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【ネタバレです】スリルミー2021感想考察/2023追加

スリルミーを観てきた。

私は2012年柿松が親スリルミーで、カッキーのファンなので、カッキーが出てるとカッキーしか目に入らず、他ペアを観てもカッキーとの違いを探ることに終始してしまい、要するに今回9年目にして初めて冷静に観劇出来たので感想を書いておきます。推しが出てたら脳がパーン!ってなるよね!
柿松の映像と音源も下さい!!!!!

以下思いつくままに書いてます。
※一応目次を作成しました。

ペア毎の感想とかはあんまり書いてません。
感想というよりは益体も無い考察って感じかも。
大阪が中止になったので、急遽名古屋で観てきました。




大まかな感想

スリルミー。
禁酒法時代のシカゴの話だが、徹底的に固有名詞を廃することで普遍化を図っている。これ本当に凄い発明だなあと思う(韓国版からの輸入設定で本家は名前あり)

男二人!血の契約!みたいな面がクローズアップされて宣伝されがちだけど、天才達の頭脳戦だと言うのをもっと取り上げて宣伝したらミステリファンの男性客とかも来やすいんじゃないかなあと思う(レイ様は告らせたい)。

今回冷静に観劇して、凄く丁寧に伏線が張り巡らされていて、初見のインパクトはよく語られる舞台だけど、2回目からこそ本当に楽しめる舞台だなあと思いました。

何気ない動作の意図を探るのが楽しい。

例えば、“私”が“彼”にマッチを渡すところ。
あれは終盤の「僕は君の一歩先にいた」の伏線になってて、もう初めっから“彼”のことは“私”にはお見通しだったという動作。行動を見透かされた事が面白くないから、マッチをわざと遠くへ投げ捨てて「こんな事くらい大したことじゃない」、と“彼”は虚勢を張るわけで…。
“私”は「君を理解出来るのは僕だけ」と訴えるけど、そもそも“彼”は理解者を求めてる訳ではないという徹底的なすれ違い。
それでも“私”は理解をやめようとしないから、“彼”が盗品のライターを手に入れて持ち歩くようになってからはマッチじゃなくて煙草を持って、「煙草持ってないか」と言われるのを待ってたのではないだろうか?(所持品の中に煙草があったから)
マッチを渡すときもペアによって直ぐ渡したりちょっと放さずにためたりで妄想が膨らむ。


後ろから忍び寄る動作が3回あるんですが、これは小さい頃からの二人の待ち合わせの合図だったのかなあ…と思ったり。公園での待ち合わせは2回とも後ろから忍び寄るスタイル。

小さい頃から何をするにも彼と一緒だった…って言うのを聞くたび(多分蛙の爆破とか子どもあるあるの残酷な遊びもいっぱいしたんだろうなあ…)と思うなどした。
「自分だけ良い子になって逃げる」だから、結構無茶な遊びに私は付き合わされて、困りつつも楽しみにしてたんじゃないだろうか。
放置プレイを“彼”が繰り返した結果、よーし!閉じ込めちゃお!って結論に至った訳だが、それもしょうがないかもなあ…と冒頭の審理委員会を聞いてたら思う。

「それはゲームでした」

何回も放置プレイゲームをされて、契約書を交わす事でやっと束縛できると思ったら言う通りにしてくれないんだもん。
放置プレイがトラウマになってるだろう“私”はこりゃもう「勝負の終わり」を作り上げるしかない!とならざるを得ないし、一度殺人に成功したら盗みや放火の様に何回もやるだろう事はわかりきってるし、被害を最小限に留めて尚且つ自分の望みを叶えるためには最初のタイミングしか無かったんじゃなかろうか。
そもそも“彼”は基本的に嘘つきで、「平等」とか「対等」とか言ってても全くそんなつもりは無いし、口先だけで謝れるタイプ。良心の呵責なしに嘘が吐けるタイプの人っているよね。
それを“私”もわかってるからこそ「君は言う通りにしてくれない」と一度拒んだ訳だが。

じゃあ“私”が“彼”と違って放火や盗み、殺人をしたくなかったかと言えばそんなことは無いんだろうな…とは思う。
「これが欲しかったんだろ?」と言われる通り、“私”もスリルを求めてて、モラルで蓋をした欲望を引摺り出してくれるからこそ“彼”を求めていたんだろうなあ…と。
実際“私”が“彼”の犯行にはっきり異を唱えるのは「弟を殺す」ことに対してだけで、殺人自体を頑なに否定し続けてはいない。

では“彼”から見て“私”はどう映るかというと、「鼻持ちならないヤツ」なのではなかろうか。
父に愛され、学者としての才能があり…“私”の取り澄ました善人面を剥いでみたい、という気持ちもあったんじゃないかなと思ったり。

“彼”は「この世に善などない」「この街破壊してやる」と言ってて、ただ快楽やスリルのために犯罪をしたいというよりは、社会を壊すというのが目的で、そのためにまず一番小さな社会である家族をぶっ壊したかったけど(弟と親父の事務所)止められちゃう。
親父がケチで…を聞いてるときいつも(いや…バイトしろや…!)と思っちゃうんですがそれは多分思ったらいけないヤツですな。


