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仏談 ー 巳年と弁財天1ー

昨年は、何もなかった。
一昨年は、何もなかった。
その前のとしも、何もなかった。
          《太宰治 斜陽より》

 秀逸。比類なき厭世観。太宰らしい いじけ方であり救いようがない。彼が作品中の登場人物だけではなく自身のプライベートでも なぜあんなにも死にたがったのかは知る由もないが、もし私が彼の愛人の父親であったなら・・・と考えると眠れない夜を過ごすことになるんだろうなぁと、勝手に夢想している。
 太宰治は我が美容界とも因縁浅からぬ人である。なんとなれば彼がそれまで恋焦がれ 幾度にもわたる未遂を乗り越えて、ついに死という大願が成就した際のパートナーであった 山崎富栄さんについては 太宰ファンでなくとも広く知られているが、美容界にその名を刻む 山崎伊久江氏 の夫君である達夫氏は、富栄さんのいとこにあたるとのこと。心中の形で入水自殺した後、多くの太宰ファンからの激烈な誹謗中傷(類い稀なる天才をたぶらかしたかどにより)が、富栄さん自身はもとより その家族にまで浴びせられたというが、我々美容界サイドからいわせて貰えば、黎明期であった美容師教育において将来を嘱望された人材(彼女の父 晴弘氏は日本最初の美容学校の設立者であり、富栄さんはその次期責任者であった)を、稀代のクズ男にダマされまた潰された訳である。どうしようもない男のダメぶりや無責任を棚に上げて、献身的に最後まで尽くした上に 死出の道連れとなった若き美容業界の才能に対し、何を血迷った言いがかりをつけてんのか? といったところだ。他のことはともかく 人間の良識という点で、太宰治氏は作品名にもあった通り『人間失格』であったと思う。

 きっと冒頭の詩が編まれたのは 年の瀬か新年なんだろうが、大災害で明けた令和6年も間もなく暮れゆく。来年は巳年である。干支を気にするのは年末から長くて1月一杯位までかなぁとも思うが、今がそのわずかな旬だから 少し語ってみようと思う。
 巳は蛇。蛇と聞くと子供の頃の記憶が蘇る。神社の床の下や 逆に木の上なんかにいて驚かされるアオダイショウ、田んぼや畑で賑やかに走り回っていたシマヘビ、また山のジメジメしたところには遠慮がちにヤマカガシ(その頃は無毒とされていた)がいた。今でも彼らは自分たちの生息域であの時のように息づいているのだろうか。

 ところで蛇と関係の深い神仏といえば弁天様(弁才天=辨財天)である。しかし衆生が祈りを捧げる対象で、彼女ほど多種多様な恩恵を与えてくれる神(天部)はいない。腕に抱える琵琶の音色と共に 金運アップや商売繁盛、交通安全や恋愛成就、子孫繁栄や技芸上達、はたまた長寿まで。彼女一神を信仰し手を合わせてさえいれば、現世でのおおよその願い事は叶えてくれるという万能神なのだ。こんなパワーもあったからか、仏教に取り入れられた女神たち(元はといえばインド出身者が多い)の熾烈な戦いに打ち勝ち、七福神の紅一点として選出されるまで上りつめた弁天様。ちなみに彼女のライバルの中でも強力なメンバーとして勝手に私が認定するのは、

 ●吉祥天 (よみ)きっしょうてん
      ・鬼子母神の娘で毘沙門天
       (多聞天)の妻
      ・幸福や豊穣の神
      ・京都浄瑠璃寺の像が有名
 ●伎芸天 (よみ)ぎげいてん
      ・芸能をつかさどる天女
      ・奈良秋篠寺の像は容姿端麗、
       仏像というより現代彫刻で、
       唯一無二の美しさだと思う

 このニ尊あたりが手ごわい相手だったものと思う。中でも吉祥天は事実最後まで弁天様の好敵手だったのである。いや たった今この瞬間も弁天様の地位転覆を目論んでいる可能性はある。かの七福神の宝舟に弁天様の代わりにちゃっかり乗った時期もあるし、無理やり割り込んで八福神になったりした過去もあるのだ。
 吉祥天の強みはバックボーンである。なにせ七福神の主要メンバーたる毘沙門天の妻なのだ。小川菜摘さんや工藤静香さんの立場が強いのと同様、彼女に逆らえば仏や菩薩、神などが住まう世界でホサれる覚悟が必要となる(笑) 京都浄瑠璃寺の吉祥天立像は 巷で美人の誉れ高い(本稿テーマ画像)が、色白の笑顔の裏には強力なコネクションが睨みをきかせているのである。 (つづく)


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