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人生の一コマ 第17話

     夫が他界した事で

       私の 人生に起きた不思議な現象の一つ。

    人と会話した時、一度聞いただけでは理解できず、

5回は繰り返し   聞かないと 話が理解できなかった。

私の友人達のように無償で接してくれる人の話は一度で理解できた。

しかし、  自分都合を盛り込んで話す人の話は、その人の言葉が

私の耳に入って来ないのだ。

私の頭の上を超えて何処かへ行ってしまう。

まるで、私が必要なことだけに耳を傾けるよう

何かが 振り分けてくれているように感じた。


          私の人生に起きた不思議な現象の一つ。

  涙が止まることなく流れていた。

一年が過ぎても悲しみの涙が止まらない。

例えば、スーパーに買い物に行く道中  涙が流れている。

泣きながら買い物をする訳には行かないと  強く思うと涙は止まってくれる。

涙よ止まってと思わない限り   涙は 流れる。

まるで 蛇口が壊れた水道のようだ。

 2年目頃からこのままだといつまでも涙は止まらないかも知れないと

感じるようになった。

本を読んでいる時も集中力が弱くなると涙が流れだす。

この頃になると  子供達に、いつも泣いている母親を見せている事に気付いた。

自分を変えていかないと 泣きながら年を重ねてしまうと思った。

そして、人生を明るくする為には どうしたらいいのか考えるようになった。

そこで思いついたのが  今まで経験した事が無いもので、

子供達にも還元される事を探そうと思った。

今までした事が無ければ  夫との思い出が無い。

そうすれば 悲しみの世界に入っていかないだろうと思った。

ふと 思いついたのが パン作りだ。

早速  本屋に行って 基本編を買って来た。

思った通り 私はパン作りにのめり込んでいった。

一回目に焼いたパンがとっても美味しくできた。

香りといい  焼き色といい  味といい  素晴らしかった。

しかし     二回目からは 食べれるようなパンでは無かった。

野球のボールより硬いパンや変な匂いのするパンなど

いったい   なぜ こんなに ひどいパンになってしまうのか

私はオーブンをのぞき込みながら独り言を言っていた。

すると 「あなたがそうしたから そうなったのよ。」と

声が聞こえた。

私はショックだった。

まるで私の人生で起きている事、全て私が起こした事だと

言われているように感じたのだ。

  思い返せば  夫とのお見合いの席でもこの声は現れていた。

この声との関わりはこの後、どんどん深くなって行った。


      私の人生に起きた不思議な現象の一つ。

    子供達のお世話ができなくなった。

 私に起きた様々な変化は子供達のお世話をするのに様々な障害となった。

時には私が不甲斐ないばかりに、

友人達が全面的にサポートをしてくれた時期もあった。

そんな素晴らしい友人達とも別れなければならなくなった。

それは 夫の両親との最悪な関係が 夫が他界してからも更に複雑化し、

夫と二人で住んでいた家を出て行くよう言われてしまい

私達親子は私の実家に戻る事となった。

この夫の両親の判断は私のストレスとなり、

 友人達の優しさからも 

 裂かれた私は苛立ちを抱えたまま、生きて行く事になった。

     ここから母親として とても情けなっかた事を書きます。

我が子が成長する段階で夫の両親の仕草に似た事をする時があります。

孫なのですから仕方がありません。

私はそのような状態の我が子を受け入れられなかったのです。

私はいつのまにか 夫の両親を憎んでいたのです。

夫を喪った悲しみの奥に隠れて、 

私は最も厄介な憎しみを育てていたのです。

我が子達にしてみたら父親を亡くし。

仲良かった友達と別れ、転校先ではいじめにあい。

母親は心不安定な状態である。

これでは あまりにも酷すぎると私はもがいた。

ある時 ,教育委員会が主催の子育ての講演会に参加した。

私は最前列で拝聴した。

最後に講演者から聞いた言葉が。

「ご両親揃って子育てすれば子供は素直に立派に成長します。」でした。

私の子供は素直に立派に育つことが出来ないのか。と

教育委員会に助けを求めた自分を悔いた。  

  私は自分で答えてを見つけようと本を読みあさった。

1日で一冊読むようになって行った。

心理学や哲学書、経営学、何でも目に付いた本は読んだ。

ある時  書店で    

ニール・ドナルド・ウオルシュ著  「神との対話」

アイリーンキャディ著「フィンドホーンの花」

この本に出会った。

この本の中に私が求めていたものが詰まっていた。







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