![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158164052/rectangle_large_type_2_aeb7aea2c732f2100007731753c8cfc8.png?width=1200)
冷たい子宮
子供の頃、私と弟との扱いには格差があり、私は母にいつも「可愛くない」「あっちに行け」と言われていた。無表情で冷たい言葉をかける人、それが子供の頃の母の印象だった。
弟のように母の腕のなかで眠りたくても「邪魔くせぇ」と煙たがられる。
母と話したくて、勇気を出して「お母さん」と呼べば無視される。
母は父とのことでうつ状態になったとき、暗い寝室に毎日一日中閉じこもり、弟だけをその空間に受け入れていた。扉を開けるといつも腐敗臭のような臭いが漂うその空間に「自分も入りたい」と感じたことを覚えている。
強く記憶に残っていることはいくつかあるが、もっとも印象的なのは私が父に勉強のことで"焼き"を入れられた時のことだ。私の髪を掴み激昂する父。顔を殴られて蹴り飛ばれ「ごめんなさい」を連呼する私を尻目に、母は表情を変えることなく「やめろや、面倒くさい」とたった一言だけつぶやいた。
私は助けてほしかった。弟が父に殴られたときのように本気で止めてほしかった。この人にとって、私は面倒くさいだけの人間なのだと思った。
いまなら母も子供の頃にネグレクトされていたこと、若くして私を産んでいることなどから、上手く子供と接することができなかったのだと理解できる。それに、父と別れて一人で生活するようになってから母は180度変わり、私が20歳の頃にお互いの心情などを話し合ってから良好な関係を築けている。だから恨んではいない。
でも、あの頃の自分が心の中で燻っていて、たまに意識が引き戻されてしまう。母に愛されたかった自分、受け入れてほしかった自分。妻の深い愛情のおかげで満たされたところもあるが、たまに心の片隅で拭い切れない寂しさを感じてしまう。
これからもずっと、どこか満たされない心を抱えながら生きていくのだと思う。
いま親になり愛情を受ける側から与える側になった私は、すべての子どもたちが親からただ大切に愛されて生きられることを願っています。
【余談】母のこういう記憶を思い出すたび、遠藤ミチロウの『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』という曲を聞きたくなります。