社会の閉塞感について

スリルミーを女性キャストで出来ないか?という話をたまに目にするが、私は女性キャストでするとまた全然テーマや持ち味が変わってくるだろうなあと思う。
何故なら“彼”は社会ぶっ壊す!間違ってるのは俺じゃない!社会の方だ!というスタンスだけど、それは家庭から自由な男ゆえの発想だから。
女性はまず社会ぶっ壊す前に家庭から脱出しなければならない。母や妻、娘といった役割から解放されて始めて社会の事を考えられるんじゃないかなと思う。
実際“彼”は家を憎んではいるものの、逃げるという選択はしない。
弟さえいなければゆくゆくは自分が家長になれる支配の場だから。
家父長制に縛られている。 
女性同士のスリルミーについて考えたとき、私の頭に浮かんでくるのが「少女革命ウテナ」。

ざっくり言うと女性の自立について描かれた作品で、「いつか王子様が」と夢見ることの残酷さ空虚さについて描かれている。1997年の作品だが、その作品が批判する社会情勢を20年経っても払拭出来てないなと思う(ウテナは「婚姻」という制度で成り立つ社会ってなんかおかしくね?お姫様になれない女子・王子様になれない男子はどうするの?男女ともその役割から解放された方がよくない?というテーマの暗喩モリモリアニメです)。
劇場版でウテナとアンシーも車を手に入れる。しかし二人は世界をぶっ壊すのではなく、世界から出ていく事を選んだ。そういう違いじゃないかな、と思う。「ミネハハ」「エコール」という映画にしても、男が管理してる社会から逃げたがそこはどこまでいっても男の支配下で逃げられなかった少女の話で、最近になってやっと女性も「ぶっ壊す」という発想を持てるようになってきたのではないかと思う。自分という個人である前に、父のための娘、夫のための妻、息子のための母でなくてはならないという意識はおかしいという考えが一般的になってきたので。
ジェンダーの問題が色々無くならない限りは難しいんじゃないかなあと思う。男女版も同様に。

劇場版ウテナ、アマプラに来てたので良かったら見てみて下さい!!!(ダイマ)

女性が社会ぶっ壊ーーーす!!!て言ってる作品について考えてみたんですが、最近観た中ではミュージカル「マリー・アントワネット」に出てきたマルグリット・アルノーぐらいしか思いつかない…。
イニシャルがMAの女性二人の人生を対比させながらフランス革命を描く話なんですが、マルグリットは市民の生活のために王家の転覆を目論む革命家です。他に女性の革命家は出てきません。
マルグリットは天涯孤独で家族がおらず、家もなく、恋人もいません。女性にはどうしても生活が圧し掛かってくるので、彼女くらい何も無い状態じゃないと自主的に社会を憂えて活動するのは難しいのかな…と思いました。
私は新演出版しか観られてないのですが、初演の旧演出は栗山先生です。

10代男子の中二病×破壊衝動×社会への不満×家族不和×親友への苛立ちを計算したらまさか99年刑務所が導き出されるとは…ね…。
私はこの公演に関してはあまり史実と混同するのはどうかなあと思うので詳しく調べてないんですが、大量生産が始まった狂乱の時代のアメリカの裕福なユダヤ人青年が抱く不満って何だったんだろうなあと思います。高等遊民みたいな感じなんだろうか。

誰を殺すかの場面、「俺が一番ムカつくやつ」に「僕?」って言ってる辺り、“私”も“彼”が自分の事を同じ様に好きでいてくれるとは思って無いんだろうし、むしろ“彼”が殺してくれるならそれもいいかも!と思ってそうだな…と思ったり。
約束の15時を超過して「もう来ない」と思ってても自分の研究しながら待てる強かさがある男ですよ、レイは…(鳥類学者だったそうです)
「お前がいなきゃダメなんだ」のところも、別に彼は本心で言ってるわけじゃないのを“私”はわかってて契約に乗ってる。どれだけ今まで約束を反故にされてきたんだろうか…。


契約書の話していいっすか!?

血の契約、めちゃめちゃ見事…SUKI…法律用語に則って契約書を作ろう!とかやるの、めちゃめちゃ子どもっぽくて最高…。
私もよく小学生の頃とか契約書ぽいもの作って親に署名させたりしてたの思い出した(テストで何点取れたらゲームを買うこと等)
まあ守ってもらった事はない。大体はぐらかされます。文書で人の気持ちや行動を縛ろうと思うの、子どもの発想なんですよね。

“彼”は前にもしたことがあるの、最高じゃないです?
“私”は初体験でドキドキなのに、“彼”は経験済みでおそらく誰かに教えてもらってる。
“私”のソウルジェムが確実に濁る~!!!嫉妬させるつもりは“彼”にはなくて、契約書も軽い気持ちと思い付きなのが余計ににくい。
過去の契約がどういうものかは知りませんが、重婚ですよそれは。

指をナイフで刺して血を出すの、まあ普通に射精の暗喩だと思うんですが、成福だけ“彼”の指もハンカチで拭ってあげてたの良かったですね!

