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ジェンダー 1

 ジェンダーフリーだ、LGBTだ、はたまた多様性だと、その界隈の話題が活況を呈している。よく聞くワードとしてはジェンダーレス、ジェンダー平等、ジェンダー中立性など。もはや色んな人が色んなことを色んな価値観と角度で主張しているが、ジェンダーに対する考え方や配慮における正解とはなんなのかと思う。ちゃんと理解している人は全てちゃんと理解しているのかもしれないが、色々な文献や主張を聞いている内に、よくわからなくなってしまっているのだ。
 『LGBTQ+対応マナー研修』という講習を受けて修了証もいただいたが、払拭できない違和感をずっと感じてもいる。これは『誰一人取り残さない』が謳い文句であるユニバーサル系の各種啓発活動(いじめ撲滅や差別撤廃、また障害者の方に対する『正しい』対応)に共通するものだ。
 きっとその違和感は『少数・弱者』と『 多数・強者』という図式が存在するという前提で、前者の人たちにとって不快に感じることは、何はさておき尊重されるべきものなのに対し、後者(絶対多数)の人たちは無条件に最大限の配慮をすべきという圧力がかかっているように感じるからだ。
 学生時代に古文(大好きな教科だった)で『ますらおぶり』や『たおやめぶり』など、男性らしいとか女性らしいといったことを価値あるものとした 日本の伝統的な美意識に大いに感銘を受けた覚えがあるが、令和の今では男性にしかない長所や 女性ならではの美点も表現しにくくなったように感じる。
 きっと私は随分とひねくれた奴であり、こんな時代だからきっと異論や反論のある人もいるんだろうが、まことしやかに『こんなことは良くないことだ』と言われてると感じることを、私なりに皮肉っぽく茶化してみたい。

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1.性別を固定・限定するものは基本ダメ
➡看護婦や助産婦が 看護師や助産師に、スチュワーデスがCAに。女優や女子アナもダメ。オフクロの味もダメ。『女子力』、『女(男)らしい』、『熱血漢』、『男の中の男』なんかも当然ダメ。そんな考え方だから 学校でも男の子に『君』をつけて呼ぶことなく『さん』で統一(我が校ではこんなことには全くこだわっていないがww)。
 そんな中 私は助産師は女性しかなれないという『決まり』には違和感を持っている。助産師は女性であるべきだとは私も思うが、この決定には妊婦さん(この言い方もダメなんだろうか?)の意見が大きな理由になったのだと聞くからだ。それが真実なら 他のほとんどの事項においては『そうあるべきだ』という論理のみが優先し、様々な意見や考えは無視されているのに、どうして妊産婦の声だけは聞いてあげようとしてくれたのだろうという疑問が生じる。

2.男女をとにかく同じ扱い(人数や割合など)にしなきゃダメ
➡女性議員を増やして男女の議員数をできるだけ同じにせよ! とどこかの党首が言ったように、社内の役職者の男女差を無くそう! といった類いのことを言う人がいる。少なくとも役職者数の男女差というのは、男女の能力差というより出世志向のある人数の比率が大きくものを言うのであって、男の方が能力が高いわけではない。単純に社長になりたい人は男の方が多いのである。よって役職者の数に性別による差があるのはそのせいだといえる。
 しかし改めて言うことでもないが、絶対的な事実として 男と女は違う。体の作りも機能も、考え方も違うのである。あることを限定的に取り上げ、同じ条件であるかのように比較ができないのは当たり前ではないか。無茶は言うべきではない。

3.平均的な結果で表すのはダメ
➡平均身長は男の方が高い。しかし男でも小さな人、女でも大きな人がいるから固定したような表現はダメ。だから多くの人に案内するようなイラストでは、男性を女性より大きく描いてばかりは好ましくない。同様にロボットごっこをしている男の子や お人形遊びをしている女の子も良くないらしい。
 そんなことを調べていくと、あることに気づいた。ネットのサイトなんかもそうだけど、本屋の料理本のコーナーでは女性が書いた本が圧倒的に多いけど、あれはいいの? 男だって料理をするよ?
 さらにカップルを表現する際に、異性カップルのみを表現するのもあかんって、アナタ本気ですか? こんなものが地方自治体発の配布物としてバラまかれているのが今の世の中なのである。

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 しばらく前に目にしたニュースだが、身体的には男性だが性自認は女性である生徒について、入学の可否を検討している女子校が首都圏と近畿圏合わせて少なくとも14校あるという。行き過ぎたジェンダー平等思想の好例だと私は思っているが、これを実現させるには生物としての本能や育ってきた環境で培われてきた常識までをも変える必要がある。偉そうな物言いになるが、学校運営の古株たちが どうすべきかがわからず右往左往している絵が目に浮かぶ。

 トランスジェンダーの若者が、自らの性自認で学校を選べる時代が来るのはいいことなのか? とかく対象となる生徒本人のことばかりが議論の対象になるが、例えば女子校に通う生徒に『あなたが今通っている学校に、体は男性の生徒が 『女子』として入ってきたらどうする?』と尋ねれば、相当数の女子生徒は違和感を持つだろう。でも『ワタシはOKだと思う!』などとのたまう女の子も一定数いるだろう。しかし学校生活においてトイレや部活の着替えには支障はないですか? またたとえば修学旅行なんかで、体は男性である女子と一緒にお風呂に入れますか? と聞いたらなんと答えるだろう? 歌舞伎町のジェンダーレストイレが、わずか4か月で廃止になった事実などを前にすると、それ以外にも様々な問題が起こることは、改めて考えるまでもないと思うが。
 実はウチの学校でも毎年のようにこの手のことは問題として挙がっていて、着付実習やトイレについて、さらに研修旅行での同部屋問題がいつも議題となる。今のところ、いわゆるトランスジェンダーであっても『自分は他の生徒とは違うところがあるので、トイレや研修旅行なんかではちょっと配慮してほしい』ということで解決できる生徒ばかりだったから、教職員用のトイレを使わせたり 研修旅行では1人部屋を使わせることで(他は基本的にツインまたはトリプルルーム)乗り切ってきた。しかし仮に『自分は女なんだから、学校は他の女生徒となんら変わらない扱いををすべきだ』と言われた場合には『それはできない』と答えるしかないと思っている。本人のことばかり優先させて、周囲のことを考えていないような決定をする気はないからだ。いやいや人として、また本人の気持ちを考えたら周囲がどう思おうが断行すべきだ という理屈は 暴論だと思う。でももしそうするのが正しい判断であるなら、女子校に通う生徒の性自認が男性であることが判明した場合には、その生徒は退学しなければならないではないか。性自認によって性別を決定するというのはそういうことでもある。

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