ロシアとウクライナという二元を超えて
前回山極寿一さんのインタビュー記事を掲載させて頂いたが、そこから今回起こっているロシアとウクライナの戦争に当てはめて考えてみたいと思う。
元々ソビエト連邦という一つの国だったものがソ連の力が弱まりウクライナが独立した。しかしなかなかウクライナの方もその中で分断が起こり内紛が起きていた。
ウクライナ国内でも宗教であればロシア正教、とウクライナ正教、カトリックなど別れているし、言語もロシア語とウクライナ語で別れている。土地は分けることは出来ても人の心や文化までは分けることは難しいのだと思う。
山極さんはそこで「あいだの思想」の必要性を説いた。
「あいだの思想」とは、ものごとをはっきりと区別し、分けようとする二元論に対して、分断することのできない事物の「あいだ」を認める西田哲学の論理だ。
さらに山内得立はインドの竜樹が説いた「テトラレンマ」という論理を独自に体系化した。
テトラレンマとは「四つの選択肢」のことで、①AはAである
②Aは非Aではない
③Aでもなく非Aでもない
④Aでもあるし非Aでもある、の四つだ。
①か②しか認めない西洋の「排中律」の論理に対して、テトラレンマは、Aと非Aの「あいだ」を認める「容中律」の概念であり、③と④が可能になる。
ここで分かりやすくAを"男"とし、非Aを"女"に置き換えてみる。
①男は男である
②男は女でない
③男でもなく女でもない
④男でもあるし女でもある
どうだろうか?①と②は二元論であるが、③と④はまさに「あいだ」の人だ。
これをロシア人とウクライナ人に当てはめてみる。
①ロシア人はロシア人である
②ロシア人はウクライナ人ではない
③ロシア人でもなくウクライナ人でもない
④ロシア人でもあるしウクライナ人でもある
少しイメージが膨らんだだろうか?③は私たちのような日本人も当てはまると思う。また③と④に関しては分断していく中で自分のアイデンティティーを失いかけたロシア人だったりウクライナ人も当てはまる気がする。つまり各人種のジレンマに悩む人々だ。ハーフの方々などは正にそこに当てはまると思う。
このように見ても二元論的考えがいかに無理があるか感じないだろうか?
「あいだ」が存在する以上、④の両方を肯定する思想こそが、世の中を救うと山内得立は言っている。国レベルにまで広げてしまえば、"ロシアでもあるしウクライナでもある"ということだ。曖昧なまま認め合い包み込むような言葉だ。
そうは言ってももう、戦争は始まってしまっている。戦争を望むのは権力者だけであり、民衆は望んでいない。インターネットやsnsが広まる今の時代は世界中で思いを一つにすることが可能だ。この戦争は一日も早く民衆の力で終わらせなければならないと思うし、可能だと私は強く感じる。
この戦争が終わった後、私はロシアが孤立しない形で対話をすることが必要に感じる。そのために必要なもの、それは山極さんも記事に書いていたが、共有できる物語だ。
世界が共有できる物語を作るためには、文化の多様性を認め合って、文化をつなぐことが大切とのこと。
ロシアの文化。思い付くところ、食べ物はピロシキ、ボルシチ、民芸品はマトリョーシカ人形、文学はトルストイ、チューホフ、ドストエフスキー、音楽はシベリウス、ロシア軍隊格闘術のシステマがある。ひとつマトリョーシカを例に語りたい。
私はマトリョーシカを知ったのは大人になってからだ。入れ子の形で中からどんどん一回り小さな人形が出てくる。私はこれに似たものが学校に入る前に入会した公文の先生の自宅玄関の棚にあった。それは寄木細工の箱の中にさらに箱が入っており、またその箱の中にまた小さな箱が入っていたものだった。その箱は仕掛け箱になっており、順番に動かさないと開かない仕掛けだった。
私はこれを開けて、また開けて、更に開けてという作業が堪らなく楽しかった。勉強するより遊びに行っていたと言っても過言ではない。実際先生の玄関の棚の上は地方の民芸品で溢れており、毎回時間を忘れそれらで遊んでいたからだ。
そんな私が大好きだった箱と同じような構造の人形が異国の地にあることが驚きだった。ロシア人もきっと同じように遊んでいたに違いないと思うと親しみしか感じなかった。
何も知らない同士でも、同じ共有の物語が存在することで心を通わせることができると思う。
記事に2001年のユネスコ総会で、「文化的多様性に関する世界宣言」が採択された。その中で、創造は「他の複数の文化との接触により、開花するものである」とうたわれている。つまり文化間交流によりイノベーションが生まれると。
じつはマトリョーシカ人形は日本の入れ子人形からヒントを得て作られたそう。まさに日本とロシアの文化間交流のイノベーションだ。その文化はロシア全土に広がった。日本人の文化が形を変えて融合し、ロシア人の心に染み渡っている。人種は違えども心は兄弟のようなものだ。
文化の人をつなぐ力は偉大だと思う。最近の大きな文化間交流といったら日本のマンガではないだろうか。日本のマンガは世界中の人々に日本の文化、きっと思想も伝わったはずだ。もしかしたら知らず知らずのうちに「あいだの思想」も入っているかもしれない。
どうか世界中の人々が対立するような争いの中でも「あいだの思想」を思い出し、お互いの共有の物語を携え、平和の喜びを讃え合える世界に転じていけるように願う。
これを書いた直後にロシアとウクライナが対話の合意がなされた。うまくいくことを心から願う。