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結婚と苗字のことなどなど

公の原稿ならなかなか書けないんだけど
noteなら書きたい・・。
何かわからないけれど今のこの私のなかに動いているものを
書き残しておきたい・・と思うことがある。

人間はほんとうに儚い存在で
私の身内のなかにも
急に心筋梗塞で亡くなったり
闘病、事故、どんなに若くても寿命がきて
天に行ってしまった人や動物がいる。
生きているものは、何の前触れもなく
いつこの世界から消えていってもおかしくない。

ただ・・
その後には天国という世界があると
ちっちゃな子供のきもちで信じているので
この世界で見えなくなっても、
愛するみんなとは、いつの日にかまた天国で会えると信じている。

それでも、自分が急にこの世界から消えてしまえば
「ああ、話しておきたかったな・・」と思うことがきっとあるだろう。
そういうわけで
全部は無理なのはわかっているけれど
ほんのかけらだけでも、
このYuigon日記には書き留めておきたいと思うんだよね。


私はときに難しいこと・・というか、
屁理屈のような、自分勝手な考えを文にすることがあって、
読み返すと嫌になって消したり、原稿用紙なら捨てたりしてきた。
でも、そんななかにも、少なからず真実があるので、
消すまでにいたらない雑文も多々ある。それはしかたがない。
にんげんはどこまでいっても不完全で、又、変化し続ける。
不完全な私が、その時々に考えたり思ったりしたことを、
私という小さな人間の断片として、
へんでも、おかしくても、残しておきたいというきもちがある。


人間は変わる。
私自身の覚えている限り、昔の考え、昔の思い、信じていたこと、いいと思っていたこと、悪いとおもっていたこと、愛してたものや人、嫌いだったものや人、それらをトランプのカードを拾うように一枚一枚眺めると、
それらは、その時その時の、現実だったわけだ。

今とは異なる考え方をしていた時期も異なる思いも存在していた。
その一方で、今でも共感するもの、今も変わらずに愛しているものや人、
相変わらず好きになれないことごとなどもある。
どちらにせよ人間は、変化して、変化して、またまた変化して
詩のように表現するなら、川は流れ続け、川の底の小石も転がり続け
浮かんでいる葉っぱも、流れ流れてやがては、その姿を変えるということ。
それはしかたがないこと。

人間の限られた経験値や知性で測れないもの
それが大自然であり、人生なんだと思う。



昨今は、さまざまな理由のゆえに、
たとえ婚姻関係を結んでも、苗字はそのまま変えずにいることを望む人も
世界中にいる。
それがいいとか、悪いとかではまったくなくて・・・
私という人間は、どんなふうに思っているのかだけを今日は書いておきたいと思った。


私は、自分自身の苗字が変わった経験をしているけれど
それによって自分を失ったとは、一度も思ったことはない。
結婚して、通帳の名前が変わる。
結婚直後のある日、
銀行で「○○さん、三番窓口にお越しください」
と自分の新しい苗字を呼ばれた時
私は、嬉しかった。
単純に、嬉しかった。
人生の次のページを歩き始めたんだな・・というかんじ。
なにかうきうきするような、新しい冒険の旅が始まったような、
そんな新鮮な感動があった。
それは、あったかいものだった。


結婚とは
私にとっては
私という存在のノートが一冊あるとすると
そのノートの独身だった自分のページが
新しいページに移っていくこと、そんなかんじだった。
過去の自分と分断されたわけでも、過去を切り取られたわけでもなく
むしろ、さらに豊かになったかんじ。
喜んで、新しいページへと移っていくかんじ。
彼と溶け合っていくかんじ。
彼と、恋人というどこか不安定なものから家族になるかんじ。
彼の大切な家族や、
彼が子供の頃から親しい親戚の中にも私という人間が交ざっていくことを喜んでもらえて
新鮮で、より親密な関係の中へと入っていくかんじ。
彼の人生と私の人生が溶け合って
文字通り、雨の日も風の日も助け合う約束を交わすこと。
喜びは2倍に、悲しみは半分になること。
結婚とは私にとっては、そういうことなのである。
そう・・・
それくらい単純だけど、大きなこと。
大切な、貴重な決断。
それが結婚するということだったと思う。



私たちが結婚しようと決めたのは
それは前々から二人で計画を立てていたからでもなかったし
経済的に準備が整ったからでもなかった。
(むしろ、おたがい貯金もなく、それほど安定した仕事もなく、とにかく、  なにもなかった笑。)


「わたし、結婚しよう」と思ったのが4月で、
結婚式をあげたのが6月だった。
4月のある日、
呼吸するように自然に湧き上がった無理のない想い。
彼と結婚しよう・・という、シンプルで迷いのない想い。

理由も、準備も、お金もなにもない、でも
ほんとうにちっちゃな子供のように「けっこんしよう」と
すーっと、その想いが、きて
ずっとそのつもりで、いつそうなってもいいと思っていた彼も
「うん」と言った。
それだけだった。

自然な流れの中の、自然なことだから
そんなにびっくりすることでも、ビッグニュースでもなくて。

でも、自然だからこそ、それは尊いことだった。


旧姓から、彼の苗字に変わっていくのも
二人が人生を本気で溶け合わせていくための
自然な流れのひとつだったにすぎない。


でもね
私は、今のこの自分の名前が大好きなんだな。
だって人生を彼と共に歩んできた私が、
この名前のなかにいきいきと生きている。
今日も、明日も、永遠に
ずっと生きているからね。