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「第3の時間」の実践経験を深める
自分の時間は自分で決めてきたつもりだった。
しかし、還暦を迎えて振り返ると、固定的なライフコースや共通の時間割といった「公の時計」が敷くレールの上を歩いてきたことがよくわかる。
そして退職後に待っていたのは、超長寿化が生んだ膨大な自由時間。前半生に比べ経済や健康に不安を抱えているのに、ここでは「公の時計」が影を潜め、個人が時間を決めていくことになりそうだ。
親父の時代は役割を終えればすぐに死んでいけたが、今それは叶わない。団塊の世代からのメッセージも少ない。私たちは初の超長寿化世代で参照すべき前例が少ない。
息子世代でも「公の時計」の撤退が進む。働く時間と場所の選択に個人の裁量が広がり、またハラスメントを怖れて会社は個人への過干渉を避ける。社員として怒られた経験がない息子たちは、キャリア形成を会社に期待しない。自分だけが頼りだ。
このように自前の時間管理は、世代を横断した課題である。悪習と批判される「タイパ」も自前の時間管理の号砲といえる。
ところで、時間とは何だろう?
現代人は、常に未来を夢見ている。未来に設定した目的のために現在を手段にする。時間効率を重視し、達成すれば次の目的を据える。いわば「手段の時間」を生きている。
そんな現在に虚しさを感じると、遊ぶ時間を作ってバランスをとる。遊んでいると夢中になる。未来でなく、その瞬間を楽しむ「自己充足の時間」だ。ただ遊びは持続せず、夢から覚めるように日常に戻っていく。
私の前半生も、この対照的な2つの時間で生活リズムを作ってきた。
しかし最近、妻の病気をきっかけに第3の時間があることに気づいた。
病気に罹ると時間の流れが止まり、身体と向き合うことになる。目的を外して持続的に現在を生きる「脱目的の時間」で、家事や育児、ケア職の現場にも広くみられる。
これまで第3の時間は、無駄なものとして排除されてきた。しかし実は、学びの機会や無償の喜びを与えてくれる貴重な時間になる。
例えば、自分探しといった通時的な関心が、時間が止まることで周りの人や自然といった共時的な関心に移り、そこから自分を見返すことができる。
また、病気や介護の場面で予期しない偶発に応じる自分を楽しむようになる。
このように時間管理は、3つの時間をマネジメントすることから始まる。特に第3の時間の実践と再評価が鍵を握る。
私も積極的に第3の時間に身を投じ、未知の時間価値を楽んでみたい。