身体の声に耳を傾けるという意味
柔術を始めるまえ、私はヨガの世界にいた。ヨガに興味を持ったきっかけは人間的にすごく柔らかな心を持ってるなぁと感じていた仕事仲間がヨガをずっと続けていたから。最初は本当にダイエット目的ぐらいだった。週に1回運動するということだけでも当時の私には大きなチャレンジだった。運動には全く興味がなかったし、できればやりたくないことだった。でも、今私が一番怖いことは怪我をして道場に行けなくなること(笑)人間、変われば変わるものだ。
ヨガは6年間続けていた。TTにも参加しヨガインストラクターの資格にも挑戦した。ヨガの深い鍛錬を積んでいた頃、繰り返し先生がクラスの途中に言っていた言葉を最近、思い出した。
それは「身体の言葉に耳を傾けましょう」という言葉。
ヨガの練習から離れ、格闘技の世界に飛び込み、身体の声に耳を傾けるという言葉は私の生活から消えていった。でも、standfm の配信仲間の方の「身体が先に知っている」という配信でご自身の「虫の知らせ」的なご経験について発信されていたのをきっかけに、自分自身のそういう経験を今週はなぜかいろいろ思い出していた。
まず思い出したのは「間の悪さ」を感じる時。
ことごとくタイミングが悪い出来事が起こったり、物をやたらに無くしたりと普段の自分にはあまり起こらない出来事が頻繁に起こるのだ。これは数年経って振り返ると「いてはいけない場所」に自分がいた時のように感じる。
普段私は遅刻魔ではないし、ものもめったに無くさないほうだ。だが、とにかく時間通りに到着できないことが起こる。「降りる駅を間違える」「タクシーが道を間違える」「スイカを紛失」「切符も紛失」その場所を去ることになってから、パタリとそういう出来事は止まった。
でも、そういえば、私にも「虫の知らせ」のような経験がいくつかあったことを思い出した。そして、それは不思議と眠っている間に起こる。人間の生死と隣り合わせの出来事が二つ。一つは自分の、もう一つは親友の生死の分かれ道だった。
この感覚を事前に確信を持って、「何かが来る」と察知するのは非常に難しい。
普通の体調不良との違いもわからないし、予期したことが目の前で起こったとしても何もできないからだ。でも、この感覚を研ぎ澄ましておくことは大切だろうと改めて思った。
「身体の声に耳を傾ける」
1日に一度は思い出してみよう。
よく何かの決断をするときに「心の声に耳を傾けてごらん」などと言われるが
心と身体は案外同義なのかもしれない。