LGBT法は鶏か卵かの雰囲気を感じた件について

記事のきっかけ

LGBT理解増進法案が衆院の内閣委員会で通過した。個人的にGoogle Alertでニュースを定点観測していたからどういう論調がメディアを覆っていたかは大体追えているかな、と思う。色々追っていった結果、この法律、あるいは性的マイノリティーに関する問題は「鶏が先か卵が先か」という結論に個人的に達したのでその所感を書いていく。この数ヶ月間「LGBT」をGoogle Alertのキーワードに設定して記事(少なくともタイトルは)一通り目を通したので気になった点を特に順序を設けずに話していこうと思う。

「トランスジェンダー一辺倒」が生む先入観

今回の法整備の議論は、ほぼ「トランスジェンダー」にだけ集約されている。メディアを賑わせたキーワードは「性自認」「性同一性」と言ったもの。もっといろんな人がいるのに「LGBT」=「トランスジェンダー」のようなイメージがついてしまったのはのちに権利拡大を図ろうとした際に大きな足枷になってしまう気がするし「LGBTの理解を深める」というお題目なのに完全に先入観を植え付けるものになってしまっている。Google Alertで追っかけた限り、レズビアンもゲイもバイセクシャルもそのほかの性的マイノリティーも置いてかれている。建設的な議論ではなくなってしまった印象。

「トランスジェンダー悪用論」に思うこと

反対意見を見ると、そもそも「トランスジェンダー」が入ってくること自体に反対する人と「自称女性」を名乗った男性が性犯罪などの目的で女性空間へ侵入することを懸念する2つの潮流があるように思う。前者に対してはこれからの時代は「差別」としての啓発であったり、見た目をどうしていくかの問題が立ちはだかるのだろうけど、後者の「悪用論」は個人的にかなり違和感を抱いている。

自分は「どんな制度でも悪用する輩はいる。だって死刑になりたくて人を殺すのだから」と考えている。だが、今回の議論に当てはめるには1つエクスキューズ(言い訳)を付け加えさせて欲しい。

それは「トランスジェンダー」を悪用するのであれば、現在の男女のみによって制度が規定された世界を悪用する人も当然ながらいるということ。単純なもので言えば性的マイノリティー当事者が感じる「生きづらさ」だ。彼ら彼女ら(この表現すら今後はどうなるのか)の生きづらさと引き換えに、私たちは一定の安心を享受している。

そもそも「男女」という枠組みでさえ、想定していない格差を押し付ける事例(選挙権の規制、医学部の入試不正など)があるわけだ。「LGBT法が悪用される」と考えるなら「現状の法体系は一切悪用されていない」ことを示してくれ。LBGT法が制定されれば、少なくとも現状起きている「少数者に生きづらさを押し付ける」という悪用(というか法体系そのものの問題)は緩和されるぞ。

もちろん、悪用がされないための制度設計は不可欠だ。ただ、悪用されないための解決法が「そもそも作らない」では、あまりに近視眼的なものの見方だと思う。「死刑になるために殺人」が発生するのを嫌って、殺人罪そのものを無くす人はいないだろう。

乱立する法案 最後は「ジェンダーアイデンティティ」へ

GW明けに与党が法案を提出してから、いろんな政党がいろんな法案を提出した。一番揉めた「性自認」なのか「性同一性」なのかについては維新・国民民主が出した「ジェンダーアイデンティティ」にすることとなった。自分はこの文言に対しては「まあこれが落とし所やろうな」と感じた。それぞれがそれぞれの都合のいいように利用するまさに「妥協の産物」だが、何もないよりはずっとマシだ。

ただ、この修正案に対しては当事者団体からの批判が相次いだと言っていい。

↑2ページ目だけアーカイブしました。

そもそも、当初案でさえ「不十分」との批判が相次いだ。「差別禁止」ではなく「理解増進」と銘打っている限り、本気度は伺えない。

そして、今回はさらに「多数派への配慮規定」が設けられた。そして「民間の団体等の自発的な活動の推進」が削除され、「調査研究」が「学術研究」となり、学校教育での努力義務が「保護者の理解と協力を得て行う」とされた。当事者が求めた内容には遠く及ばない。

特に「多数派への配慮規定」は要らんことしたと思う。文字列だけ見れば別に大した文言ではないけど、「少数者が多数派に配慮してきた(というか差別されるのが怖くて言い出せなかった)」のが今までであって、それをこれから先も強いるように読めてしまう。性的マイノリティー、とはいうけれど「多数派が少数者を受け入れる」という図式が見え隠れして嫌い。

でも、この規定を設けないとそもそも法案が成立しそうになかったことを考えると維新・国民はまだ「リアリスト」なのかもしれない…将来的には絶対外すべき規定第一位。

法整備と事例のどっちが先か

今回、2年前から散々揉めに揉めまくった法案が一応成立したが、今回の記事を書く一つのきっかけとなった記事がある。

性的少数者(LGBT)への理解増進法案を巡り、大分県別府市は2日、温泉入浴のあり方など懸念される問題点を議論するLGBTワーキンググループ(作業部会)を設置したと発表した。

https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20230603-OYTNT50009/

別府温泉で知られる大分県別府市が、LGBTの温泉入浴のあり方を巡って議論を始めたのだ。Twitterで繰り広げられる無責任な煽りとは無縁で、記事の扱いも小さいが、重要な一歩だと思う。

というか、これすら始まってなかったのだ。確固たる実例もない中で法整備をしようとしたところで、議論は紛糾するし「それ必要?」という反論が出てくる。でも、今回「法案提出」という契機がなければ議論すら始まらな勝ったと思う(というか反対派によって捻り潰されていたとさえ思ってしまう)。

LGBT法はこのような「鶏が先か卵が先か」という状態だったと思う。いや、本当は欧米にたんまりと事例があって、本当は「事例」が先に来て日本も追いつけという流れだったはずだけど。ただ、こうやって日本でも一つずつ地場の「事例」を積み重ねていくしかない。かくいう自分自身も性的マイノリティー当事者をたくさん知っているわけではな。僕自身も「事例」を積み重ねないといけない。遅いけど。何周遅れなのかと思うけど。

終わりにちょっとした愚痴を

でもまあ、選択的夫婦別姓のように、四半世紀前から「事例」だけ積み重ねて一向に法整備しないから「今回も骨抜きにされたままで終わってしまうのでは」という懸念がさらに衝突を深めているようにも思うけど。「これが一歩目で理解が深まるであろう5年後には『差別禁止』で作りますから」とかの類が全く信用できない・想像できないというのもありそうだけど。

だって法案作っている議員の中に「理解」しようとしていない人がいるの丸見えだからね。「骨抜きにできた」とか喜んでいる議員がいること知っているんだよこっちは。

というわけで今回はここまで。

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