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揃える揃えないで揺れるぼくら#2
いつでも「揃えられる」からこそ「揃えない」
どうも!
ましゅまろの会、ましゅまリストの、ゆーし@探究の教師です!
今回は、前回のあきさんの記事を受けてのリレー記事です。
1. 揃えられない僕
僕が教員になったばかりの時は、「叱れない」教師でした。
あきさんのいう、いわゆる「〇〇スタンダード」は僕の学校にもありましたが、僕の声は教室の喧騒の中に消えていくばかり、、、。
先輩教師からは、
「時には厳しく叱れないといけないよ」
そう教えていただきましたが、なかなかうまくできませんでした。
結果、クラスはうまく回らない状態に。
僕は
「どうしたら子ども達を思いのままに操ることができるのか」
という問いのもと、指示や説明、問いかけ方などを必死に学びました。
いまだに、4月には学級崩壊をする夢を見ます。それほどに、その時味わった「子どもをコントロールできない」ということへの恐怖は強烈でした。
2. 揃える僕へ
そこから数年が経ち、僕は「叱る」先生、「揃えられる」先生になりました。
しかし、今思えば、その実態は子ども達がただ恐怖で僕の言うことを聞いていただけなのかもしれません。
ふと、そのことに気づいた時、僕が手綱を緩めたことがありました。その瞬間、いとも簡単にクラスは傾いていきました。
僕がその時揃えていたものは、見た目としての規律であり、中身ではありませんでした。子ども達の思いはどうあれ、ただただ揃えるために揃えていたことに気づきました。
3. 揃えるから揃えられるへ
そこから、僕は子どもたちの思いを大事にするようになりました。元々、その思いはあったのですが、全く子ども達には伝わっていなかった。(いや、そもそも大事の方向からして怪しいかもしれませんが、、、)
もっと子ども達に「大事にしている」ということが伝わるように、声がけ、授業、学級経営のすべてを再度デザインしていったのです。
しかし、残念ながら、すべての思いを受け入れられるわけではありません。安全・安心面でどうしても揃える場面は出てきます。
そこは、苦しんで学んできたことを生かしながら、押さえつけるのではなく、子どもたちが納得する形で揃えられるようになっていきました。
4. 揃えられるからこそ揃えない
今の僕の子ども達への声がけは、大きく変わったなと振り返ると思います。
シンプルに、
「あなたはどうしたいの?」
「この目標に合っていればなんでもいいよ。」
そんな声がけをすることがほとんどです。
「それはいい」「それはダメ」なんてジャッジしていた昔とは大違い。
でも、そういうふうな指導に変われたのは、「いつでも揃えられるから」なのではないかと思うのです。
一番は子ども達の安心・安全。その大きな括りとしての基盤は揃えられる。だからこそ、細かい部分は子ども達に委ねることができる。
今回のましゅまろの会での読書会を通して、そんなふうに自分のキャリアを振り返ることができました。
今日はこれでおしまい。
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