カブトムシの「生き辛さ」を勝手に案じてみた
「生き辛さ」
それは現代社会を語る上では外せない大きなテーマだ。
着る服があり、食べる物もあり、住む家があったとしても
心にぽっかりと空いた穴が塞がらない。
強くなければいけない。優しくなければいけない。幸せでなければならない……。
そんな行き過ぎた思いに縛られる内に次第に生きる喜びが薄れていく。
人間が生きていく上で生じる「生き辛さ」
その根本の原因は大きく3つに分けると
「執着」「期待」「依存」
なのではないかと私は思う。
手放せば楽になれる……そんなことは百も承知なのに、そう簡単には出来ない。しかしどうだろう、その苦しみこそがある意味、知能や感情を持って生まれた人間の「らしさ」なのかもしれない。
ところで、
人間界以外にこういった「生き辛さ」はあるのだろうか
例えば、感情を持ち合わせていないような生物。
そう、カブトムシなんかにも。
そこで、この度は
カブトムシ社会における「生き辛さ」を
お節介ながら勝手に考察し、心配していこうと思う。
カブトムシ。
子どもたちの憧れの昆虫。
その魅力といえば、やはり逞しい大きな体と立派な角だろう。
カブトムシの体や角の大きさは幼虫時代の栄養状態で決まるということは、皆さんご存知だろうか。食えば食う程に大きくなる。しかしそれは幼虫時代に限った話で、一度成虫になってしまえばどれだけ良質な餌を食べ続けたとしても今の体以上大きくなることはない。
体一つで戦い抜くカブトムシにとって、これは深刻な問題だ。
逆転の余地が無い不可逆的格差。
これに関して言えば人間社会よりも、カブトムシの世界はずっとシビアかもしれない。
オレの方が角が長いだの、オマエは短いだの
樹液の酒場では毎夜、こんなさもしい罵声が飛び交っているはずだ。
カブトムシ社会において求められる物は己の「武」のみ。
そんな世界で、かわいらしいミニマムカブトして生まれてしまったならば、それは相当な生き辛さを抱えて生きることになるだろう。
しかも人間とは違い、勉強や芸術などで逆転を狙う手段も無いのだ。
カブトムシにとっての生き辛さの要因。その一つはきっと
「比較」
だ。
これは人間社会にとってもある話しで
比較は生きる上で苦しみを生み続ける。
何故なら自分より優れた者は、必ず存在するのだから。
自分は自分。
生きているだけで
存在するだけで
それだけで良いのだ。
さて、次はカブトムシの生活スタイルに注目していきたい。
カブトムシは基本的には夜行性の生き物である。
夜間であれば日中に活動する鳥獣に襲われる心配がないため、日が沈んでから活動することは理に適っている。黒色の体も夜の闇に紛れるための保護色なのだろう。
が、どういう訳かそんな神の意思に背き、のうのうと昼間に活動する者もいる。明るい内に行動するということはそれだけカラスに食べられたり、人間のガキにあっさり見つかり拉致されてしまうリスクが格段に上がる。
カブトムシにとっての生き辛さの要因。その二つめは
「昼活」
だろう。
ダイレクトに生死に関わることを最早「生き辛い」レベルで済ませてもいいのかは、少々疑問が残る結果となってしまったが、まあ良しとしよう。
生活リズムがすっかり昼夜逆転したフリーランス労働者のあなた。
あの道端に転がる頭部だけが取り残されたカブトムシの亡骸。
あれは違う世界線のあなたの姿だったかもしれない。
「人は10代の頃に手に入らなかったものに執着する」
こんな言葉を聞いたことがある人はいるだろうか。
言われてみれば確かにそうかもと、無性に心当たりがあるような気がしてしまう。
ちなみに私が10代の時に手に入れられなかったものは
『特別』だ。
それなりに友人にも恵まれて、それなりに楽しく過ごしていたが
親友と言える程、精神的に深く繋がった友人はいなかったし、恋人もいなかった。学業もスポーツも特に秀でている訳でもなかった。
「誰かの特別になりたい」
今の自分の行動原理はそんなところから湧いてきてるかもしれない。
さて、自分語りはこのぐらいにしておいて
カブトムシくんの10代の頃はどうだったのだろうか
カブトムシは9月頃に卵から孵化し、約8か月間幼虫として過ごす。
成虫の期間はせいぜい1~2か月、長くても3か月ほどでその生涯を終える。
ということはカブトムシの10代は幼虫の時だ。
思春期真っ只中のカブトムシの幼虫は果たしてどのような環境で過ごしていたのだろうか。
カブトムシの幼虫はご存知の通り、土の中で過ごす。
8か月もの時を、土の中で過ごし土だけを食べて生きていく。
前を向いても後ろを向いても上を向いても下を向いても
そこあるのは土土土土土土土…………。
友達と遊戯王やスマブラをすることもなく
初めての彼女と恋空的な映画を一緒に見に行くこともなく
ただ土を食らい、排泄するだけの10代。
カブトムシの「10代の頃に手に入らなかったもの」
それは土以外の「全て」だ。
男子校で青春時代を過ごした学生は、大学生になると抑圧から解放され、大ヤリチンと突然変異する者がいるなんて噂を耳にしたこともあるが、青春時代は土以外に何も手に入れることができなかったカブトムシと比べれば、「テンメェ~~~~その程度でな~~にが抑圧じゃい!!」といった話しである。
カブトムシによる抑圧マウントに我ら人類が対抗できる術は無い。
しかし、そんな彼らの抑圧され過ぎた境遇は
カブトムシとして生きる上では都合が良いのかもしれない。
カブトムシに生まれたのならば、ひと夏という束の間の時の中で、
メスを巡って戦い、交尾をし、生命のサイクルを回さなければいけない。
そう、カブトムシには1秒たりとも迷っている時間なんて無いのだ。
もし交友関係に恵まれた幼虫時代を送ってしまっていたら、ここまでハングリーになれただろうか。否、なれない。本能剥き出しのままに生きる同胞を横目に、きっと心の中でどこか疎外感を感じていただろう。
「俺は何のために生まれてきたのだろうか」、そんな自分探しをしている間に、気づけばセミの声は止み、夏は終わりを告げる。
カブトムシにとっての生き辛さの要因。その三つめは、まさかの
『充実』
なのかもしれない。
いかがだっただろうか?
カブトムシの世界にもカブトムシなりの苦労があるということを
皆様も分かって頂けただろうか。
「比較」「昼活」「充実」
もしこの先カブトムシに転生する機会があれば
以上この3点に気を付けて
良きカブトムシライフを送ってほしい。
あ、あとそういえば
スイカはお腹を壊すのであんまり食べない方がいいらしいよ。