柔道と農業の共通点。
パリオリンピックが閉幕を迎えました。
幼少期から自己鍛錬を重ね、青春や自分の時間をすべて捧げ、その道を極めようと努力するアスリートには心から敬意を抱かずにはいられません。
お疲れ様でした。
パリオリンピックで特に印象的だった柔道選手
オリンピック中に賛否両論の物議を醸した話題がありました。
柔道選手が負けた試合後に感情が高まってしまったシーンです。
「悔しくて泣くシーンにグッときた」
「他の選手にも迷惑。号泣するなら控室で、、。」
といろんな意見がありました。
私はその選手に寄り添いたい気持ちがあります。
それほどオリンピックに懸けていたのでしょう。
日本発祥の柔道と相撲。共に国際化の道を歩む。
「レスリング」
「相撲」
「柔道」
上記の競技は、どれも相手と組み合い投げ技で勝敗を決する競技です。
レスリングのガッツポーズについて
レスリングは古代ギリシアから歴史があり、紀元前3000年のシュメール都市文明の頃には既に競技として成立していたとも言われています。
スポーツを経験したことがある方なら、「よしっ!」と心が高揚し、思わず拳を握ってしまう気持ちがわかるかと思います。私自身も運動部に所属していたので、ポイントを取った時には自然とこのようなポーズをとりました。
ちなみに、レスリング協会からガッツポーズについて選手が意見を言われることはないと思います。理由は100%競技だからです。
相撲のガッツポーズについて
相撲の起源としては、古事記(712年)や日本書紀(720年)の中にある力くらべの神話や天覧勝負が起源とされています。
農作物の収穫を占う祭りの儀式などの役割も担ってきました。
そのため、相撲は競技だけでなく、神事として儀式的要素を多く含んでいます。
例えば、組み合う前に両手をパンと叩いてから手を下に伸ばすのは、武器を持たず正々堂々と戦う意思を示すとともに、音によって神聖な土俵の空気を祓う意味があります。また、塩を撒く行為も清めの意味を持っています。
相撲は神道と深く結びつき、勝敗以上に伝統と歴史を重んじる傾向があります。そのため、古くから大切にされてきた武士道も尊重されています。
ある横綱が優勝決定戦で勝利した時に土俵上で両手を高々と挙げました。
「ガッツポーズは横綱の風格に欠ける行為」
「無意識に出たポーズにも見えるが、勉強すべき課題だろう」
「一種の武士道が土俵にはある。(土俵の上では)やってはいけない」
と厳しい意見が日本相撲協会から述べられました。
当時も賛否両論の意見が飛び交いました。
国際化を受け入れた相撲ですが、今でも競技内容と同様、いやそれ以上に儀式的意味、風格も重要視されています。
柔道のガッツポーズについて
柔道は12世紀以降に生まれた「柔術」が起源です。
柔道の父と呼ばれる嘉納治五郎氏は原理となる「道」があってこそ「術」(技術)が生まれるとの考えから「柔道」と名付けました。
競技人口が増えて世界の「JUDO」に
柔道は国際化の道を歩みオリンピック競技として認められました。
ガッツポーズや試合後の感情表現は国際化の影響から相撲とは違い緩やかになりました。
もう一度大切なことなので記述しますが、スポーツでは感情が全面に出ることがよくあります。
むしろ、感情を冷静にコントロールすることこそ、高度な技術が必要です。
しかし、柔道の起源は日本の武道からきているため、神聖なる畳の上での感情表現は望ましくないと考える方もいらっしゃいます。
なぜなら柔道の理念に「自他共栄」という文言があるからです。
「相手に対して敬いや感謝の気持ちを持ち…」の部分が抵触すると私は感じました。
柔道の哲学と理念
上記の写真は京都賀茂神社の「武射神事(むしゃしんじ)」という神事です。
もし、この射手が的を得た瞬間に拳を高く挙げたり、矢を外して感情を全面に出したら神事としての儀式が損なわれるに違いありません。
儀式的意味合いが重要視されると選手の感情などは不要になり、注意の対象になる傾向にあります。
私事で恐縮ですが、私の子どもは「競技かるた」をしています。
競技中の静かで厳かなひりつきは独特の空間です。
礼で始まり礼で終わり、かるた特有のしきたりもあります。
畳の上の静かな格闘です。
ガッツポーズをしている選手は存在しません。
負けて悔しくて泣いている方はロッカーや通路でみかけます。
娘も試合後に涙ぐみました。
日本の農業は柔道と酷似。国際化を受け入れた後どうなるか?
令和の現代において、「多様性」という価値観がますます重要視されていると感じます。この価値観は、日本の伝統的文化と対照的な側面を持っているかもしれません。
ちなみに、農業は国際化を受け入れた後、日本独特の文化、取組みが薄れてしまいました。そして、食の大半を外国に依存する仕組みが生まれました。
日本の古き良き文化は、これからも守り続けられて欲しいと私は願っています。
長い歴史の中で培われたものには、優れた点もあれば、改善の余地がある点もあります。国際化の流れに乗ることは必然であり、外部からの影響を受けることは重要です。
しかし、不完全さを含めた内面からの洗練も同時に進めていくことが大切だと感じています。
昔ながらの農業というと、古臭くて型落ち農法のように感じます。
しかし、先人の知恵が詰まっており近代農業よりも、実は合理的な場合があります。
そして、お客様にもそれがどんどん認知されて、評価されているように感じています。(自分の実力が伴っていないのが悔しいところです、、、。)
柔道と農業。
似ている部分は国際化を取り込んだこと。
これからの課題は日本の古き良き文化の再興。
観客(消費者)や選手(農家)が競技(金銭のやり取り)だけでなく、道(食は生命産業であり、環境産業であること)を求めて、認めていくいくこと。
そのように感じました。
「故きを温(たず)ねて新しきを知る」
農業の本質を守りつつ、現代のニーズに応えていくことを手探りですがやっていきます。
長文を最後まで読んでくださり感謝しています。ありがとうございます。