復職者による「良いご身分日記」③ 水呑百姓東京に現る
どうもご機嫌麗しゅう。時短勤務の人です。
休職のことと、復職後の生活について記録していきます。
今回はいよいよ復職するとこまで書くよ!
いえーい!バイブス上げてこ〜!(空元気)
ちなみにこれまでの記事をマガジンにしてみたのでよろしければ何卒。
がんばれ!復職準備
復職にあたって急務は診断書の入手だった。
毎月心療内科に通うことになっていたので、お医者さんにもうすぐ休職の期限が切れること、復職を目指していることを伝えた。
折しもその前日に内科での血糖値爆上がり発覚事件(概要はこちら)があり、体調面の懸念が持ち上がったタイミングだった。
先生と相談の結果、一週間後の内科再受診の結果を見て、復帰の判断をしましょうということになった。
そこから本格的な低糖質ダイエットと、毎日2万歩の散歩生活が始まった。
努力の甲斐あって一週間で数値が落ち着き、無事に復職診断書の入手に成功した。
ちなみに更に二週間後には血糖値や血圧の薬を全てやめることができて、現在は心身ともに万全なスペックだ。頑張ったでしょ。
ちなみにこのあたりの状況はリアルタイムに会社の人事に報告していた。
めっちゃやきもきしただろうな。
立ち向かえ!産業医面談
無事に復職診断書を入手した次は、復職可能かどうかを最終判断する産業医面談が待ち構えていた。
とは言っても面談は復職予定日の前日に設定されていて(というか面談したらすぐ復帰する算段)、実質的には出来レースのような具合だった。
産業医面談はZOOMで、人事立ち会いのもと行われた。
初めて画面越しに対面する産業医は若い男性で、髪型もビシッと決まっていた。医者というよりもビジネスマンのような印象を受けた。
産業医の手元には診断書と、治療の経緯について心療内科医がまとめた報告書がある。履歴書をもとに質問される面接のようなものだった。
はじめに心身の具合と休職中の過ごし方について、次に内科の治療について血液検査の数値結果も込みで聞かれ、答えた。
当初の血圧や血糖値はかなりバグった数値だったので、いくらか驚いたようだった。慌てて現在は落ち着いていることを数値と一緒に伝えた。
「あなたはストレスの影響が身体に出やすい体質をお持ちなのでしょう。現在は休養によって落ち着いていますが、ストレスがかかると同じことが起きる。今後も心と身体、両方のケアが必要です。復帰しても、しばらくは無理をしないようにしてください」
全部わかっていたことだった。ガラスの心以上に身体が薄弱なのだ。
「復帰したら、周りを見て焦ることもあるかも知れません。けれど体質は体質なので、自分で自分を守るしかないです。会社では誰も守ってくれないですから。周りに取り残されたような感覚になることもあるでしょう。けれど焦らず、会社で何か勉強するんだ、くらいの気持ちでやっていきましょう」
こう言われてはっとした。
そうか、自分って周囲に、社会に取り残されてるんだ。
休職した6ヶ月間の重みを初めて実感した。
とんでもないことになったなと思う反面、そんなことも気づかないくらいには休養を求めていて、必要だったのかも知れないとも思った。
面談は40分ほどで終了した。
晴れて手筈は整い、翌日から復職することが正式に決まった。
今日は来ただけで八億点
産業医の言葉にいくらか衝撃は受けたものの、疲れて早めに寝たおかげか翌朝はスッキリ起きることができた。
起き上がれないんじゃないかと少しは心配していたけど、むしろ気持ちは淡々として軽やかだった。ここしばらく歩くことに快感を覚えてきたので、駅まで歩くのが楽しみだった。電車では本だって読める。
天気予報は曇りのち雨だったがなんの妨害にもならなかった。
雨の日でも歩けるようにしっかりした傘を買っていたから、傘をさす機会を待ち侘びていた。
そんな具合で6ヶ月ぶりの通勤はスムーズに進み、出社時刻の20分前にオフィスビルに着いたので、喫煙所でゆっくりTEREAのオアシスパールを吸った。ビル周辺は修繕で少し変わっていたが、喫煙所は何も変わらなかった。
オフィス階に上がるエレベーターで、同僚と同乗になった(韻を踏んだ)。
ご心配とご迷惑をおかけしまして、と挨拶しつつ「ボタン押した階で合ってますよね?えへへ」と浦島太郎ムーブをかます程度には余裕があった。
出社し、まずは人事の席を尋ねた。
挨拶をし、自分の部署まで連れて行ってもらう。6ヶ月の間にオフィス内の配置替えがあり、自分の席すら分からない有様だった。
そこには自分が使っていたノートPCやモニタ、キャビネがあった。
誰かが移動してくれていたんだね。ありがとう。
自席に着くと、たくさんの人が声をかけてくれた。
お帰りなさい、よかったです、無理をせずに、と口々に言ってくれる。
シンプルにあったけえと思った。
中には「良かったあ、と思ったらなんか泣けてきました」と言ってはらりと涙ぐむ天女もいた。
こちとらあなたにケツを拭かせて、家で踊る大捜査線を見てた人ですよ、と申し訳なくなった。
休職経験があり、喫煙所仲間でもある同僚も席に来てくれた。
「今日は来ただけで八億点ですよ。私も復帰した時にそう言われました」
何点満点なのかは聞きそびれた。
水呑百姓、爆誕
初日は特段することがなく、来ることが最大の仕事と言って良かった。
復帰の挨拶をし、PCを立ち上げてシステムやツールにアクセスできるか確かめる。その後は時間まで月次資料や連絡事項を読んで、会社の動向をなんとなくキャッチアップするだけだった。
手持ち無沙汰なので、何度も水を汲みに立った。
誰でも使えるウォーターサーバーがあり、水が飲み放題なのだ。
水を飲みながら、ある単語が脳裏をよぎった。
それは江戸時代の貧農、「水呑百姓」だった。
水呑百姓は自分の田畑を持たず、年貢も免除される。その代わり村の一員とも認められない寂しい存在だ。貧しくて水しか飲めない、というのがその由来だ。
水呑百姓の身分が、今の自分自身の身分と合致した。
当面は時短勤務で、たいした仕事は任されないことになっていた。
復帰した日は折しも全社的な催しが開かれる日だったが、時短なので当然免除されていた。周囲はみんなおめかししていたが、自分は普段着だった。
俺、水呑百姓やないか。
情けない農民の表情が頭に浮かんで、可笑しくなった。