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違法でなければ、何をしてもいい?
この記事は空想の存在のAさんとBさんによる空想の対話の記録である。
起――違法でなければ、何をしてもいい?
A「昨日、ネットで〈違法でなければ、何をしてもいい〉っていう書き込みを見たんだ」
B「へー、〈違法でなければ、何をしてもいい〉ねぇ。それで?」
A「どう思う?」
B「どうって?」
A「いや、〈違法でなければ、何をしてもいい〉って思う?」
B「君は、どう思うの?」
A「んー、なんというか、〈違法でなければ、何をしてもいい〉って考えは間違ってる気がするんだけど、何が間違ってるのかはよく分からなくて、もやもやしたんだよな」
B「なるほど、〈もやもや〉か」
A「そう。〈もやもや〉」
B「じゃあ、〈違法でなければ、何をしてもいい〉って考えについて、ちょっと2人で考えてみようよ」
A「望むところだ」
承――なぜ違法な行為だけはしていけない?
B「もしも〈本当に違法でなければ、何をしてもいい〉って考えが正しいのなら、それには理由があるはずだよね」
A「理由か。たしかに」
B「もしも、本当に、違法でなければ、何をしてもいいのだとしたら、その理由は何だろうか」
A「うーん……」
B「なぜ違法でなければ、何をしてもいいのか……」
A「そうだなあ……」
B「ちょっと切り口を変えてみよう。なぜ、何をしてもいいのに、違法な行為だけはしていけないんだろう?」
A「何をしてもいいけど、違法な行為だけはしてはいけない理由か……。例えば〈違法な行為は人に加害する行為であり、人に加害してはいけないから〉って理由があるんじゃない?」
B「〈人に加害してはいけない〉というのはもっともだと思う。でも、〈必ずしも違法ではない人に加害する行為〉はあるよね。差別的な言動とか。もっとも、差別的な言動が法に触れる場合もあるだろうけど※」
※参考:法務省「ヘイトスピーチ、許さない。」〈https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00108.html〉(最終閲覧日:2024年5月29日)
A「たしかに」
B「もしも本当に人に加害してはいけないなら、そういった〈必ずしも違法ではないけど人に加害する行為〉もしてはいけないことになる」
A「うん」
B「だとすれば、〈人に加害してはいけない〉と〈違法でなければ、何をしてもいい〉は矛盾するよ」
A「なるほど」
B「それに、人に加害しなくても、違法になる行為もあるよね。脱税とか」
A「それもそうだ……。じゃあ、何をしてもいいけど、違法な行為だけはしてはいけない理由は、〈違法な行為は秩序を乱す行為であり、秩序を乱してはいけないから〉なんじゃない?」
B「〈秩序とは何か〉によって変わるかもしれないけど、一般的には〈秩序を乱してはいけない〉というのももっともだと思う。でも……」
A「あっ。〈必ずしも違法ではないけど秩序を乱す行為〉もあるな。デマの拡散とか。まあ、デマの拡散が法に触れる場合もあるだろうけど※」
※参考:ハフポスト「地震起きたらデマにも注意。罪に問われることも。シェアする前に考えよう」(2024年01月05日)〈https://www.huffingtonpost.jp/entry/jishinokitarademanimochui-tsuminitowarerukotomo-sheasurumaenikangaeyou_jp_659778b9e4b0f27b6e36dcc7〉(最終閲覧日:2024年5月29日)
B「そうそう」
A「もしも本当に秩序を乱してはいけないなら、そういった〈必ずしも違法ではないけど秩序を乱す行為〉もしてはいけないことになる」
B「だね」
A「だとすれば、〈秩序を乱してはいけない〉と〈違法でなければ、何をしてもいい〉は矛盾する……」
B「そういうこと」
A「つまり、もしも〈人に加害してはいけない〉とか〈秩序を乱してはいけない〉って考えが正しいなら、〈違法でなければ、何をしてもいい〉って考えは間違いになるな」
B「そうだと思う」
転――法的制裁が重要?
