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人生の一コマ 第21話

            今回は私の両親との格闘を書いてみる。


先ず 母の心の傷の話を知って欲しい。

私が3歳頃、乳飲み子の年頃の妹が他界した。

私は 子供の頃、お彼岸や、お盆、などの機会にお墓前りに母と行った時

亡き妹のとっても小さい墓石に手を合わせながら 母に

「妹は何故亡くなったの。」と 毎回  聞いていた。 

母は毎回 答えなかった。

そんな 母の辛い出来事があった。

      ここで  父の話になる。

  父は自分の母親の実家に小学校4年生の頃、養子に入っている。

そして   父は母親の実家で祖父母に厳しく育てられて大人になり

私の母となる女性を自分の母親から紹介され、 お見合いをして結婚した。

     ここで 父の母親は何故 息子を実家の養子とするべく手放したのかに続く。

祖母は嫁ぎ先で子宝に恵まれ、男の子も 女の子も 沢山いた。

そんな頃、 実家では 戦争へ 出兵した男たちが(祖母の兄弟)

全員 帰って来なかった。

祖母は年老いた両親の為に

男の子の中から一人、実家に養子に入れなくてはならなくなった。

祖母にしてみれば 兄弟を亡くした哀しみと。

我が子を手放さなくてはならない悲しみと。

相当 辛かった。

しかし 小学校4年生の父はその悲しみを理解する事は出来なかった。

父は沢山いる兄妹の中から自分が選ばれた事は

両親に捨てられたと感じていた。

       父は大人になってお酒を飲んでは 両親に逢いに行き酔った勢いで

「何故 俺を捨てたんだ」と責め立てた。

そして この悲しみや怒りを一生持ち続ける事になった。

父の生い立ちが創り上げた《親子の絆に付いた傷》は

夫婦 二人の間で起きた乳飲み子を亡くしてしまうと言う出来事にも

関連性を付けてしまった。


    私が小学生の頃になると父がお酒を飲んでいる日は増え 飲む量も増えた。

晩酌を始めて 何か気が触る事があると 朝方まで飲み明かすという事になる。

その時 必ず 母(妻)と子供にも 手を挙げる。

そして 家から出ていくように騒ぎ立てる。

真冬の寒さも 真夏の夜の蚊の襲撃にも 耐えながら納屋で朝方になり

父が静まるのを待つ。

そして そっと部屋に入り 学校へ行く準備をして登校する。

  父の酒乱は私の中学の入学式の前の晩にも行われた。

この時はさすがに  私のお腹の中は 怒りで煮えくりかえっていた。

そして 一晩 一人でこの感情と向き合って 、 

私はもう中学に行く事をあきらめた。

中学は私にとって  どうでもいい所となった。

母も夜中に 何処かへ出て行って 夜が明ける頃も  

何処にいるのか私は分からなかった。

家の中は  お酒の匂いが充満している。

私は泣きはらし 目は腫れている。

こんな状態で一人で入学式に臨む為に真新しい中学の制服に

手を通す力は私には無かった。


私は中学には行けないのだ。


私は現実を受け入れた。

もうとっくに式典は始まっている。

子供の私でも分かった。

父は酔いつぶれている。

そんな時 母が何処からか戻って来た。

そして 急いで着替えて 私を無理やり 連れ出し 中学校へ連れて行った。

もう 式典は終了していた。

私は  クラス別けの貼り紙を見てクラスに入って行った。



     こんな初日で始まった 中学生活を過ごしている  ある朝。

オムライスが台所に置いてあった。

母の姿が無い。

朝食がオムライスである事など それまでに一度も無い。

なにか いつもとは 違う事が起きていると

子供ながらに感じたが 私はその日 登校した。

その日の夜になっても母はいない。

母はその日から 何ヶ月も不在となった。

家事は私がした。

下校時に買い出しをして夕食を作り お風呂上がりに洗濯をした。

朝は朝食と父のお弁当をつくった。

父は母の事には触れない。

数ヶ月が立ったある日、

祖母(父の母)が 泊まりに来た。

翌朝 父は仕事がらみの旅行に出かけた。

私は 悲しかった。 虚しかった。怒りも感じた。

子供を親に預け 自分は旅行ですか。

私は 呆れ果てた。

そんな中で

私はある事を思いついた。

祖母に 母が絶対話してくれない 幼くして他界した赤児の事を聞いた。

祖母はしぶしぶ話してくれた。

それは 母が授乳中している時に 起きた。

母は 自分も赤児も 横になってお乳を飲ませていた。

母は眠ってしまい 気づいた時は 悲しい出来事となっていた。

この 母の行動を父はお酒を飲むと 責め立てていたのだ。 

そして 生きている子供も 憎くなっていたのだ。


なんと 愚かな 事だ。

憎しみや、 怒り、 悲しみ ( 哀しみ )などは どこかで癒され

関わった人や 自分を 癒し 平常心を取り戻していないと、

子孫まで負の連鎖が続いてしまう。


この時 私は小学生の頃から自分の家はどこか友達の家とは違い

破壊が続いている様で 家に温もりや安堵感と言ったものを

一切感じなかった理由がわかった。


そして しばしば 金縛りを通して 祖母の両親から

感じていた(家を頼む)メッセージが見えてきた 。

しかし 中学生の私には 目の前の 日常を 過ごすしかできなかった。


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