タイプライター、新ペアは打つの爆速で(さすがデジタルネイティブ世代…)と思うなどしてたんですが、成河私、めちゃめちゃ怖くないですか???
成河私だけですよ…試し打ちせずに「壊れてる、欠けてる字もある」って言ったの…。
えっ…………なんで知ってるの………???彼の持ち物もしかして全部把握した上で今初めて見た風を装った???
コワ!!!!!!!!!!!

そのあとの「待って 眼鏡が無いと」もペアによってさらっと言うか溜めるか違ってて良かった。

タイプライター見るたびエピソードが見事だな…と思うんですが、高級品を盗んだのに手入れもせず全く大事にしてないの、“彼”の性格よく出てていいなあと…。まあその後“私”と盗んだガラクタもライター以外は捨ててるっぽいので「いかに価値のあるものを盗めるか」という過程が大事というのもあるでしょうが、手に入れたら興味を失うタイプなんだろうなあ…。
絶対に変化系…気まぐれでウソつき♠大事なものがあっという間にゴミへと変わる♠

まあでも契約書と言えば万里生さんですよね。
他のペアは真面目な顔して契約を交わしてるのに、万里生私はめちゃめちゃ幸せ溢れる笑顔で(えっ!?私もしかして今観てるのミーマイのラストのウェディングフィナーレだったっけ???)ってくらいLOVE&HAPPYに溢れてて、思わず「今日は良いお式だったわ~😢✨」とご祝儀はずんで帰るところでした💒
二人のあーい!ハッピー!と脳内でミーマイが流れるもよくよく考えたら契約書も歌詞は結構ラブラブですね。
二人は完全な絆で結ばれた!永遠に!!!お幸せに!!!!!

そういえば「血の契約」、インディアンじゃあるまいし!って言ってるからそういう風習があるのかと思って軽く調べたら、無さそうというか、キリスト教の用語がでてきました。インディアンっていうのは野蛮という意味で使っただけで、そういう儀式があるわけでは無さそう。
キリスト教にも明るくないので軽く調べたところ、生命の共有という意味があるそうです。やり方はサインじゃなくて血を混ぜ合わせるとか飲むとからしいですが…。別個の二人から、体を二つ持つ新たな一人の人間となる契約らしいので、そういう重みを持たせたくて「血の契約」と言ったのかも。
うーん…知らないことばかりだ…。
血判状が一番やってることも意味合いも近いかなとは思います。
余談なんですが、この場面を見てるとキルアが親父に「絶対に仲間を裏切るな」と言われて誓ったシーンを思い出すんですよね…(全人類H×Hを履修してると思ってるオタクが書いてます)お互いの親指を切って血を混ぜ合わせる血の契約は、マフィアの作法らしいです。
ミュージカルHUNTER×HUNTERザ・ナイトメア・オブ・ゾルディックは名作です。ククル―マウンテン♪ククールーマウンテン♪

面倒になって来たので“”外していいですか?外しますね!
文脈から私か私か判断してね!

伏線の話

彼が「高級品なんか持つから!」と私を攻めるけど、それ実は眼鏡じゃなくてタイプライターのことで、見事にブーメラン決まるのがめちゃめちゃ気持ちいいです。
「いいやしなかった!」のところもオイオイ気付いてるじゃん!そうだよ何もしてないよ!ちゃんと私の話に耳を傾けて向き合ってたら逮捕回避可能だったかもね!?
私めちゃめちゃ優しくない???
まあどう転んでも勝ち確のゲームだからなんでしょうが…。
あとは相手の出方を見て、いつチェックメイトするかタイミングはかるだけの勝ちゲーですもんな。
「何か落としたとか」とか、ヒントをめちゃめちゃ散りばめてくれてるのになあ…彼聞いてくれないもんね。
「死んでも勝ち」の相手に勝負仕掛けられた時点で負けだわ…。

栗山先生の『演出家の仕事』という本を読むと、「何を聞くか、いかに小さな声に耳を傾けるか」ということが書いてあり、なるほどなあと思いました。
日本のスリルミーが固定ペアなのも、いかに相手の演技を受け止めるかを大事にする演出をされてるからだろうな、と納得。
スリルミー専用劇場作って年中スリルミーやってて欲しいけど(役者は月毎で入れ替えるなどしてたくさんのスリルミーを観れる)、栗山先生にスリルミーだけを演出し続けてもらうわけにもいかないから…残念…。
またまた余談挟んで申し訳ないんですが、栗山先生演出の「鱈々」という韓国の戯曲がありまして、おすすめです。
藤原竜也が山本裕典と二人で倉庫に住み込みで何だかわからない「箱」を管理する仕事をしている…という話なんですが、それで充足してて二人このまま一緒にいたい藤原竜也と、単調な生活に嫌気が差して知り合った女と遊んだりする山本裕典…こういうのスリルミー民の方お好きじゃ無いです???
ストプレで四人芝居なので、遊んだ女とその父も出てきますがかわいそうな藤原竜也が見たい方はぜひ…。なんと円盤!円盤が出ておりますので!!!
余談ついでにスリルミー参考資料として「DEATH NOTE THE MUSICAL」通称デスミュもおすすめしておきます。スリルミーのプロデューサーが月とLの関係には彼と私の関係に通じるものがある…!と栗山先生に演出をお願いされたミュージカルです。なんとこちら!円盤!円盤が出ておりません!再演狙いましょう!!!デスミュ、テニミュも観れるので楽しいです(?)栗山先生演出のテニミュが観られるのはデスミュだけ!(???)

