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生きてるだけでまるもうけ

なんだか最近、脳の芯が疲れるほどに考え事をしていた気がする。そしてそれがぽーん、ぽーんと抜けていって今は筋肉が柔らかくなった。なにを考えていたのだろうね。時々こうなるけど、それも私というにんげんの一部だから、まあいいっか。にんげんって多面体で、ワケがわからぬへんてこりんなものなのだと日々思う。



人口2万2千人、それが私の記憶にある故郷の町の人口。町中の人が私を知っているような感覚だった。そして実際に、私の知らない大勢の大人たちが私が生まれてからどんなふうに暮らしているのか、好奇心をもって観察していたのを不思議なことだとも思わず、なんていったらいいのか、素肌を風に晒していた、いや晒すしかなかったと言うべきか。それに、幼い私には何をどうすることもできなかったし、町の中では一番賑やかな商店街のお店の子だということだけでも、私の憧れていたふつうのサラリーマンさんの家庭の雰囲気とは別世界だったのだろう。

小さな頃から、自分の生い立ちのことまで私よりみんながよく知っているのでもうなにも隠しようがなかった。別に自分としてはそれがいいとも悪いとも思っていないので、隠そうともしてはいなかった。でも、きっと、ちょっと波乱万丈な私の小さなじんせいは、白黒テレビのドラマよりリアルで面白かったのかもしれない。


そんなこんなで、思春期を通り過ぎた頃には、もうなにを知られたっていいというか、隠したいことも何にもなくて、堂々としていたのかもしれない。小学校や中学校で大人からも子供からも時々いじめを受けたこととか、そんなこともやがて別に恥ずかしいことでもなんでもなくなり、恨みもなく、ただ淡々と、「こんなこともあった」と大学時代の友人にも話をしていたように思う。

相談事を受けることが多かったので、自分の体験を話して裸の付き合いをすることで相手も楽になるような気もした。同時に、「大部分の人は自分のことを語るのはとても怖いんだな」ということも、ひしとわかった。なぜそんなに怖いのかな?と、なんの悪気もなくずっと感じていたけれど、今でも正直言ってどうしてそんなに怖いのかは、私にはわからないことも多い。自分にはたくさんの「恥」と”他者が呼ぶ体験”が多過ぎて、もうたぶん自分の身体中から溢れ隠しようがなかったのがかえってよかったのかもしれない。

それと、私にとっては、どんな記憶の断片も、それがいじめられたことであれ、失敗したことであれ、それは屋根から落ちた瓦のようなものであるだけなのだ。そんなこともあった、あんなこともあったね、でもそうやって日々は過ぎ、私は傷ついたり泣いたりもしたけれど、すべて起こるべくして起こった人生のページだっただけなのだ。なにも辛いことが起きない人生なんてないし、だから恥ずかしくもないし、また誇ることもない。
すべての事ごとが、私の人生をつくってくれたのだ。



ついこの間・・・
若くて美しくて優しくて誠実で、おまけにいろんなことができて、いつも努力を惜しまない頑張り屋さんの大好きな女の子と久しぶりに会えて、三時間以上も話しができた。
彼女は、おそらく他者の目には天が二物以上を与えた女性だ。

その子は「私、弱音が吐けないんです」と言った。
そこは私たちの大好きな人気のある小さなカフェで、週末のせいか近所の常連さんが来て賑わっていたが、みんな境界線をスマートに引けるお客さんばかりのように感じた。


その子は、小さな頃からきゅっと口を結んで、ぎゅっと心も結んで、ぜったいに弱音を吐いたりしないことで幼少期から思春期を生き抜いた”えらい子”だった。
だから「ほんとうによくがんばったね〜」と心から背中を撫でてあげた。
でも本当はもっともっと背中をさすって、赤ちゃんをあやすように抱きしめて「だいじょうぶ。弱い時は弱音を吐こうね、なにも恥ずかしいことなんかないよ。なにも崩れないよ。見渡してみたって、どんなにうまくやっている人も本当はどれだけぼろぼろか、だからな〜んにも気を張ることはないよ。それと誰の犠牲になることもないのよ。自分の幸せを考えたらいいんだよ」って、そう言いたかった。
でも、その子は、数回背中をさすって目を見て笑い合っただけで、もうぜんぶ感じていたのではないかと思う。胸がキューッとなってしまった。
愛すべき、愛されるべき、そして愛されている子なのだ。

その子は、最初「お父さんは嫌い」と言った。
でも、話し終えたころには「私、やっぱり本当はお父さんが好きなんだと思う」と言った。
ほんとうのほんとうの気持ちは、心の奥にずーっと隠されていたんだね。




子供の、けなげさよ。
どんな未熟な親のことも、本当は大好きで、だからこそ、もっと、もっと愛されていることをしっかり知らせてほしくて、でもそれができない親を見て傷ついて、だから孤独でたまらなくて、心をギュッと結んで、胸が痛い、悲しい、寂しい、もっと抱っこして、もっとすきすきして、もっといい子いい子して、もっとちゅっちゅして、どんなに学校の先生がじぶんのことを悪い子だって言っても君は最高にいい子だって言って・・・。叫びたいその言葉を、ほやほやのパン種のような言葉を、心の奥の深いところにあるツボの中に入れて、そっと自分で重石をかけてそこを去ってしまった子よ。



そんな子は、
きっとこの世界にいっぱいいる。

出ておいで子供たちよ。
なあんにも怖いことなんかないよ。
あなたのすべてがそのままでとっても愛おしいんだよ。
そのままをぎゅうっと抱きしめて、大丈夫大丈夫、そのままのあなたが大好きって、そう言いたいの。

そのむかしあなたを傷つけてしまった未熟な大人に代わって、謝りたい。
ごめんね、大人が未熟だったこと。大人が世界を怖がっていたから、だから、あんなふうにしかできなかった。あなたはなんにも悪くないの。ほんとうにごめんね。
そしてあなたをいじめた子たちに代わって謝りたい。
ごめんね、じぶんこそ世界が怖かった、だからあなたを身代わりにしていじめてしまった。ほんとうにごめんね。未熟で、なにもわからなくて、だから、あなたはなにも悪くないよ。
ほんとうに、ごめんね。


いっぺんには無理かもしれないけれど、
少しずつ、少しずつ、むかしの大人たちをゆるしてあげてほしい。
むかしあなたをいじめた子たちをゆるしてあげてほしい。
「いいよ、もうゆるしたよ」って声にしてみてほしい。そうしたらね、自分が一番らくになるよ。最初は抑えていた涙がたくさん出るかもしれないけれど、その涙はね、流したら流すほどに楽ちんになれる涙なんだよ。


わたしたちは、ひとりのこらず、ありのままで素晴らしい存在。
生きてるだけでまるもうけの、ばんざいの存在なんだよ。
あなたがだーいすき。ありのままのあなたがだいすきでたまらない。