ベイビーは大人になった。
39週1日間。
上の子がお腹に滞在した期間。
前日の夕方、
おしるしと呼ばれる微量の出血があり、
子宮口も3cmほど広がっていたこともあり、
そのまま入院することになった。
これは人気産院故の現実なのか、
週末に出産タイミングが重ならないよう、
収縮剤を打って陣痛を進めよう作戦が実行された。
初めての出産だったし、
そうなのか…と受け入れたものの、
後々思えば、
病院側の理由だったんだよなと思う。
丸1日かけて収縮剤を摂取したが、
もともと陣痛はなかったので、
まったくといって進む気配がなかった。
結局夕方摂取して最後となり、
夕飯を食べ、
病室でぼけぇっと過ごしていた。
18時過ぎ、
前日は生まれるかもしれないという緊張感と期待感で眠ることができず、
少し眠ろうと思っていた時だった。
少し身を捩ったタイミングで、
お腹の中心部で何かが破裂するような衝撃があった。
え?と思った次の瞬間、
腹部に猛烈な痛みが走った。
それはもうこれまで経験したことがないような痛みだった。
高位破水をし、
音沙汰のなかった陣痛が始まった。
ナースが言う事には、
明日の明け方くらいに産まれるかしらね〜とのことだった。
18時30分。
先は長く絶望を感じた。
ここで仕事中の夫に連絡する。
未経験者が得る事前の知識として、
最初は10分ほどの間隔で陣痛を繰り返し、
徐々に間隔が短くなっていくというものだろう。
ところがどうだろう。
これは果たして10分間隔なのか?
もっと短くないか?
部屋に一人で時計を見る余裕もなく、
とにかく頻発する激痛と向き合わざるを得なかった。
短くないか?
っていうかいきなり痛すぎるのだが?
まってなにこれ。
ちょっと1回呼吸をさせてくれ。
痛みを堪えることに体力を消耗し、
前日の寝不足も相まって、
途中意識を失っていた様で、
痛みで目を覚ますというサイクルだった。
途中呼吸が浅くなり、
普通に平らげた夕飯をトイレの床に戻してしまった。
(うわ、やってしまった)
と片付けようとしていたところを、
タイミング良く入ってきた(?)ナースに発見してもらった。
申し訳なさと恥ずかしさがありながらも、
痛すぎてそれどころではなかった。
診察を受けた所、
子宮口は6cmに広がっていて、
思ったよりも進行が早いらしく、
深夜あたりには産まれるかもしれないとのことで、
痛みに耐える時間が短くなったのは救いだった。
20時頃のことだった。
尚部屋で一人痛みと闘う中、
トイレに行きたくなった。
とっても大きいほうがしたかった。
トイレの便座に腰掛けた。
襲ってくる痛みとともに、
大きい方を出そうと腹圧をかけた。
かけてしまった。
そう、
それは大きい方じゃない。
ベイビーだ。
ベイビーが降りてきたのだ。
やってしまった。
トイレから動けなくなってしまった。
一人でパニックだ。
その時、
夫を部屋に案内してきたナースに発見され、
明らかにトイレで産もうとしている私を見て、
そして怒られた。
パニックと痛みで呼吸が荒れて、
怒られたってイキミの止め方がわからず立ち上がることも困難だったが、
夫が表れた安堵感と、
背中を擦ってもらったことで、
ずっと強張っていた身体から力が抜けたのを覚えている。
診察を受けると子宮口は10cm開大となっており、
そのまま分娩台直行となる。
22時頃だった。
22時33分
39週1日目
2710g
ベイビー降臨
おめでとう。
キミはよく頑張った。
本当はまだ出てくる気もなかったのに、
無理やり刺激してしまったね。
ごめんよ。
産まれる時から、
キミは予想を外してきたね。
まったく対策のしようがない。
一体どんな子に育つのかと思ったけれど、
親に似て優しい子に育ったし、
親に似ずアクティブな子に育った。
一人目で、
何もかも初めてで、
藤本美貴も言ってたけど、
今の自分の状態で上の子をベイビーから育てなおしたい。
この言葉は決して、
失敗したからとかって言うわけでなく、
余裕のある状態で、
子どもの成長を目に焼き付けたい願望である。
戻せないからこその願望なのだ。
出産の記憶は強烈に残っているのに、
その後の記憶が途切れ途切れで悔しい。
10代最後の年。
よい1年を。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。