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実はね

実はね、ここのところ調子が悪かったんだよね。

熱をだしたわけじゃない。
吐き気もとくにはない。
食欲はあるし、夜も眠れている。

なら、どこが悪かったん?

うん、活字に疲れていたんだよね。
本を読むこと、noteのみなさんの記事を見ること、手続きが必要な書類の数々。

全部読めなくなっていたんだよね。

noteの記事が書けない。
スキ活動もできない。

苦しかった。
まだ、苦しい。

昨日投稿した記事だって、毛穴から出血する思いで書いた。
このまま離れていると、もうnoteに戻ってこれない気がして、無理やり書いた。

彼女との思い出は、いつも心の隅に引っ掛かっている。
それを書きたかった。
でも、書いていて、なにか大事なものが欠けていると思った。

そう、情熱だ。

情熱が湧きあがってこないのだ。

情熱を失った人は、なにをどうすれば元のような毎日を取り戻すことができるのだろうか。

季節の変わり目だから、鬱にも影響するのかな。

鬱になって五年経つ。
娘の高校の教師に、パワハラをうけたのだ。
娘がたった一教科赤点をとっただけで、秋休みに入って、旅行はやめろ。仕事も趣味もやめろ、常に娘の勉強を見ていろ、と命令された。
娘が留年になるぞ、と脅すのだ。

わたしはその通りにしたが、秋休みの間の毎日一日中ひっきりなしに教師からの電話が鳴り、いまはどうしているのか、と探りを入れられ、ちょっとコンビニに行っていて電話が取れないと、どこへ行ってたんですか、と詰問される。

やがて、わたしは電話が鳴ると布団を頭から被り、耳を塞いだ。
もう電話の線も外し、音が鳴らないようにした。

気づくと、わたしは病に罹患していた。
兄にメンタルクリニックに連れていかれ、「重度の鬱病です」と診断された。

いま、その鬱病がむくりと頭を持ち上げた。

薬は一ヶ月分もらっているので、次の診察は九月の終わり。

重度の鬱になり、普段の生活に戻るまでにだいたい二年かかっただろうか。
入院をし、その中で訓練をすることができた。
ねこを飼い、癒しを得た。
そして、小説を書くことで自分を安定させてきた。

だから、今回もひどくなる前に書くことで治したい。
焦りは禁物なので、なにか書きたいテーマを見つけるまで、散歩でもしよう。
近くに教会もあるし。祈りを捧げてもいい。
申年なので、猿を奉った神社に行ってもいい。

とにかく、いまはこれ以上悪化させるのだけは避けたい。

真夜中に無意識で漫画でも読もうとしたのだろう、キャンディキャンディと20世紀少年の漫画が枕元に積んである。
夜な夜な掘り出したんだろうな。
夢遊病なので覚えがない。

それに、腹が減ったのか、海苔の佃煮が台所にでていて、蓋を閉めてもいない状態で見つかった。
末期だ。

なにもかも、病気で起こっていること。

自分の行動が制御できない。

記憶がないからどうしようもない。

もう、解放されたい。

でも、死にたくはない。

苦しい。いま、とても苦しい。

こうしているいまも、こんなことしているから苦しいんだ。と誰かがわたしに声をかける。幻聴だ。

また、投稿してから躁が顔をだして、この記事を消してしまうかもしれない。

過去にもあった。
躁の状態で書いた記事を身内に咎められ削除したことが。
それは全部が全部ではない。
自分自身が納得がいかなくて削除したものもある。

ただ、鬱のときは吐き出した方がいいと思っている。
誰に迷惑をかけるわけじゃないが、あとで読み返すと嫌な気分になる。

これも削除するかもしれないな。
わからんけど。

まあ、人間、長く生きてるといろいろあるよね。
半世紀生きてるからね。

また、小説が書けるようになるまで、しばらくかかるかもしれないけど、でも、案外書いて治っていたりもするからね。わからないや。
まあ、誰も期待してないし。

ゴッホみたいに耳を切ったりはしないけど、ベートーベンみたいにアル中になったりはしないけど、自分を癒せる方法を見つけるよ。

書くことの楽しさをまた思い出せたら、書くからね。
情熱が煮えたぎったら、また書くからね。

それまで、サナギになってるよ。

あ、好きな歌でも挙げようかな。

とにかく、情熱がもどってくるまで、何気ない日常の記事をときどき投稿する。

鬱なんかに負けないよ。
一度、勝ってるからね。

まけねーぞ!!





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