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あの愛すべき車掌は今どこに

 今 電車内の案内放送は、生放送ではなく録音された音声によって自動放送されるものも少なくないが、当然昔は全てがライブだったし、ライブであるからこそ、路線によって また発信者個人によって特徴があったといえる。

 かなり前の話だが、私が通勤で使う近鉄電車に、舌を巻くような案内の仕方をする、若い(と思われる)車掌が存在していたことがある。通勤ゆえ、基本的に同じ時間の電車を使っていたから、毎日その車掌の声が車両内を流れていたことで 一方的に親しみを持っていた(私以外にもそう感じている人は少なくなかったと信じる)。
 今回の話は早く扉を閉めて発車させたかったはずの彼が、駆け込み乗車によって 締めかけた扉をすぐまた開けなければならなかったことが続いた日の話である。

 その車掌は元ヤンキー故の巻き舌だったのだろうか? しかしそれにもましてその日の彼は機嫌が悪かった。閉めかけたドアを駆け込み乗車のせいで再度開ける際、ハッキリと舌打ちをした音が放送で車両内に響いた程だったのだ。車両内の乗客たちは顔を見合わせて大笑いである。そして電車はその後も大阪の中心部に向かって走っていった。

 それからいくつかの駅で通勤客を拾い、車両内は人で溢れてきた。しかし我々はそんなことよりこれからのいずれかの停車駅で 何かが起きて欲しいと 変な期待をしていたのだった。

 そしてその時は来た。ある駅で私たちの車両に果敢な駆け込み乗車にチャレンジするサラリーマンが現れたのである。車掌はそのオッさんを自分のドア操作で挟んだ。通常こんなことになったら一度ドアを開けて、乗るなり出るなりさせるのだろうが、件の車掌は一瞬だけ扉を開けたかと思うと次の瞬間閉じた。それは『ちょっと開けたるから降りろ!』という意図がアリアリとわかる行為だった。
 しかしそのオッさんは身を引くのではなく、果敢に乗り込もうともがいた。再度車掌が一瞬だけドアを開けた。さらにもう一回。その度オッさんは10センチずつ車内に入っていく。

 車掌はオッさんをあくまで乗せたくなかったのだ。混雑する電車は私たちが見守る中、オッさんの体を挟んだまま動かなくなった。そして・・・。

 車掌は今度は放送で攻勢に出た。『駆け込み乗車はおやめください。・・・邪魔です』。私たちは窮屈な車両内で歓声をあげた。
 あの車掌、どこにいったのだろうか。気づいたら彼の声は聞けなくなってたんだが・・・。


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