なぜ彼が私の事を疑わないかというと、長年私が彼に歯向かったことなどなく、いつも自分の思い通りに動いてくれてたからなんでしょうね。要するに、ほとんど自分の分身だと思ってたんじゃないかと。パーマンのコピーロボットと言ったほうが近いかな。「レイ」となかなか名前で呼んでくれないのもそういう意味があるんじゃないかな。例えば、母親は自分の娘を自分の延長線だと無意識に捉えてしまうことがままあるらしく、それに近い感じがする。「幼い」というのも自我の事を言ってるんでしょうし。カラダを見せつけようとしちゃいけません!
「あの夜の事」で、普通に考えて公園でバードウォッチングしてるタイプの大人しめの眼鏡男子が平日の夜はいつも車でクラブに出かけて女引っ掛けてるから覚えてないな~、いつもやってるからな~、とか言うと思います?つまり、彼はレイのパーソナリティーなんて全然見えてないし、あるとも思ってないんですよ。彼が取り調べられてこの供述をするなら全然不自然じゃないけど、私がするのは明らかに不自然なのが彼には分らないんですよね。
自分の命運が掛かってるのでめちゃめちゃ真剣に考えてこれなので、マジで私のこと見えてないんだなと思いました。
だからこそラストの「君を認めよう」が生きてくるわけですが…。

自分の延長だと思ってるから、彼は私を「疑う」という発想が持てないし、自分が超人だからお前も超人という発想なんだろうなと思います。だから自分の思い通りに仕事をこなせなかったり立場が危うくなるととかげのしっぽみたいに切っちゃう。
それを私も感じてて、切られるか切られないか試して、優しく供述の内容を考えてくれたから、あの時は至福だったんじゃないでしょうか。
でもちょいちょい彼の本音が垣間見えるからね…しんどいね…(俺との関係は一切話すな) 

彼が私を疑わないのは、長年の私の布石だから彼にはどうしようもないでしょうが、万里生さんのブログに「史実ではニーチェに興味あったのはレイの方なんですね、って話を栗山さんにしたら、彼がニーチェに興味を持つように仕向けたのは実はレイなのかもね、とにやっとしておっしゃった」というような事が書いてあって、ヒ~~~~~~~~~!!!!!!そんな解釈ある!?こわ!!!!!!!天才!!!!!!!と震え上がりました。

天才と言えば新納さんのお誕生日公演に万里生さんがプレゼントした廃墟を彷徨う神聖な香りのフレグランスマッチを使った話。
ヤバないです??????
ちなみにマッチはオタクによってすぐ売り切れました。
このエピソードだけでも激ヤバなんですが、万里生さんは英字新聞のラッピングでマッチとネーム入りの櫛を新納さんにプレゼントされてまして(超絶オシャレ)、マッチと言えば彼だね!英字新聞はスリルミー意識だね!とは新納さんも書かれてたんですが…本命プレゼントの櫛が「眼鏡と同じ鼈甲の素材だよ❤」という事には気付いておられなかったみたいで…ひぃぃ~~~~~~!!!!!コワ!!!!!!!スリルミー!!!!!!となりました。万里生さんのブログで丁寧なプレゼント紹介が読めます。

「見殺しにはしないよ」のところ、伏線が綺麗に決まってて最高です。
ウチはどうかな…という彼への返事なんですが、終盤の司法取引の中止を申請する伏線ですよね。
「(君の親は)見殺しにはしないよ」としか初回は解釈できませんが、2回目からは「(僕が)見殺しにはしないよ」という意味なんだ!とわかってハッとしてグッとしちゃう。そもそも見捨てる気は私には更々無いとわかった上で「僕と組んで」を見ると最高に楽しい~~~!!!
万里生私の言い方が一番わかりやすくてゾッとしました。
「ああ、完璧だ」もそうですね。彼は脅迫計画の話、私は彼入手計画の話。
その後の「一つの命お前次第だ」って歌うところも、私は彼の方を凝視しながら違う意味で歌ってるのも良いですね。彼が生きるか死ぬかはこれからの彼の行動が決めるという目線で震えます。

眼鏡が無いから脅迫状が読めないシーン、他ペアは後ろからぴったりくっついて脅迫状を近付けてあげてる甘いシーンなのに、新ペアだけ遠くて(お!?もしかして二人とも目がいいのか!?絶対それじゃ見えないぞ…!)とド近眼の私はやきもきしてたんですが、ラジオ聞いてあれは彼の意地悪だったとわかりました。
意地悪が子どもっぽくてかわいいね!


