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「社会適合者vs社会不適合者」の二極化の図はもう捨てないとね

今朝思い出したこと そしてとっても大切なこと

長女と先日ちょっと話をした時に ある仕事先での話になった。
そこに外国から来ている若い女性がいて
その子は実際、聡明で人としてもとってもいい人。
英語は堪能だが日本語はまだ難しい。
その言葉の壁がゆえに、あるミーティングでなんらかの指摘をうけたそうだ。
「○○と前に伝えたのに、それができていませんね」というような指摘内容。
その子は、無言で、「でも、それは・・・」と何かを必死に伝えたい空気が痛いほど感じられたそうだ。
長女は、黙って見ていられず、ミーティングの雰囲気を悪くしないように配慮しつつ、その子の尊厳をしっかりと守るために、手をあげて発言したらしい。

長女からすれば、問題にされた事の原因は、単純に言葉の壁、コミュニケーションギャップだけであったのは明らかだったが、なにかその場に、その子を外部者と見るような空気があることに、悲しみと怒りを感じたと言っていた。
西欧ではなくアジア圏から来ている子ゆえに生じる偏見というか、無意識に下に見ているような雰囲気が、その場に漂っていて、そこに深い悲しみと悔しさのようなもの、ジレンマを感じたのだ・・と話してくれた。
いや、ジレンマ・・というより、
やはり「かなしみ」だと思う。
かなしんだのが、実に彼女らしい。


私には二人の子がいて
彼女の兄である長男のことを思い出す時、
幼い頃から今日に至るまで、正義感を隠せずに、
正義は正義として、率直に生きてきた人だと思う。
それがゆえに幼い社会でも叩かれたのを見てきた。
きっと大人の社会でも叩かれることはもちろんあるだろう。
でも、だからと言って、辛い場面にほうりこまれても
そのありのままの自分を変えずにいること、
いや性分として変えられないこと、
それは、彼が彼であるゆえんだ。
自分が不利になっても、妥協しない、妥協できない。
周囲に理解されなくても、不器用すぎても、それがありのままの彼であり
愛すべき存在だと思う。客観的にそう思うのだ。


長女も正義の人である。
二人は似ていないようで、とてもよく似ている。
長女は幼い頃から
長男と世界の間に、なんらかのアンバランスや誤解が生じる時に
両者の真ん中に立って、誰もが傷つかないですむように
誰もが誤解されたままで終わらないように
一生懸命そのバランスをとろうと、静かに頑張ってきた人だと思う。
それを、たぶん今も、
いろんな場所で
いろんな人と世界の間に入ってやっているのではないだろうか、他者の境界線を大切にしながら…



突然
ホリエモンの話になるけれど…
彼は東大を中退後、マンションの一室で起業した。
やがてライブドアという会社で一世を風靡し、フジテレビを買収しようとする真っ只中、
各分野の陰謀や圧力を一身に受け、社会から抹殺された。💢
その時、刑務所の独房で泣きうめいた時の赤裸々な手記『ゼロ』をかつて読んだ。できるなら多くの人に読んで欲しい本。特に前半のところ。

時代の寵児、スーパースターが、一夜で悪人と呼ばれることになったわけだ。
しかし、政治も経済界も黒くて狂っているのがとても辛い。
また、今も闇に葬られたままの野口さんの死…。
彼の右腕と呼べる人物だった野口氏は、ホリエモン逮捕の同時期に沖縄のビジネスホテルで怪死を遂げた。
社会とは、なんて闇深き世界なのだろうか。😢

実はこの本は、その昔、
夫が仕事関連で非常に苦しかった時期に、共に読んだ本です。
東京拘置所の独房
彼を捨てなかった仲間の寄せ書きに号泣したホリエモンと弁護士


今朝、夫が
ホリエモンの面白い動画があるよ😊とラインに送ってくれた。

「まあそれぞれの考えはあるだろうけど、
受験とか、就活とか意味ないよ〜 
人生はめちゃくちゃ短いんだから、本当にしたいことをやらないと。
それをやらないと、もうすぐに20年くらい過ぎちゃうよって、
若い人に言ってあげたいなあ」

と、ホリエモンは言っているが
「その通り!」
と、私も思う。


よく、社会適合者vs社会不適合者という図が世間で話題に出る。
でも、
社会適合者ってなにだろう?
ってよく考えたら
『今の時代が求めていることや、周囲の期待に応えられる人』💪🏻かな?
それもいいことだけど…
じゃあ、その反対は悪いのだろうか???

そんなことはないでしょう笑。🫠
ぜったいにない。
『今の時代の求めることや、周囲の期待に応えられない人』
私だってその要素が多分にあるタイプだけど…
そのどこが、悪いのだろうか? 
説明してほしいな笑。🫠
(この、
🫠”笑”は、適切に、私の気持ちを表してくれている気がする)



時代がなにをよしとしようが、
周囲がなにを期待してくれようが
自分が信じていること、
自分が愛していること、
自分が生きたい人生・・
それを生きること以上に、幸せなことはないのでは?

カップ麺が大量生産され、その市場は世界であるこの時代に、小麦粉にこだわり、その日の温度や湿度に合わせて麺を打ち、絶妙な出汁の味を日々確認して、黙々と納得がいくうどんを作ろうとする職人を、もし”社会不適合者”と世界が呼ぶなら、世界のほうが、狂っている。