リモートワークの、自由とデメリット
リモートワークを始めて
2年半が経過した。
世間が「リモートワーク」という言葉を
発明する前に、スタートしていた事になる。
そのため、自分よりも先に実行していた先輩や
サンプルが非常に少なく、自分自身で
「今日、どのように仕事するか」
を考えたり、試行錯誤するしか
なかったと言える。
リモートワークが導入された直後は
多くの人は浮かれると思う。
「やったぜ、通勤しなくていいんだ」
「もう会社の事務所に縛られなくていい」
「自由だ、最高!」
といった具合だ。
これは、ぼく自身も少なからず
経験した感情だったりもする。
ぼくの場合は、東京に事務所があるが
今はグンマーにいるわけだ。
東京も好きだが、今は住まなくて良いかなと
感じているようだ。
住む場所が自由になった事で
かなり、感情的には解放されたと思う。
ただ、世の中には
このような言葉がある。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
スパイダーマンの中で出てきた
有名なセリフだ。
少し言い方を変えてみると
「大いなる自由には、大いなる責任が伴う」
という事も
同時に言えると思っている。
多くの人は、自由や力が好きだったりする。
特に男、性に関しては
大きな2つの欲求の方向性として
・支配欲
・自由欲
と呼べるような、異なる2つの欲が
存在しているように見える。
支配欲というのは、この世の全てを
自分のコントロール下に置きたいような
そういう欲求だ。
どちらかというと、エゴ色も強く
ボス猿に欲に近いかもしれない。
例えば、都会の見晴らしの良い
高所にやたら住みたがる男性も一定数いる。
ちなみに田舎にはいないので
東京限定の欲のようにも見える。
彼らの欲求は、ボス猿が
「山の高いところに住みたがる」
と思うのと、ほとんど根源的には
変わらないと言える(欲=本能なので当然だ)
ただ、彼らのケースとしては
「成功経験が多い」「自信が強い」
という傾向もあるかもしれない。
「支配したい」「思い通りにしたい」
と思えるには、一定の自信も必要で
それを「できる」と、どこかで思っているから
そうなりたいと願えていると言える。
それが、彼らにとって本質的な欲求かは
本人自身もわかっていないとは思う。
一方で、自由の欲もある。
自由欲は、何にもしばられず
時間や場所も自由になりたい欲だ。
ぼく自身は、どちらかというと
こちら側寄りだと言える。
こちらのタイプは、支配したり
思い通りにするというよりは、、
「好きに生きていたい」
という傾向があるかもしれない。
もしかすると、タイプの傾向としては
抑圧された経験が多いのかもしれない。
「誰かや、何かにしばられた経験」
を持っていなければ、自由になりたいとは
思わないのかもしれない。
そういう抑圧が欲に出ている人もいれば
シンプルに「好きに生きたい」人もいるだろう。
生まれてから、ずっと自由だった人間は
「自由でいたい」などと思わないだろう。
だから、自由でなかった経験がないと
「自由」を志したりはしない。
ぼくも人生のどこかで、自由でないと
自分自身について感じた経験があるのだと思う。
同時に、好き勝手に生きてきたので
これからも同じく好き勝手でいたいと思ってもいる。
さて、話がそれまくりだが
リモートワークによって、少なからず
「自由欲」
が満たされた人も多いはずだ。
しかし、一時的には自由を感じて
解放された気持ちになった人にも、、
次なる試練が待ち受けていたりする。
リモートワークになると、自分で
働き方をほとんど全て自由にできる。
コントロールできるとも言えるので
ある意味、支配欲が満たされる人もいるはずだ。
ただ、これらが自由になり
自分の働き方を支配できるようになる一方で、、
「自由に働ける分、自分で
成果が出る仕事スタイルを構築する」
ここが課題になる。
会社という縛られた環境がある事で
ナマケモノでも、集中できた事実もあるはずなのだ。
ここ1年、ぼくは東京にもほぼ行かず
仕事仲間にも全く会わずに仕事してきた。
「どうしたら結果が出るか?」
ということは、社会に出てから
ずっと取り組んできた事であり
それほど、大きな支障はなかった。
だが、問題になったのは
良い仕事をして、終わった後に
「どのように気持ちをスイッチするか?」
ここが課題になった。
以前なら、会社の仲間と共に
都内の居酒屋にでも繰り出して打ち上げできた。
居酒屋で酒でも飲めば、それまで全力で取り組み
結果を出してきたことに関して、、
1つの区切りをつける事ができた。
「オレはよくやっている」
そのように思う事も簡単だったのだ。
「仕事が終わったあとのビール」
のうまさに関しては、多くの会社員が
感じた事があると思う。
そういう瞬間が、ぼくにもあり
それによって、全力で仕事をした自分を
一旦、解放してやる事ができた。
だが、一切仲間に会う機会がないと
そういう機会を持つ事もできない。
なので全力で仕事し、結果を出してきた自分を
自分自身で労う必要が出てきた。
これまでは、仕事の結果さえ出せば
自動的に、自分が解放される時間もあった。
「打ち上げ」1つで切り替わるのだから
簡単なものだった。
しかし今は、自分で仕事の結果を出せる
自分でいられる環境を整えて、、
結果が出た後も、その自分を自分でケアし
次の仕事への原動力を生み出す必要がある。
そういう次元に突入した。
仕事の成果だけでなく、仕事に向かう自分や
セルフエネルギーマネジメントの必要性が出てきたのだ。
これは、正直に言って、ほとんど
社長をやるような感じではないか?
