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わたしがNOと言えるようになった日

朝から、いきなりどんなタイトル?
と自分でも笑っているけど。

今日は電車で保育園に行くので早起きして準備もできて
だから余裕があるので少しだけ最近、頭をよぎることを書いておこうかな。

わたしはもういい年(笑)なんですが
そしてとっても積極的で悩みもなくなんでも思ったことを言えるように、、、
見えるのです(だそうです笑)

でも、そうでもない。
TPOにより、そういうときもあるけれど。

実は、”NO….”
とほんとうは腹の底で思っているけれど
相手の気持ちや状況や、立場や、いろんなことを秒でパパパパパパと考えて、NOが言えない子供〜大人だったんです。
初めてNOと言いたい時に、言えたのは
なんと40歳過ぎた時・・・・。
笑うでしょう???


それも教会の牧師さんに。
素晴らしい牧師さんなんですが、多忙ゆえ
私はなんでもよく頼まれるタイプでした。
で、
はい〜(^^)って、
実際疲れていても、言っていました。

疲れていても、ちょっとだけ嫌だな・・
と思っても、
それさえ感じない・・ような、
麻痺した心の構造が
幼少期から完成していたのでしょうね〜
、、、( ;  ; )
かわいそう笑!


今はもう、体も弱り穏やかな親たちですけれど
育ててもらっている時は
ある面で支配的だった・・・のですね( ;  ; )。
全部ではないんですヨ。
なんというか、今となっては本当に過去でしかないんだけど、、、
当時は、大好きな親だけど、しかし怖かった・・・。
(ごめんね、今こんなこと言ってパパママ)

子としての私は当時、
今日は親が機嫌がいいのだろうか? 
悪いだろうか・・?
喧嘩していないだろうか?
常に気になっていて
放課後帰宅したら、
そうっと、確認していた自分を覚えていますもん・・・ね笑。


今は笑えるけれども
子供時代って、
親が自分の生存権を握っているので、
私も必死だったように思う。
ドキドキ、ハラハラ、不安定で。


しかし、私には生まれついた根っこの明るさがあるので(^^)
嫌なことがあっても、わりとすぐに忘れてカラカラ笑える子でもあったんですね。
しかしですね・・・・😱
怖いことに・・・
あまりにも早く忘れて笑っていると・・・
グサっと😱
ほんとうに、こうグサっと😱
釘を刺されて
ひえ〜〜〜〜〜〜〜って😭なっていました!笑。

「早く立ちなおったらだめ。
もっと反省して、静かにしておいて。
笑ってる場合じゃないのよ!」みたいな・・・
そんなかんじの、グサッでした。😱😱😱

いやでも今はね・・
もう老齢の穏やかな親なんです。
ただ当時は、彼らも若くて、
まだまだ自分の中の弱さと闘っていたのでしょう。
焦燥感やストレスみたいなものが
いちばん立場の弱い、反抗できない者、
つまり私に向かっていたんだろうなと思います。


もちろん、
今は、そんな親のことは既に赦しているし、
痛みも忘れました。
時間の経過のなかで
私が癒されたから、
すべてを忘れられたのです。


そして歳を取るにつれ、
気づくのは
30歳でも、40歳でも、親になっても、
人間って不完全なんです。
現在進行形で成長していくのです。
だから、むかしの親の言動も、
しかたなかったんだな〜と感じます。

でも、私は正直に言って、やはりかなり傷んでいたわけです。
みょうに気を遣う子どもになってしまってネ。

だからこそ、、、、
自分の産んだ子供たちには
ぜったいにぜったいに
そんな風なことはしてはいけない。
できないし、しない。
彼らを一個の人格として尊重したいと
心していました。

反抗してくれることを、かえって喜べました。
愛のなかで、育てたと思います。
(失敗もたくさんあったけどね・・・ごめんね優しい子らよ😹)

子供を支配しなかったことは、
ほんとに良かったと思うんですね。
支配は罪ですから。


で、その ”NO”が、
なんで、40すぎるまで言えなかったのかということですけれど・・・・
いや、逆に、
なんで40過ぎでやっとこさ
「ごめんなさい、できません」と言えたのか???

