年通り自己紹介からスタートした。

 ほぼ全ての買物がスマホで手に入り、人と対面する緊張をあまり経験せずに これまで過ごしてきた生徒たちにとって、知らない人ばかりの中で自己紹介をするというのは かなりハードルが高い行為となるのだが、コロナがあったせいでさらにこの傾向は顕著だ。しかしこの生徒活動の主旨は、主体性を養い コミュニケーション能力や協働力を身につけるといった、若い世代の最も苦手な分野を伸ばそうというものなのである。よって自分たちで進行の方法を決めたり人前で話したりするのは重要な弱点克服の課題となる。

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 全員に向かって自己紹介を始めるよう促すと、生徒たちはお互いの顔を見合わせた。担当教員はそれ以上の言葉を足さない。進行を生徒たちに任せるのである。10秒ほど経ったその時、輪の中の1人がスクッと立ち上がり『✖クラスの◯◯です。▲▲出身です。よろしくお願いします』と恥ずかしそうに言ってストンと座った。すると誰からともなく拍手が起こり、発表した生徒は赤い顔をして自分でも拍手に加わっていたが、その両横の生徒が目配せをしてうなずき合った。発表順が時計回りに決まったのである。

 2人目の生徒が立ちあがった。『✖クラスの◆◆です。◉◉出身です。よろしくお願いします』。1人目の生徒で発表順が決まり、2人目の生徒が前の生徒と同じ内容を言ったことで、その後は名前と出身地を発表する流れが決まった訳だ(若者はこんな時、通常オリジナリティを出そうとはしない)。Rさんは私から右に2つ目の席に座っていたから その声まで聞こえるようなロケーションだったのだが、スタートから3~4人目の生徒が発表している時だったろうか、『私 自分が生まれた所知らん。どうしょう』と隣の生徒に相談したRさんの小さな声が聞こえてきた。

 (しまった)と一瞬思ったが、もはや今からではどうしようもない。数名の生徒がそれぞれ緊張の中で立ち上がって発表した後、とうとうRさんの順番になった。直前まで迷っていたのだろう、Rさんは明らかに逡巡しながら ぎこちなく『✖クラスの■■です。出身地は、・・大阪です。よろしくお願いします』と小さな声で言った。嘘をつかねばならなかったことがやはり嫌だったのだろう。私と目が合ったRさんは上を向いて涙がこぼれないように堪えていた。もしかしたら彼女の涙は 自分が辿ってきたこれまでの道のりが関係しているのかもしれないが、もちろん真実はわからない。

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 ほとんどの人には正常な反応として、親を煩わしく思う時期がある。本当は親には感謝しているのに、なぜか内から湧き出る反発。父親に対し毛嫌いレベルにまで嫌悪感を露わにしてしまったり、母親に対してひどい言葉を投げつけてしまい 逆に子供である自分の方が落ち込んだりするような経験を経て 人は 思いやりや優しさを身につけていくのかもしれない。しかし大人になるための必要な過程とはいえ、神は随分 罪な仕掛けをされる。

 きっと我が校に集う若者たちは、まだまだこの時期を脱することができずに 子供ばかりか親もが苦しんでいるように思うことが少なくない。我が校では授業の一環として児童養護施設にも訪問し、ボランティアカットを実施する。そこに住まう子供達の 本当の気持ちは私にわかるはずもないが、親がいないことでそこに入った子供もいれば、親がいることでそこに行かざるを得なかくなった子供もいる。Rさんは親がいない訳ではないらしいのだが、彼女の心の中で 親というものがどんな存在なのかをぜひ訊いてみたい(訊いたらダメなのかなぁ)。

 精神科医でもカウンセラーでもないので心のことは何もわからないけど、彼女の涙が深層の部分で不安や心配、また鬱屈した気持ちみたいなネガティブなものに起因しているのなら、我が校に在学する数年間で良い友や先輩とともに充実した月日を過ごすことで、意味なく涙が出ることが少しでも軽減できたらなぁと願っている。


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