と思ったりもする。
(経営者はそんなに甘くはないが)
会社員と、経営者の違いは
「働かなくてはいけない理由を
周囲から自動的に与えてもらえる会社員」
「働く理由を、自ら作り
自ら価値を生み出していく経営者」
というところが大きいと思っている。
正直、会社員は気楽だ。
自分で働く理由を作り出す必要性が
そこまで高くは要求されない。
サボっていれば叱られたり
結果を出せなければ叱られたり、、
真面目にやれば褒められたり
結果を出せば、褒められたり、、
とにかく、良い状況になれば
誰かがモチベーションを与えてくれる。
そこに存在しているだけで
勝手に結果や楽しみも生まれやすかった。
だが、少なくとも経営者は
叱ったり、褒めてくれる存在が少ない。
自分よりも上の立場に、誰も存在していない事は
想像以上におそろしい事でもある。
間違った方向に進んでいても
助言者がいない場合は、かなりのリスクだ。
気づかぬまま、おかしな方向に進めば
大きなリスクに直面するかもしれない。
一方の会社員は、経営者の立場など
ほとんど想像しないので
「社長」
「経営者」
といえば、お金をたくさん持ってて
羨ましいなどと思ったりする。
これは、だいぶアホな判断とも言える。
どう考えても、社長や経営者の方が
会社員よりも大変だ、と感じる。
もちろん、楽にやれてる社長もいるが
楽にやれるまでが、また大変だったりもする。
で、リモートワークになる事で
会社員の立場が、経営者に少し近づいたのではないか。
そのように思っている。
日本は、時給制度だったりで
「その場に存在していること」
「存在していれば、仕事するだろう」
という暗黙の了解で、給与が支払われ
結果は、そこまで重視されなかった。
だが、リモートワークになると
結果だけが評価として残ってくる。
これは日本が変わるには、良い傾向で
やればやるだけ自分も楽になれる。
一方で、どうやったら結果が出るか
しっかり向き合う必要が出てきた。
180度、仕事の仕方が変わってしまい
混乱した人も多いに違いない。
時には、自分が事務所で7時間も
仕事していた事が、1時間で終わる事もあるだろう。
一方で、7時間の労働をしても
全く価値を生めない時もあるはずだ。
なので、何もかも自分で
生み出す思考が必要になってくる。
全てが自由になれば、その分だけ
責任は自分で負うしかなくなる。
ぼくがいる業界の中では、かつて
==================
世界中、どこにいても仕事できる
==================
というのが、憧れになった事がある。
これに憧れる人たちを見て
ウラ側まで考えていないな、と思った。
世界中、どこにいても
仕事できるという事は、逆を言えば、、
==================
世界中、どこにいても仕事に追われる
==================
と、表現する事もできる。
結局、全てはどの側面をみるかの違いで
あとは個人の好みによる。
自己責任でやるのが良い人もいれば
責任を負わずに、縛られてた方が楽な人もいる。
工場や事務所がなければ
仕事できない職種については
「海外旅行」
にでも行ってしまえば、完全に
仕事から切り離される事ができる。
一方で、インターネットが繋がっていれば
どこでも仕事できるようになると、、
海外旅行に行っていようが
仕事の進捗をチェックできたりする。
すると、海外旅行の時ですら
仕事に思考の一部をとられたりもする。
「そんなの、見なければいいじゃん」
と思うかもしれないが、人間は
そこに選択肢が存在するだけで集中力が乱れる。
図書館では良い感じで
勉強に集中できる学生でも、、
マンガ喫茶で、集中して勉強するのは
むずかしかったりもする。
理由は「マンガ」という楽しい選択肢が
そこに存在するかどうかだ。
図書館には、難解な本しかなく
何の娯楽にもならない。
と思っていて、選択肢がないからこそ
「勉強するしかない」
と集中できて、勉強が
はかどる学生がほとんどなのだ。
こうした選択肢を減らすことを
必要としないタイプも、もちろんいるが
かなりの少数派だと言える。
また、選択肢の影響をゼロにできる人は
おそらくほとんど存在しない。
という事で、全てのメリットには
それなりの責任が伴ってくる。
リモートワークによって
選択肢が広がり、、
「世界中、どこに住んでも良い」
となった時に、何かの理由に頼らず
自分の住む場所を決める事だって
意外とむずかしい事なんだなと最近思った。
今、グンマーにいる理由はいくつかあるが
大部分は「地元だから」に尽きる。
この先、どこに住んで
どのように生きていくのが自分に良いか。
それを決める事ですら、大仕事に思う。
それを考えなくて済む人が
この世に大勢いる事も理解している。
自由が良いか、不自由が良いか。
これは、人によって異なるし
自由に伴う責任を求めてない人もいると思う。
冒頭で、男性の支配と自由の話をした。
力がほしい人が力を手にした時
自由がほしい人が自由を手にした時、、
それまで想像していた力や自由な世界とは
全く別の現実が見えてくる事になる、かもしれない。
英語の中で、自由という表現について
「free:責任の生じない完全な自由」
「liberty:何を選ぶも自由だが、選んだ責任を負う」
というのがあるらしいが
おそらく世の中は「liberty」の方に思える。
自由になるかどうかも含めて
全て自分の責任の中での、選択になる。
選択肢がない事で、今の人生に
集中しやすくなってる人も大勢いるはずだ。
そんな事は、誰も考えてないのだろうが。