A「もしかしたら、法的制裁があるかどうかが重要なんじゃない?」
B「法的制裁?」
A「違法な行為には罰金とか法的制裁が科される。でも、違法ではない行為には法的制裁は科されない。それが〈違法でなければ、何をしてもいい〉ってことの理由なんじゃない?」
B「法的制裁か。たしかに、違法な行為には法的制裁が科されて、違法ではない行為にはそれは科されない」
A「でしょ」
B「だけど、なぜそのことが〈違法でなければ、何をしてもいい〉ってことの理由になるの?」
A「それは、誰だって法的制裁を受けたくないからだよ。つまり〈法的制裁を受けると損になるから、違法な行為をしてはいけないが、法的制裁を受けないなら損にはならないから、違法な行為以外は何をしてもいい〉」
B「なるほど。だけど、制裁には法的制裁じゃなくても、社会的制裁もあるよ。周囲から非難されるとか」
A「社会的制裁か」
B「だから、法的制裁がないからといって、その行為をしても損にはならないということにはならないよ」
A「そうだけど、社会的制裁を受ける覚悟がある人にとっては、違法ではないその行為をすることは損にならないかもしれない」
B「例えば?」
A「例えば、xは違法ではない行為だけど、xをすれば社会的制裁を受ける。だけど、田中さんにその社会的制裁を受ける覚悟があるならば、xをしても損にならず、ゆえに、田中さんはxしてもいい……」
B「なるほど……。でも、同じことは法的制裁についても当てはまるよ」
A「どういうこと?」
B「法的制裁を受ける覚悟がある人にとっては、その違法な行為をすることは損にならないかもしれない」
A「例えば?」
B「例えば、yは違法な行為であり、yすれば法的制裁を受ける。だけど、鈴木さんにその法的制裁を受ける覚悟があるならば、yをしても損にならず、ゆえに、鈴木さんはyしてもいい……」
A「たしかに……。そう考えると〈違法でなければ、何をしてもいい〉、どころか〈違法であろうがなかろうが、何をしてもいい〉ということになっちゃうな……」
B「それに、そもそも」
A「なになに?」
B「〈法的制裁を受けると損になるから、違法な行為をしてはいけないが、法的制裁を受けないなら損にはならないから、違法な行為以外は何をしてもいい〉って考えは、〈損になることはしてはいけないが、損にならないことはしてもいい〉って前提がなければ成り立たないよね?」
A「言われてみれば、そうだな」
B「この前提が疑わしいんじゃないかな?」
A「たしかに……。もしもその前提が正しいなら、ナチスにとってユダヤ人の虐殺が損にならない場合は、ナチスはユダヤ人を虐殺してもいいってことになっちゃうな」
B「そういうこと」
A「じゃあ、〈法的制裁を受けると損になるから、違法な行為をしてはいけないが、法的制裁を受けないなら損にはならないから、違法な行為以外は何をしてもいい〉って考えも間違いだな」
B「そうだと思うよ」
結――規範は法だけではない
A「結局、どう考えればいいんだろう」
B「私が君にギターを貸して、しばらくしてから、私が君にギターを返すように要求したとしよう。そうしたら、君は私にギターを返してくれるよね?」
A「もちろん」
B「なぜ?」
A「なぜって、借りたものを返すのは当たり前のことだからだよ」
B「借りたものを返すことは、そういう法があるから当たり前のことなの?」
A「いや、そういう法があるかもしれないけど、別に、法が根拠ってわけじゃなくて、もっと、人として当たり前のことというか、何というか……」
B「そういう倫理観があるから?」
A「そうそう」
B「〈規範〉って言葉があるでしょ」
A「うん」
B「これは、簡単に言えば、行動や判断の基準のこと。法も規範の一種だけど、規範は法だけじゃない。倫理も規範の一種だよね」
A「そうだな」
B「規範の内容には〈○○してはいけない〉というような〈禁止〉も含まれる。だから、法の観点から〈してはいけないこと〉もあるのはもちろん、倫理の観点から〈してはいけないこと〉もある」
A「多くの場合、その2つは一致するよな。例えば、殺人は法の観点からも、倫理の観点からも〈してはいけないこと〉だし」
B「その通りだね。でも、ある行為が、必ずしも違法ではないけど、倫理の観点からは〈してはいけないこと〉に当たる場合もある」
A「例えば?」
B「例えば、さっき私が挙げた〈差別的な言動〉や君が挙げた〈デマの拡散〉は、必ずしも違法ではないかもしれないけど、倫理の観点からは〈してはいけないこと〉だよね」
A「そういえば、そうだった」
B「ほかにも、学校のテストでのカンニングそれにも当てはまる。必ずしもカンニングは違法な行為ではない。まあ、入学試験でのカンニングが法に触れる場合もあるらしいけど※。何にせよ、カンニングは明らかに倫理の観点から〈してはいけないこと〉だよね」
※参考:弁護士ドットコムニュース「カンニングで「偽計業務妨害罪」に問われることも…被害者は主催者、他の受験者?」〈https://www.bengo4.com/c_1009/n_5041/〉(最終閲覧日:2024年5月29日)
A「なるほど」
B「それから、例えば、医療に携わる人は患者の意思をないがしろにしてはいけないし、報道に携わる人は社会に誤った情報を伝えてはいけない。こういった職業倫理は、法にその定めがなかったとしても、守られなきゃいけないよね」
A「そりゃそうだ」
B「もしも〈違法でなければ、何をしてもいい〉って考えが正しいとすれば、違法ではないかぎり、差別的な言動も、デマの拡散も、カンニングも、職業倫理に反する行為も、どれも〈してもいいこと〉になってしまう。でも、私は、どれも〈してはいけないこと〉だと思う」
A「同感だな」
B「だから、私は〈違法でなければ、何をしてもいい〉って考えはやっぱり間違いだと思うよ」
A「ふむふむ……」
B「少しは、〈もやもや〉が解消されたかな?」
A「んー、ますます頭が混乱してきた」
B「あらら……」
こうしてAさんとBさんの対話は続くのだった。
おわり
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