見出し画像

バレエの美保子先生のこと

十代のころ憧れだった美保子先生は、常に機嫌が良い人だった。
また、森下洋子さんに、顔も身体つきもよく似ておられ、いつもすごくおしゃれだった。


十代の私やバレエ友だちのファッションは、多分に先生の影響を受けていた。
まず、バギーやベルボトムのジーンズ。それに夏は薄いタンクトップ。
スカートならふんわりロングで、7センチはあるサボや、皮のロングブーツを合わせる。


細い肩に大きな黒いバッグをかけ、右手には大きなラジカセで、フェアレディZに乗って、あの、四国の山あいの町に先生は週一回来てくれた。

長い爪はいつも綺麗に塗られ、指には大きな飾りがついた指輪を一個だけつけていた。たぶん高価な宝石などでなく、お気に入りのおしゃれリングだった。いつか、あんな素敵な指輪を買おうと、決心したのを覚えている。


田舎町、池田には、白亜(はくあ)という名前の、白いスペイン風の喫茶店があった。
土曜日の夕方に私たち中高生レッスンが終わると、

「コーヒー、飲みにいく?」と誘ってくれる。

白亜には、やはり巨大なスピーカーがあり、そこから見知らぬインストルメンタルの音楽が流れていた。
あの白亜でのひとときは、現実から逃避した夢のような時間だった。

そういえば、、、、

一度、美保子先生に、腰の治療に愛媛県松山市まで
連れて行ってもらったことがあった。
椎間板ヘルニア気味の私と
交通事故後遺症で首が痛かった美保子先生。
おじちゃんの運転で、民間の有名らしき整体師の家まで行った。


整体師はバキバキ、ギリギリと私たちの身体を笑いながら曲げたり、回したり、引っ張ったりした!
いた〜!て、思わず声をあげるくらいなんだけど、
畳の間の真ん中に布団が敷いてあり
地元の人がぐるりと囲み、
私たちをニコニコしながら見ていた。

珍しいタイプの患者だったのだろう。

帰りに、整体師から
姉妹?と聞かれて、照れたけど、すごく嬉しかった。


その夜は、おじちゃんのお兄さんの家に泊めてもらった。なんと、その家にはコーヒーがなかった。
でも、おじちゃんも、美保子先生も、ニコニコ機嫌が良くて、コーヒー飲みたいと一度も言わなかった。

ほんとうに機嫌がよいふたりだった。


私も、いつもそうありたいと
今も思う。