ペアごとの感想

◆成河福士ペア
徹底的に福士彼が私を正面から見る事をしなくて本当に「僕の目を見て!!!」の焦燥感と熱意が凄かった。
こんなに人に冷たくできることある???でもやさしい炎のとき私を撫でる右手が自宅でネコチャン撫でてるみたいだったので(やだ…かわいいやん…🐱)と思ってしまった。
成河私はどっちかというと犬ですが…クゥゥゥンて鳴くし…🐶
「思い出せない」の言い方が明らかにしどろもどろで捕まる気満々でめちゃ怖かったです。
「あんなに早くわかるとは とても驚きました」の成河私、すっごい怖い笑顔してて、この顔見たことあるぞ…ネテロ会長が蟻の王に人間の底すら無い悪意を見せた時の顔だ…!と思ってゾッとしました(全人類H×Hを)

◆松岡山崎ペア
非常に等身大というか現代の若者としての解釈のスリルミーを見られて良かった。
他ペアの彼はめちゃめちゃ遊んでる~!悪ぶってる~!って感じだけど、山崎彼はめちゃめちゃ育ちが良くて精一杯虚勢を張って背伸びしてる感じが凄い。と思ってたらラジオで背伸びしてる、と言ってて伝わってるよ~!と思うなどした。
煙草の扱い慣れてないし、私とのキスやスキンシップもぎこちないし、犯行セットのタオルをきちんと八つ折にして畳み、縄もきちんと巻いて直し、塩酸の瓶もちゃんと蓋が締まってるか確かめ、オラこんな几帳面な彼初めて見たぞ!と新鮮な気持ちで見た。
舞台上にいても身の置き所がなくてどうしていいかわからない感じ、自分は本当は何者でも無いのではないかという焦り、社会に居場所を定められない感じがして良かったです。
松岡私、「逃がさない」の顔とかラストシーンでの顔とかとにかく表情が良かった。
「俺がなりたいのは正に彼のような弁護士だ」のところ、他のペアは雑談って感じなんですが、松岡私は(えっ………知らんけど…聞いてないけど…えっ………彼の事で僕が知らない情報があったとか…嘘だ……)って感じに呆然としてて最高でした。急に未来の夢を語る彼に真顔になってすぐ笑顔を作って返事する成河私もめちゃめちゃ怖かった…。
成河私がわんわんなら、万里生私は立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花の清純派お嬢様って感じなんですが、松岡私は余りにも彼を推しまくってるオタクって感じがしますね…絶対部屋の壁一面に彼の写真貼りまくってる…。ガチ恋リアコ…。
でも本当にトーク配信で言われてた通り、あまりにも体格差が凄くて確かに踏み潰されそうとは思った(笑)

◆田代新納ペア
にろまり…にろまりな…R-18指定じゃない???
これ全年齢で出していいやつ???エロ過ぎない??????にろまり見て思ったんだけど、この公演、キャストの性的経験値モロバレになりません?????
10年後には新ペアがドエロになってるのを確認出来ちゃうってワケ???ヤバイ公演だなこれ…(今更)(下世話ですみません)

R-18と言えばですね。
「超人たち」のラスト、ハアハアするじゃないですか。あそこセの暗喩だと思うんですが、にろまりは自然に息を揃えてハアハアしてて、成福はわざとらしいくらい一緒に息を揃えてて、松山はバラバラだったんですよね~~~!!!ク~~~~!!!!!
栗山先生がどう演出つけてるのかわかりませんが、大人ペアは気付いてて合わせてて、若者ペアは気付いてないんだとしたら純でドキドキしちゃう…。

なんかさっきからコイツ〇〇の暗喩だ!とかすぐエロに結び付けやがるな!なんなんだ!と思われるかもしれませんがそもそも「Thrill me」が性的に私をゾクゾクさせて!というスラングらしいので、性愛がテーマの一つなんですよね。新ペアはまだまだ児戯の延長って感じでそれもいいんですが、にろまりの性愛表現…あの…すごいですね………。成福は取引手段の一つという面を感じます。


サミュエル・ベケットについて

恥ずかしながら私、ベケットの「勝負の終わり」を最近はじめて読みまして。
トーク配信で「勝負の終わり」という言葉に栗山先生が拘っておられたという話と、パンフの成河さんのページを読んで、これは読まんとあかんやつでは…と思って読みました。

スリルミー、多分ベケットを結構意識して演出されてるんじゃないかなあと思いました。

勝負ってチェスの事らしいんですけど、スリルミーで真ん中にデーン!と置いてある正方形で端がライトになってる舞台セット、多分チェス盤を意識してると思うんですよね。

将棋も指せない囲碁も打てないオタク(ヒカ碁しか知らない)、もちろんチェスもわからないので、ちょっとチェスを覚えてみよう…と思って、ネットで解説見て駒の動きを覚えて機械と初心者対戦してみたんですが…いや…これ…めっちゃ難しいわ…。
相手の駒の動きを予測しながら、「詰め」に持っていくの、めちゃめちゃ大変で、彼と私のやり取りまさにチェスなのでは?と思いました。ちゃんとチェス覚えてから観るとまた新たな発見があるかも…。
序盤は上手が私エリア、下手が彼エリアという感じになってるのもチェスの始めの駒の配置っぽいなと思いました。

