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【音楽バトン】笑いと愛、縁と感謝。|音楽と文:NAO|石垣島の奏で vol.8

月刊まーるをご愛読の皆様、はじめまして。
NAOと申します。

無茶振りの匠こと、ケンヤマルセイユ兄からバトンを承りました!(笑)
毎度不意打ちで様々な無茶振りオファーをケンヤさんからいただくのですが(笑)、今思えばこれまでの無茶振りは、全てが貴重な私の財産になっていることばかりだったなぁと気づいてしまいました!(ケンヤさん、アリガト。(笑))

ケンヤさんとの出会いも含め、初めて石垣島を訪れた時から不思議と〝縁〟を強く感じていました。
そして、この音楽バトン連載のテーマもなんと〝縁〟ということで…!
素敵な巡り合わせをいただきました。
感謝と共に、お話しさせていただけたらと思います。

音楽の世界へ

私が歌の道を歩むきっかけになったのは幼少期のこと。
当時から歌を歌うことが大好きだった私ですが、びっくりするほど音痴だったそう。
母が見かねてなんとか音感をつけて欲しいと私にエレクトーンを習わせ始めます。

おかげさまでまともに歌えるようになり(笑)歌手になるんだ!と根拠の無い自信を持ち続けていたら、音楽の専門学校を卒業して間もなくのこと、2008年に、インディーズではありますがバンドで全国デビューするところまでたどり着くのです。
ツインボーカル、ツインギター、ドラムベース、6人全員が女の子ですが、男前なパンクミクスチャーバンドで活動していました。

ライブももちろん男前な私たちでした(笑)

CDはトータル3枚リリース、東北から沖縄までのライブツアー、そしてなんとアメリカでのライブとレコーディング。
本当にたくさんの贅沢で貴重な有難い経験をさせてもらいました。
このバンドでの活動は、私史上一生忘れない出来事ランキング不動の1位です。

12月のNY。タイムズスクエアの前で。極寒すぎて、みんなの表情が…(笑)
フィラデルフィアにある、某洋楽界隈では有名なバンドのエンジニアさんをしている方の自宅スタジオでレコーディング。

初めての石垣島

そんなバンド時代の仲間の繋がりで今から10年前の2014年、初めて石垣島を訪れます。

その頃の私はバンドから退いてソロ活動を少しずつ始めていましたが、挫折とスランプ、迷走期でした。
不安定な精神状態に疲れてしまい、私を誰も知らないところに行って、なにもしない、をしたい!と思って約1ヶ月間石垣島に滞在しました。

西表ミュージックfes2014に参戦!

石垣島に来たその日から、ご縁の輪がどんどん広がっていきました。お酒を酌み交わせばそれはそれは面白いくらいに広がっていったのです(笑)
石垣島の人たちはなんでこんなにフレンドリーであったかいのでしょう!!と感動の日々でした。

そして本当に不思議だなーと思うのは、音楽をやってる人たちと自然と繋がっていくんですよね。
ケンヤさんと出会ったのもこの時です。
滞在中のある日、ケンヤさんがバンドマスターを務める「ケンヤマルセイユオーケストラ」のLIVEを初めて観に行きました。

このバンドはオーケストラバンドなので、ステージの上にはたくさんのメンバーがいてとっても賑やか。ガッチャガチャしてる(笑)
だけど何より全員が、とにかくめっちゃくちゃ自由でめっちゃくちゃ純粋に楽しんでる!!
何の駆け引きもなく、下心もなく、シンプルにただただ〝音〟を〝楽しむ〟を、体現しているだけ。それだけ。

私はそこで漫画のような〝稲妻に打たれたような感覚〟を体験したのです。

なんなんだこの爆発力は!!!
今の私に必要だったのはこれだ!!!!!
間違いなく、これだった!!!!
売れたい、カッコよく見せたい!という気持ちが大きくなり、私は純粋に音を楽しんでステージに立つ感覚をどこかに忘れてきてしまっていました。
とってもとっても大切なことを思い出させてくれた瞬間でした。
同時に恥ずかしくもなりました。
私は今まで、なんて空っぽな歌を歌ってきてしまったんだろう、と。

あの日観た、大きな光の球が爆発するように輝いていたステージは今でもまだ心に焼きついています。

石垣島でのご縁たち

その5年後の2019年、私は石垣島に移住しました。
そしてなんと、このバンドにバックコーラスとして加入することに。
音楽はもうしばらくいいかなーと思って移り住んだはずだったんですが…なかなか音楽が私の手を放してくれませんでした。
だけどこの無茶振りオファーは純粋に、ただただ嬉しかった。
(ケンヤさん、ほんとにアリガト。)

にぎやかなアー写はケンヤさんの愛犬ベルも一緒に。
私が初めて参加したライブは2019年夏びらきfesでした。

音楽で食っていく!売れたい!が私の音楽のゴールではなくて、私と誰かを繋ぐ、人生において必要不可欠な存在が私にとっての音楽なんだなと、今こうやって文章にしてみて腑に落ちたような感覚です。

そして巡り巡ったご縁で現在は、石垣島生まれ石垣島育ちのシンガーソングライタ・、平田なぎささんのバックコーラスをメインに歌っています。
ハーリーやお祭りのステージに立たせていただいたり、島の人や神様との繋がりを強く感じることのできる環境で歌わせていただけるのは、移住者として大変貴重だなと思います。
なーぎーねぇねぇとは、なんとお誕生日が同じ日なので、これもまた不思議な縁ですよね。
出会うべくして出会ったような感覚です。

なぎささんのお店「なぎさにまつわるエトセトラ」の周年とお誕生日を祝うイベントにて。

あんなにステージの真ん中で歌うのが自分の存在意義だった私ですが、コーラスというポジションで歌うことが今はとてもリラックスして歌えてしっくりきています。
純粋に楽しんで歌えているのです。

こんな風に感じられるのも、全ては石垣島が私にもたらしてくれた〝縁〟のおかげです。

そしてその縁は、素敵なパートナーにも出会わせてくれました。
まさかこの島で結婚するだなんて、2019年の私は想像もしていません。
なんなんだ!この島は!!!(笑)
だからやっぱり私にとって、間違いなく石垣島=縁なのです。

きっとどこかで!

今年で移住6年目。
実はこれから夫と2人で飲食店を営むために目下準備中です。
食は音楽と同じくらい、人と人とを繋ぐパワーがあると思います。

やりたいことを生業として形にしていくことは容易なことではないと音楽を通して痛感はしてきましたが、今までたくさんの縁に私の人生を繋いできてもらったので、今度は自分がその先の縁を誰かに繋いでいく番なのかな、と自然の理のように感じています。

私自身もこの先の縁を有難く受け取りながら、この島で笑いと愛で溢れる暮らしを大切にしていきたいと思います。

これを読んでくださっているアナタとも、きっとどこかで…お会いしましょうね。

つなぐバトン

ライブで大変お世話になっているjazz barすけあくろ店主のDDこと、今村大道クンです。なんとびっくり、DDとは通っていた東京の音楽の専門学校が同じ!頼れる後輩にバトンを渡します!!



NAO
千葉県松戸市育ち。石垣島6年目。
好きな言葉は「笑いと愛」
中学2.3年生の時のクラス目標として掲げていた言葉が、今や私の人生のテーマに。自称、明るい根暗。
そのアンバランスな自分自身を愛する為のjourney40年目。


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