それはネ、
親友が後押ししてくれたからです。
人格的にも尊敬できる親友が
「今度、何かを頼まれたら、絶対にNOって言おう。ごめんなさい、できません…ー それだけでいいのよ。シンプルなこと。練習してみて!」
と言ったのです。

「え〜 無理〜!笑」と私は言ったけれど
「いや、もう生まれ変わろうあつこさん。
もう誰にも自分を支配できないんだと、
自分がどうしたいかは自分で決められるんだと、
それを心でしっかり受け取って、
実践してみよう!」
って、優しく強く、励ましてくれたのです。

そうしたらですね、実にタイミングよく
「あつこさん、○○してくれるかな、おねがい!」と先生から依頼がすぐ来たのです笑。
親友が、
まさに真横にいた時にでした・・(奇跡☝️🥹)!


そして、わたしは、吃音を生じたかのように、、
「ごご、ごめんなさい。いい忙しくて、む無理なんです」(おどおど)
って言えた。
そうしたら
これまでいつも
「はいわかりました😊🙏」のあつこが
NOを返したものだから
牧師先生も一瞬、ぽかんとして・・
でもすぐに
「あ、そう!はい、だいじょうぶですよ!😊」
と言ってくれたんです😂。

親友は「あつこさん、できたじゃない!おめでとう!」て😂。

それからNOの練習を、続けて行って・・・(もちろんなんでもNOではないのでね笑)

それからは、
訪問販売で、めちゃくちゃ高い漬物を樽で買わされることもなくなりましたし・・・・(T . T)

不動産で賃貸するときプレッシャーかけられても、きちんとNOが言えたし・・・

だんだんとNOを言えるレベルが上がっていって・・・

たとえ、長らくお世話になって来た人にも
自分ができないことや
もう続けられないこと、
自分の心の底が「もうやめたい」と思っている時には
冷静に、誠実に「NOです。ごめんなさい」
が、やっと言えるようになりました。

そしてね、さらにね、
その後にも、
再度お願いされたり、
再度引き止められること、、、ありますよね?
頼みこまれたり、
プレッシャーをかけられたり、いろんな形で。

でも、そんな時も
よし、怖がらないぞと、
冷静になり
心を決めて
「やはりNOなんです。ごめんなさいね」
と、言えるようになったのです。
嫌われたり、相手をがっかりさせたりすることを
恐れない自分に変わっていったのです。
逃げないで、言葉にして、断れるようになったのです。


Noと言われた人が、怒る、悲しむ、
それは
その人の感情の自由なあらわれ。
感情とは
その人が自分で向き合い、
その人が責任をもつ領域なんですね。
その人が所有するもの。
その人の領域なんです。

逆もしかりです。
自分が、もし誰かにNoと言われても、
まずするべきことは、相手の権利を受容すること。
その後に、自分で自分の感情に向かい合えばいいのです。
ショックを受けても、自分の内側でやがて解決していけます。
時間の問題だけなんです。
心の深い部分で、静かにNOを受け入れると、
しだいにスッキリしていきます。
傷ついたとしても、必ず癒されます。



ちなみに
三つ子の魂百までも・・っていうじゃないですか?
だから、わたしも、ときどきは
「あんなにあの人にはお世話になって来たんだから・・断れないかなあ😅」
という、ほんとうにほんとうに断り切るのが辛い場面は出てきますよ。
今でも悩んだりためらったりするケースは来ます。
でも、そんな時は、
ダンナさんに、私は助けられています。
ありがたいです。( ;  ; )

『NOをいうことが、相手のためでもあるんだよ』

って、彼は再確認させてくれる。

『いつまでも、
”あっちゃんという人は、たとえ一旦Noを言っても、またグッと押せば押し切れるはず”と、
相手が思うとしたら、
それは相手の勝手な思い込み。
その人の未熟さであり、
その人の病的な問題なんや。
相手は、その事実を学ばないといけない。
どんなに素直な人でもコントロールしてはいけないんだ。
あの人にはあの人の人生があるんだ、、、と。
大事なことを、その人もそこで学ぶ。』


そうなんです。 
一方的なことではないのです。
わたしたちは双方で学ぶ。
NOと言うことを学び、
NOを受け入れることを学ぶ。
±ゼロ。


もしこれをたまたま読まれて
なにかハッとするものがあるならば
昔の私のように
紙に書いて、
しばらく冷蔵庫なんかに貼っておくといいかもしれません。^_^


【NOをNOということは、自分の人生のため。そして相手の成長のため。だから一時的な感情に振り回されないようにしよう】

って。


そろそろ保育園にいって来ます〜〜〜〜(^^)