未来はわからない
毎年恒例の花火大会を見に行って、もう一年経ったのかと思いながら去年の出来事を思い出す。
ちょうど一年前の今頃、義理の父がガンであることが分かった頃で、まさかそれから半年後に死んでしまうなんて、私も妻も義理の母も、義理の父を知る人は誰も思ってなかった。
義理の父も自分が死ぬなんて思ってなかったに違いない。まさか自分がガンに蝕まれて死ぬなんて。まさか半年後に自分の遺影が仏壇に飾られるなんて。遺族厚生年金がこんなにも少ないなんて…
義理の父の死をきっかけに、自分が1年後に元気に生きてる保証なんてどこにもなく、未来の自分の確実性なんてまったくないと理解した。
もしかして妻がいなくなってるかもしれないし、子供がいなくなってるかもしれない。
今という瞬間を精一杯楽しんで生きて、死ぬ瞬間に全く悔いがない状態で迎えたい。それが理想なんだけど、どうしても自分には明日、明後日、一年後、十年後が確実に用意されてるように感じてしまう。精一杯楽しむことなんて難しい。
もし来年も花火大会が見ることができたなら、また同じような事を思うのか、それとも違うことを思うのか。花火が上がった時のドン、という大きな音が私の心を揺さぶった。
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