「勝負の終わり」、ざっくり言うとお互い近しい関係なのに傷付け合って身動きが取れなくなってどんどん失っていくけど終わりを待つしかないという話なんですが…スリルミーと照らし合わせるとなるほどなぁと思う部分もあり…。
読んでみて解像度がめちゃめちゃ上がったので、これはベケットの他の作品も読まないと気付かないことあるだろうな…と思いました。
それで、内容はなんとなく知ってた「ゴドーを待ちながら」も読みました。めっちゃ解像度上がりました。これ栗山先生が演出家としてデビューした作品なんですよね。

キリスト教圏じゃないのでなかなか気付かなかったんですが、彼と弟、あれはカインとアベルなんだろうな、と思いました。気付いてから思い返してみるとめちゃめちゃわかりやすく提示されてるな…弟を殺したいって言ってるもんね…。
キリスト教の素養がないので気付いてない事が他にもまだまだありそう…。誰か詳しい人に見てもらって教えてもらいたい…。

ゴドーも勝負の終わりも、「待つ」というのがキーワードになっていて、私も「待ってたよ」と言います。 

「待つ」とはどういう行為なのか。

まあ私はH×H連載再開を待ってる身なわけですが…(待つさ いくらでもな)。
「待つ」というのは主体的な行為の様でいて、実は「待たされている」という受動的行為なんですよね。「待たせる」方と「待たされる」方の間には明確なパワーバランスが生じるわけです。
人を待たせるって面白いのか?って感じはしますが、幽白1巻に(全人類幽白を)、去年のクリスマスに彼と待ち合わせしてたら病気で倒れて行けずそのまま死んでしまいそれが心残りで待ち合わせ場所で一年待ってる地縛霊の女の子の話があるんですが、その彼は実は自分のために何時間でも文句言わずに待ってる彼女を友達と面白がって賭けの対象にして遊んでたクソ男だった…という話でして、人を待たせる事で支配欲を満たす人間っているんだなあ…と読んだ当時幼いながらに思いました。

こいつスゲー冨樫の話するじゃん…と思われるかもしれませんが幽白で産湯に浸かり自我が芽生えた人間なので…そこはひとつ大目に…。

私は「待つ」ことをやめたかった、これに尽きるんではないでしょうか。
でもねぇ…結局待ってるんですよね…。最初の「待ってたよ」とラストの「待ってたよ」にあんまり違い無いと思うんですよね。
ここらへんの解釈は人によると思うんですが、彼が死んだことをまだ私は納得出来てなくて、きっとまた戻ってきてくれると思ってると思うんですよね…。だから背後に彼が現れ(いつも驚かそうとして後から現れるから彼の立ち位置は絶対背後)、呼んでほしい呼び名で呼んでくれるんですよ。だから彼が来てくれた!と思って振り向いたら、消える。幻だから。
このラストシーン、宝塚でやるなら多分、最後まで私が見てる幸せな幻で終わると思います。彼は振り向いても消えず、階段に駆け上った私を抱きしめてキスしてドライアイスでスモークバリバリ焚いて宝塚版「エリザベート」のラストみたいに終わると思います。ア~~~~~~!!!(どこからか響き渡る壮大な影コーラス)
脳内の幸せな映像で終わるか、現実を突きつけられて終わるか…どっちがいいかって感じですが。

「ゴドーを待ちながら」、エストラゴンとウラジミールという二人の浮浪者が木が一本だけある田舎の道でひたすらゴドーを待つがやって来ない、という話なんですが、確か2019韓国スリルミー新演出では木が生えてたと聞きました。何本か生えてたらしいのでこれはどっちかというと「禁じられた森」の表現だとは思うのですが…。

あとこの公演、「鳥」が結構重要なキーワードとして出されていると思うんですが、鳥って基本的に自由の象徴なんですよね。「鳥の様に自由に空を飛べたら」というフレーズに聞き覚えのあるミュオタは多いと思います。
「奇妙な鳥が二羽 籠の中で飼われているみたいに」
鳥の象徴を逆説的に使うのか!!!とびっくりしたんですが、そこに釈放時の「じ ゆ う」が乗っかってきて、え~~~~!?なんかもう凄いな!?とのけぞった思い出です。

探偵小説について

大した事じゃないんですが、「探偵小説の読みすぎだ」という台詞。彼が警察をバカにするのにちょっと関わってくるのかなと思いました。
ほとんどニーチェ由来の若者特有の全能感だとは思うのですが、1920年代は黄金時代と言われるくらい盛り上がっていて、探偵が見事に解決して刑事は引き立て役…というのが多かったそうです。先日観た「スルース~探偵~」という舞台でも結構警察をバカにしてたのでちょっと気になりました。
彼が探偵小説を読んでたなら探偵が出てきて犯人は捕まるのがセオリーだとわかると思いますし、ただの軽口だと思うので特に意味は無いのかな~と思ってたんですが、『最終弁論』を読んでみたところ、彼、めちゃめちゃ推理小説にはまってたみたいですね。推理小説というか犯罪小説という書かれ方してますが…。現代日本だとコナンが子供向け作品として成立してますが、この州には子どもが犯罪小説を読むのを禁止する法律が出来た、とも書いてあったのでどれだけ流行ってたかわかります。


