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声量=怒りではいけない



私の父が、私の息子を怒鳴った。


つまり、祖父が孫を怒鳴ったということ。


すごく大きな声で怖い顔で
怒りを表していた。


戦いごっこでのぼせていた息子(6歳)は
食事中の祖父を蹴ったのだ。

怒られて当然だ。


怒鳴る父を見て、わたしは自分の幼少期を思い出した。

わたしはいつも母、父どちらにも怒られるとき
怒鳴られていた。
時には叩かれたこともあった。

父は機嫌が悪いと、ドアを強く大きな音を出して閉めた。

愛情持って育ててもらったので
虐待では無い(と思っている)が、
親という生き物は、怒りを表すときに
大きな声を出して怒鳴り、言動が荒くなるものだと、
そう思って大人になり、そして子を授かり母になった。

わたしは、幼い息子を怒るときに
伝え方が分からなかった。

普段の通りに言っても聞いてくれないし
普段以上に私は怒っているのだと息子に
伝えたかった。

だからわたしは物凄く怒っている時は
大きな声を出し、怒鳴っていた。

旦那にイライラしたときはドアを強く閉めて
わたしは今機嫌が悪いのだとアピールしていた。


怒りを表すのは、そういうものだと思っていたからだ。

つい、最近まで。


幸い私は育児について勉強する事が多く、
怒鳴ることがタブーということはすぐに理解した。

が、しかし、頭で理解していても
長年染み付いてしまっている怒りの表し方は
中々すぐには改善できなかった。


長男を出産して6年目でようやく
自分の怒りをコントロールできるようになってきた。
(遅すぎる)


といっても育児について勉強し始めたのは
息子が3.4歳くらいからなので、
息子に対しては申し訳無さしかない。

息子がヒステリック気味に怒るのも、
伝えたいことがあるときに大きな声を出すのも
わたしが怒っているときにそっくりなのだ。


わたしも両親の怒り方が染み付いてしまっている。
怒りの表し方は伝染していくのだと思った。

怒りの表し方どころか、
育児のやり方も何も勉強しなければ
参考にできるのは自分の親しかいないのだ。

他に知らないのだから。

だから、虐待されていた人は
自分も虐待してしまうのではないかと不安になる。

様々な事情があり、愛をもらってこなかったと思う人は、自分の子を愛せるのか不安になる。


わたしは育児の仕方や、
子供への接し方も最低限でいいから
みんなが学ぶ機会が必要だと本当に思う。

もちろん、育児に正解なんてないのだけど。
最低限、最低限でいいから。

子供と共に成長していくとはいうけど、
子供の時間は巻き戻せない。

後悔を減らすためにも。
少なくとも私はもっと早くに知りたかった




大人が、大人に怒りを表すときに
感情が乗ってしまい大きな声になるのは
それはそれでいいと思う。
(私はもうしたくないが)

やはり、対子供に対しては
私たち大人は感情をコントロール
しなければならない。

子供は非言語の部分を敏感に感じとる。

きっと大きな声で正しい内容を伝えても
子供達には"恐怖"ということしか伝わっていない。


怒りを表すの時に
過剰なパフォーマンスは必要無いのだ。

「ママは今、〇〇されて嫌な気持ちになったよ。」

などと、目を見て事実を冷静に伝えればいいのだ。


こんな簡単なことに気付くまでに
6年もかかってしまった。

正確に言えば、分かっていたけど
自分の言動にまでは落とし込めてなかった。

もちろん今でもまだまだ感情を
コントロールできないときがめちゃくちゃある。

ただ、昔より俯瞰して、その時の自分の言動を
分析できるようになった。


そもそも怒るなんて必要ないんだと思う。

事実を伝えるだけでいい。

声量や暴力的な言葉遣いで
子供を萎縮させてはいけない。

私は明日も自分の感情をコントロールしていく。
コントロールするよう、頑張るのである。

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