生徒が摂食障害の私に痩せたいと言ってきたので、美しさについて改めて考えた
先日、温泉の更衣室で体重を測りあう女子学生らしき4人の会話が耳に入った。
「どうしてそんな可愛くなったの?何かしてるの?」
「ガリガリじゃん!」
「痩せすぎ、もっと食べなよ」
「少し太った?」
私はお湯に浸かり、自然と高校生の頃を振り返る。
いつも制服の靴下をどれだけあげるのが一番足が細く見えるか気にし、人とすれ違う時は顔を作った。
お昼はサラダかスープで、あとはOS1を飲んでやり過ごしていたけど、途中からそれも恥ずかしくなりいっぱい食べる女の子を装い吐くようになった。
その結果、作り上げた自分への期待に苦しくなり、痩せていない自分にどう価値を見出せば良いのか分からなくなっていた。
それでも高校卒業しマレーシアで過ごす中で、美しさの多様な定義に触れたことで過去の自分を癒し、美しい以外の自己形容ができるようになっていったように思う。
自分を愛することが美しいことと、美しい自分を愛することは全く違う。
摂食障害を抱える人には波があり、自分の理想の範囲にいるうちは絶好調で、むしろ自分が綺麗の象徴であるかのような感覚を持つことも多い。
しかし、あるきっかけで理想の範疇から逸れているの認識した瞬間から自傷行為として絶食または過食をする。この無限ループ。
その上、悲しいかな、そういった人の多くは承認欲求がとことん強い。自分で自分の価値を理解できないと思い込んでいるから。
この無限ループを経験しての結論は、
「健康でいたいかどうか」だと思っている。
健康にフォーカスできるようになってからは、いつもお世話になっている乗り物(身体)に酷いことはしないようになった。
今も、体が重いと地獄のような気分になるし、人前で食べる行為も好きになれないが
好きなひとにぎゅっとされるのも、好きなひと達と美味しいものを共有できる幸せも知っている。
バイト先である塾の生徒から、「先生は何を食べてるの?どうしたら痩せられるの?食べてないのに痩せられない」と言われ、ついにこの瞬間が来たかという気持ちになった。
サラダしか食べない私を見て悲しそうだった母の顔も、こんな愛しい子達の口から痩せたいなんて聞くと、容易に理解できた。
咄嗟に出た私の答えは、「あったかいものを食べてるよ、ずっとぽかぽかでいるのが良いよ」だった。
ぎゅっと抱きしめたくなったから。
どうか容姿の美しさの呪いに縛られないように。
いつか彼女達に、私の心の美しさについて聞いてもらえるまで、
私はこの呪いと私なりに闘っていくよ。
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