名前について

史実は史実、作品は作品として考えたいので、あまり史実を深堀りすることに意味は無いと思ってますが、知る事で多少気になったことがありますので記しておきます。
スリルミー韓国版と日本版では固有名詞を消されてますが、
ネイサン=私
リチャード=彼
という設定になってます。

ネイサン  ⇨鳥類学者・釈放された・眼鏡を落とした・ニーチェに傾倒
リチャード ⇨社交的・服役中刺殺される・犯罪小説に傾倒

史実との違いは万里生さんも言われてた通り、「ニーチェに傾倒」だけかと思うんですが、徹底的に違うところがあります。
それが「レイ」です。レイ、私が彼に呼んで欲しい名前です。
レイって、誰の名前なの…?ネイサンでもリチャードでもない名前です。
韓国版では、자기(チャギ)と呼んでいるらしいんですが、本来は「自分」という意味で、恋人同士で相手を呼ぶときに使う愛称らしいです。「自分」という言葉で相手を呼び、相手を自分と同一化するという考えは、この公演において重要な要素なのかもしれません。他国がどうなってるのか知らないので憶測でしか書けませんが(本家では愛称のBabeだった)、二人の境界を曖昧にすることで表現したいものが有ったのかもしれません。
「君の名前で僕を読んで」という映画があると聞いて見たんですが(2017年製作で原作は2007年)、これはプラトンの人間は自分の別れた半身を探しているという考えに基づいてお互いをお互いの名前で呼ぼう!というのが肝になってる映画でした。この作品以前にこういうやり取りが確認できるのかはわからないのですが、本家はCDを聞く限り普通に「ネイサン」「リチャード」と呼んでいました。
日本ではこの事件の知名度はそんなに高くないと思いますので、公演を観た後で「えっ!実際の事件をモデルにしてるんだ!?調べてみよ!」となって「えっ!?名前違うくない!?」と気付いた人しか迷い込まない罠なのがまた巧妙というか…。
しかし何故わざわざ「レイ」という名前をつけたのかは謎のままです。作品の普遍化を図るにあたり、日本でも外国でも使えて、男性でも女性でも使える名前にしたのかな?と思いました。でもそれならそもそも固有名詞をわざわざ作らなくてもいいんじゃ?と思いましたが、日本にダーリンハニーにあたる様な親愛を示す言葉があるか?と考えたところ無さそうなので、もしかして苦肉の策なのかもしれません。考えたところ、背子とか背の君しか思い浮かびませんでしたので(古いぞ!)。
結局「レイ」って誰やねん!って感じですが、もしかしたらいずれジェンダーの問題が解決され、男性がやっても女性がやってもテーマに変化が無くなったときの事を考えてどちらとも取れる名前を付けられたのかもしれないですね。

身元不明について

顔を潰したくらいでわからなくなるものかなあ…と現代人の私は思うんですが、軽く調べてみたところ、歯型の照合による身元確認が広く使われるようになったのは第二次世界大戦後らしいです。
確かに大量に身元を確認する必要がある事態が無いとそういう技術や方法は広まらないか…と思いました。ちなみに指紋鑑定は1900年前後から行われているそうです。ちゃんと拭き取ろう!

色について

「そう服はピンク マニキュアも」について。大した事じゃないんですがついでなので書いておきます。
観劇した2012年当初、なんか女というものをバカにしてるのはわかるが何だろう…モヤモヤするな…と思ったこの歌詞。今ならいわゆるダサピンク問題に類するものであると分かります。「女はピンクが好きなんだろう」という思考停止の先入観で女性向け商品はピンク色のものばかり生み出される…という現象で、決してピンクがダサイという話では無いです。 
女=ピンク、ピンク=女というイメージの貧困さを落とし込んでくることで、物語から女性を完全に排除して透明な存在にしてるの凄いな、と思います。母、全然出てこないもんね。前述した様に、彼らにとって女というのは個人ではなく役割なんでしょう。それを「ピンク」の一言に込める醜悪さに感嘆します。うーん…本当に緻密な脚本だ…。
ただピンクが女子の色!とされ始めたのは1950年代以降らしいので、何の意図もない可能性もあります(スリルミーの設定は1924年)。でも固有名詞を廃して時代設定も曖昧にしたことで、「ピンク」が生きてきてるの本当に凄いな…。結局どっちやねん!って話ですが、観客は現代の感覚で受け取るしかないし、あんまり作者の意図を追いすぎると作家論に陥ってしまいますので、現代の感覚で受け取っていいのかなとは思います。ピンクを連呼することで「一緒にいたのは男である」と匂わせている可能性ももしかしたらあるかもしれません。
色について、ついでなので書いときます。3ペアある中、成河私と松岡私はグレーのジャケットを着ていますが、万里生私だけが薄いブルーのジャケットを着ています。グレーの中でもかなり青よりの色。青はキリスト教では聖母マリアを象徴する色で、処女性や高貴さを現している…とのことです。ピンクが台頭してくるまでは青が少女の色とされていたらしく、それはこの辺に由来するんじゃないかなと思います。
「究極の愛」と銘打たれた万里生私だけがブルーを着てるのは聖母マリアの象徴…と捉えてみるとまた楽しいですね。聖母万里生に興奮がマシマシです。
青と赤が印象的に使われてる舞台なので、赤についても調べてみたところ、キリストが流した血の色として使われており、火・愛・殉教などの意味もあるそうです。う~~~ん…本当に知らないことばっかりだ…。スリルミーを読み解くのにマジでキリスト教の勉強が必要な気がします…。

