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AIで死者を“復活”する新ビジネス。心の救済か冒とくか

こんにちは、サラダ味が好きなまーるです!

デジタル技術が日々進化する中、AIが私たちの生活にさらに深く融合してきました。

少し前にハッとさせられたのが、中国で登場した死者を「復活」させるAIビジネス。

これは、亡くなった方をAIで再現した動画を提供するサービス。およそ1週間で完成し、費用は4000元(約8万円)からです。

亡き人の写真や音声から、まるで本人がそこにいるかのような動画を生成するこの技術は、多くの議論を呼んでいます。

今日は、この技術がもたらす心の救済と倫理的な問題に焦点を当ててみたいと思います。

心の癒しとしてのAI

「パパ、ママ、会いに来たよ」という声がAIから流れる。

亡き者の声を再び聞くことができるなんて、失った人を悼む者にとっては何とも言えない安堵感を与えるかもしれません。

事故で亡くなった親族と「会話」できることが、心の支えになっているという人々もいます。

このように、AIが生成する映像や声が、遺族の心の傷を癒す手段となり得るのです。
捉え方ひとつですが、心の拠り所として必要としてる人は世の中にたくさんいるような気がします。

倫理的なジレンマ

しかし、ここで大きな問題が浮かび上がります。

それは、「冒とく」としての側面です。

冒涜(ぼうとく)とは、神聖なものや尊厳のあるものを、軽んじたり、汚したりすること

生前の姿をAIで再現する行為が、故人への敬意を欠く行為と捉えられること。

また、故人の肖像権やプライバシーの問題も関わってきますよね。

デモとして、ヘリの事故で亡くなったNBA選手コビー・ブライアントが流暢な中国語で喋る動画も見ました。
ファンの僕としては何とも言えない気持ちになりましたねー。
こんな蘇り方は望んでなく、栄光と素晴らしいプレーの数々はバスケのプレイ動画としてYouTubeにたくさんあるわけで、記憶に留めたい想いがスッと浮かびました。

うーん。
本当に故人や遺族の意志を尊重しつつ、これらのサービスを提供できているのでしょうか?

この技術の使い方には、やっぱり慎重な倫理的配慮が求められるでしょうね。

デジタル不滅の実現か

このビジネスを始めた張沢偉さんは、「私は今、人々を救っている」と語っています。

AIを利用して「普通の人もデジタルの力で永遠に生きることが実現可能」との考えです。

しかし、永遠の命をデジタルで保持することが、本当に私たちの求める未来なのでしょうか?

本物ではないものにどんな感情が生まれるか。

人間の生と死に対する本質的な価値観まで変えてしまうかもしれない。この技術について、社会全体での議論が必要な気がします。

まとめ

AIによる「死者の復活」ビジネスは、科学技術の進歩がもたらす倫理的な課題を浮き彫りにしています。

心の救済をもたらす一方で、冒とくと受け取られることもあるこの技術には、様々な意見が存在します。

この話題について、皆さんはどう感じますか?故人との「再会」が可能な未来、それは希望なのか、それともタブーなのか。

皆さんもこの議論、ぜひ考えてみてください。

僕はなくていいかなーと。

リアルの人との距離感や付き合い方がAIで同じ再現ができても、いつか本物じゃない虚しさが心のどこかに引っかかって、悲しさで押しつぶされそうなことになりそう。

人はどこまで言っても心と心でつながってますからね。

今日もクリエイティブな1日を!

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