(仮)台湾旅行記:旅行前夜より
東京国際空港、通称羽田空港を使用するのは、かなり久しぶりのことだった。
東京国際空港という名を持ちながら、新東京国際空港、通称成田空港(現在は正式名称も成田国際空港である)に国際線の大部分を移管し、その役割のほとんどを国内線に移行させたのは、僕が生まれるだいぶ前だ。
ものごごろついたときからすでに、僕の中では「海外に行くなら成田、国内旅行は羽田」という固定観念が染み付いており、当然羽田空港は国内線利用としてしか使ったことがなかった。
そんな風に羽田空港を見限っていたものだったから、国際線、とりわけLCCの便が多く就航していることを知ったときは、かなり驚かされたものだった。
僕は友人の写真家とともに、台湾へ4泊5日の旅行に出かけた。海外旅行は実に1年ぶりだった。結構な頻度で行っているじゃないかというツッコミがくることは当然だと思うのだが、僕は半年に一度、ほぼ必ず1ヶ月以上海外に滞在していたので、1年という間が空いたことは僕にとっては久しかった。
今回の目的は、表向きは台湾にいる同業の写真家であり、台湾に留学している学生でもある友人に会いに行くことだったが、個人としては、あまりにも明白で露骨な自尊心の崩壊を癒すためだった。
僕は海外に行くとき、ポケットWi-Fiをレンタルしたり、SIMカードを購入することはほとんどない。最近では持っていくこともたまにあるが、まあまずない。こと台湾に関して、台北市には市内全域に公衆Wi-Fiが張り巡らされており、文字通りどこにいてもなにかしらの電波を拾えるのである。
そんな中で、わざわざ常に電波を受信し続けるほど緊急な状況でもなかったし、また恋人に「SNSを見るな」ときつく忠告を受けていたので、僕は台湾であまり携帯を見ないようにした。俗にいう、デジタルデトックスというやつである。
その代わり、新たに購入したフィルムカメラでたくさん写真を撮ろうと決めていた。
カメラについて詳しくない方々に対して簡潔に説明すると、スマートフォンに搭載されているカメラや大手の電機屋で販売されている商品のほとんどはデジタルカメラであり、撮影した写真はデータとして直接保存される。一方フィルムカメラは「写ルンです」に代表されるように、撮影するには装填されたフィルムを巻き上げ、シャッターを切る。その後撮影した写真を確認することはできず、そのフィルムをプリント屋さんや写真館などに持っていき、「現像」という工程を踏んで漸く「写真」になる。
僕は普段からデジタルカメラで撮影を行うので、この試みは初めてだった。
同じカメラでも、デジタルに慣れている僕からすれば全く別の機械であり、旅に出るまでにある程度操作性や写真の仕上がりを確認すべく、というよりそもそも本当に撮れるのか?というある種の懐疑を払拭するために、一度試しに撮っていたはよいものの、慣らし運転は少し足りなかったような気もする。
横浜駅の西口にあるデパートの中に、小さなプリント屋がある。羽田へ向かう前、僕はそこで友人の写真家とともに、いくつかフィルムを購入した。最近ではフィルムがさらに値上がりすると聞いて、「ああ、なんでこのタイミングでフィルムカメラを始めてしまったのだろう」と自らを嘆くばかりだけれど。デジタルカメラの場合、写真を編集する工程において大幅な余裕があるため、比較的誰でも取り掛かりやりやすいが、フィルムはそうはいかない。また、使用するフィルムやレンズによって、あるいは現像を行うラボによって、写りに大きな差が出るのも面白いところで、僕はそれを心底楽しみにしていた。
だいたいフィルム1本につき、撮れる枚数は27か36枚であり(他にも色んなパターンがあるが、多くはこの2通りである)、値段に多少の差はあれど、これで600〜2000円くらいである。高い。高すぎる。まさか旅行に出る前に1万円近くの出費が確定するとは思わなかった。フィルムで撮影する写真家が言っていたのはこういうことか。
羽田空港国際線ターミナルに到着したのは、深夜0時半ごろ。早朝5時55分の便で台北へ向かうため、始発がなかったゆえの苦肉の策だ。いわゆる空港泊。手頃な24時間営業のカフェに腰掛け、なんてことはない無駄話をしながら、チェックインが始まる時を待つ。
友人の彼は、これから台湾に行くというのに、タピオカミルクティーを注文していた。結果、コンビニで売られているものより味は悪かったそうだ。大手のカフェなんかで飲む商品に関しては、だいたいたかがしれていて、正直僕も彼らに求めているものは、たいてい高速Wi-Fiと電源くらいである。
特にゲートをくぐるまですることもないので、搭乗手続きを終えると、その足でそのまま保安検査場をくぐる。そうそう、フィルムは手荷物検査の時、X線を通すとダメになってしまうらしく、一つ一つハンドチェックを申し込むのが通例だそうだ。一度なら耐えれるが、二度は耐えれない、何度かやるとダメになる、など、個体によって様々だそうだが、せっかく高いお金を払って購入しているのだから、いやに慎重になってしまう。とはいえ、10本近くのフィルムをいちいち開けさせ、確認する作業も、保安検査官に対して申し訳なくも思ってしまう。その上僕の手荷物にはラップトップにカメラ2台、バッテリー、外付けのHDDなどなど、電子機器で溢れかえっており、それらを一度出すのでさえ一苦労である。
手荷物検査を終え、出発までの間、しばらく時間をやり過ごす。この日は朝日が美しかった。なんていうほどの語彙しか持ち合わせていなかったのが悔しく、この朝日を思い出してなんとか描写を試みているが、いまひとつその正体はぼんやりとしていて、果たして何が美しさの本質であったのかもわからない。そんな中、隣の彼は手持ちのカメラ(おそらく、あの時彼はカメラを4台持っていた。)で貴重なフィルムをこれでもかと惜しげもなく巻き上げまくり、その朝日を目に焼きつけんとしていた。
そう、僕はカメラを持ってきてはいたが、荷物になるのがいやで、レンズはキャリーバッグに入れていた。当然、それは一足先にゲートをくぐり、僕の元を離れて行ってしまっていたため、再会できるのは台北だ。当たり前の話なのだが、レンズがないと、写真は撮れない。いや、撮れはするのだが、何も写らない。
「新たに購入したフィルムカメラでたくさん写真を撮ろう」
そんな風に決めていたはずなのに、僕は早速出遅れた。
今回の旅では、躊躇なく、「いい」と思ったものを撃ち抜いてやろうと思っていた。しかしながら、それは台湾に着いてからだという意識がこびりつき、まるでこの空間を認識できていなかった。
確かに旅とは家を飛び出した時から旅であり、また、えてして目的とは異なったものが印象に残っていることが多い。明らかに油断していた。台湾に着けば、その瞬間から情緒的で、風情溢れる街並みと、それを活気づける人々の誇りに、レンズを向けられると思っていた。
台湾に飛び立つ前から、目の前に広がる祝福とも言えるあの情熱的な空を、僕はただ見ているだけだった。
5:55発PeachMM859便は、予定を大きくずれ込み、9時過ぎに台湾桃園国際空港に着陸した。