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嫌なことのなかに大切にしたいものがある
最近、自分にとっての仕事とは何かとよく考えるようになった。
私にとっての仕事は、自分が思考する場所だ。ねらいは何か、今回のしかけはどうするか、うーんうーんと考えながら授業をつくる。
授業をつくって、子どもからフィードバックをもらって、次の授業に生かす。(全てのフィードバックを生かせてるわけではないのだけれど、、)
今年専科になったからこそ見えてきたものがある。
担任のカラーに染まる子たち。
教師の様子を伺って反応する子たち。
あまり良い面ではないけれど、他にもたくさんのことが見えてきた。
高学年になればなるほど、体育会系の男の先生が担任として置かれる。
さらにいうと、それは学級王国ではないか?と思うようなクラスもある。
それは、幸せな学級なんだろうか。
担任がコントロールを握っている。
たしかに公立学校がうまく回るためには必要なものなのかもしれない。
でも私はそんなところが嫌だなあと思う。
たしかに、うまく回るかもしれない。けれどそれは、犬が主従関係を教わって、この人には逆らえない、と知って大人しくなる構図と似ている。
いいのかなあ、それで。
自分の仕事とは、なんなんだろう。
彼らとどういうかかわりをしたいんだろうと常日頃考えている。
(長野の美味しいお酒真澄を添えて🍶)