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羊と鋼の森

きっかけはフロリジナルの記事を書いた事。
音階と香りについて少し検索していた時に出会った記事。

森の匂いがした。

羊と鋼の森 

記事の書き出しで、
本の一文目が書いてあった。
この文字が目に入った瞬間、

ー あ、フロリジナルだ…

と思ったのだ。

緑が深いこの森を抜け
その先のまちへ行こう

Mrs.GREEN APPLE/フロリジナル

大森元貴がこの本を読んだかどうかはわからないが、
この本に非常に興味を惹かれ、
すぐに購入した。
購入してからちょっと時を隔ててしまったが(ちょっと?)、
読み始めたら一気に読み終えてしまった。
直感は正しかったようだ。

あらすじ
ぼんやりと進路に悩む17歳の高校生が、体育館のピアノの調律に魅せられ、自身も調律師になることを目指す。
音楽に造詣が深いわけでも、耳が良いわけでも、際立った才能があるわけでもなく、自信の持てない日々を送る中、ただ愚直に丁寧に鍛錬を重ね、人との出会いが少しずつ彼を成長させていく。

最初から最後まで通して、
「一曲の演奏を聴いている様」だった。
全体的に穏やかで静かで落ち着いた、
けれども飽きさせず、
様々な情景が思い浮かぶような、
吸い込まれる感覚になった。
いや、
世界に溶け込む感覚と言ったほうが近いかもしれない。
鏡の向こうに空間があって、
手を恐る恐る伸ばしてみたらグンッと引っ張られるようにして世界に連れ込まれる感じじゃなくて、
光に包まれてスゥ…と消えてゆく感じ。
そう、そんな感じ。(どんな感じ)
つまらなそうに聞こえるだろうか?
少なくとも、
わたしにとってはそうではなかった。
森の中の情景、
実の落ちる様子、
ピアノの音、
そういった景色が映像で見えるかのようで、
音が聞こえてくるようだった。


そして、
心動かされる言葉が散りばめられていた。
考えさせられる内容だった。

「やわらかい音にしてほしいって言われたときも、疑わなきゃいけない。どのやわらかさを想像しているのか。必要なのはほんとうにやわらかさなのか。技術はもちろん大事だけど、まず意思の疎通だ。できるだけ具体的にどんな音がほしいのか、イメージをよく確かめたほうがいい」

羊と鋼の森

客のリクエストを言葉通り捉えるのではなく、
その言葉が纏っている詳細な部分を引き出せるようにならないといけない。
例え話であがっていたのが「ゆで卵」。
半熟が好きなのか・かたゆでが好きなのか。
半熟でも、
トロトロなのか・垂れてはこないがしっとりめなのか。
相手の頭の中に浮かんでいるものをイメージできるかどうか。
当の本人ですら形容しようがないことを。
音というのは形がない分、
言葉で表現するのは非常に難易度が高い。
これは当たり前のようでいて怖いことだなとも思う

「わたしは貴方を理解している」などと簡単に言えるはずがないと自覚すべきだ。
それは似ているようでいて非なるもの。
だからこそ、
相手の話をじっくり聴いて、
コトコト思考すべきなのだろう。
おそらく間違うだろう。
正解に近づけるかどうかもわからない。
それでもサボってはいけないのだ。


道は険しい。先が長くて、自分が何を頑張ればいいのかさえ見えない。最初は、意志。最後も、意志。間にあるのががんばりだったり、努力だったり、がんばりでも努力でもない何かだったりするのか。

羊と鋼の森

なにか目標が立って、
そこに立ち向かうのだという意志が初動にあり、
到達するまでの歩を進め続ける何かがある。
それでもゴールが靄に覆われ見失いそうな時、
もしくはゴールは視認できるのに目の前に大きな溝が待ち構えている時、
最後はやはり意志で乗り越えなくてはいけない。
ハッさせられた。


努力していると思ってする努力は、元を取ろうとするから小さく収まってしまう。自分の頭で考えられる範囲内で回収しようとするから、努力は努力のままなのだ。それを努力と思わずにできるから、想像を超えて可能性が広がっていくんだと思う。

羊と鋼の森

努力をすると、
これだけ努力をしたのだから、
何かしらでも形を成してほしい。
わすかでもいい。
自分のこれまで費やした時間が決して無駄ではなかったのだと思いたい。
そう思うことこそが、
自分の努力の幅に制限を設けてしまうのかもしれない。
費やした量ではなく、
望む場所にたどり着くためには、
歩みを止めてはいけない。
ただそれだけ。


これほどまでに熱意を注げることに嫉妬するし、
そのものに出会えるということだけでも、
非常に幸せな事なのだと思う。


最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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