宗教について

キリスト教の話してるけど二人はユダヤ人だからユダヤ教じゃないの?とも思うんですが、作品を読み解く上で描かれてない事をどこまで想像していいものかという難しさに悩みます。もちろん作品に描かれていることが全てなのですが、他国の作品だと理解の素地がそもそも出来てないので…。海外ドラマ見てても、ここでなんでこんな反応したんだろ?とわからない事とか結構ありますよね。アメリカの学校は日本みたいに生徒がずっといる教室が無いというのを知っていなければ廊下にロッカー並んでるのなんで?となる様な文化の違いによる違和感と、平安時代の作品で夢に相手が出てきたら向こうが自分の事を好きだと解釈するんだよ!という様な時代による違和感を埋めないといけないので、難しいところです。
日本版は時代設定を曖昧にしている以上、「ピンク」のように現代の感覚で受け取っていいのかなとは思いますが、宗教観は初演の2003年当時のアメリカの一般的な受け取り方でいいのかな?という疑問が残ります。どっちみち私は2012年以降の日本版しか観てないので、日本版についてしか語ることが出来ないのですが…。いやもうマジでわからん…宗教のことは…。1920年代は同性愛の弾圧とかもあったでしょうし、でもその辺の事は「俺との関係は一切話すな」からちょっと感じられるだけなので主題では無いですし、やっぱり描かれている事が全てなので、そこから現代の日本人の私が想像しうる範囲で解釈するしか無いなあと思うわけです。もちろん勉強は必要ですが。

ニーチェについて

そういえばコイツ重箱の隅をつつくみたいな事は色々書いてる割にニーチェについて語ってなくないか?とそろそろツッコミが入る頃かと思うんですが、詳しくないので特に何も言うことが出来なくてですね…。
ニーチェ、現代だとなんか哲学の偉い人ってイメージですが(漫画の元ネタにされたり)、1924年頃アメリカではどういう受容のされ方をしてたのか?というのが全然わからん&現代の哲学におけるニーチェの位置付けが全くわからんなのでそもそもお手上げというのもあるんですが、彼はニーチェを言い訳に使ってるだけなんじゃないかなと感じました。詳しくニーチェについて本編で述べられないのはその為じゃないでしょうか。
「神は死んだ」「超人思想」「力への意思」、この三点が有名で彼は特に超人思想に傾倒しているわけですが、ナチズムの選民思想を形成するのにもニーチェは利用されており、それと同様のこねくり回し方を彼の中でされてるんじゃないかなと思います。
選民思想と言えばユダヤ教もそうですが(ユダヤ人は助かるというユダヤ民族のための宗教)、ナチズムの反ユダヤ主義にニーチェは加担していた訳ではなく(そもそも死後)、むしろ逆で選民思想には反対していたそうです。
選民意識と超人思想は結びつきやすいのかもしれませんね。

舞台では二人がユダヤ人であることは別に描かれていませんし、ユダヤ教をどこまで肯定していたかもわかりませんので何とも言えませんが、私は彼がニーチェの本質や哲学について考えているわけではなく、自分の都合の良い様に理屈をコラージュして矛盾には目を瞑ってるだけに思えました。
3ペアともニーチェの本を床にボン!と投げるので、ニーチェだろうがカントだろうがプラトンだろうが自分の考えを補強してくれるものなら何でも良かったんじゃないのかなと思います。推しの著作は丁寧に扱えってニーチェも書いてます(書いてない)


公演の意義とは

栗山先生の『演出家の仕事』という本に、「人間が犯してきた過去の戦争の悲惨さを、物語として現代に再生し検証していくことが、演劇人として、人間としての責任だと思います」「過去の忘却された死者たちの声に耳を傾け、それを現在にどう取り戻すことができるのか」と書いてあるのを見て、スリルミーの意義について、少し掴めた気がします。
ウテナの決闘曲(決闘時に流れる劇判。元々は寺山修司の後継の劇団である演劇実験室◉万有引力の舞台で使われている曲)に「何人も語ることなし」という曲がありまして、それを思い出しました(歌詞の引用はヤバそうなので聞いてみて下さいね、J・A・シーザーは良いぞ)
過去を忘却せずに、歴史として現代に再生する装置としての演劇と劇場、そしてそれを受け取るのは未来を向いている私たち…という事だと思います。


また何かあれば追記します!
ご覧頂きありがとうございました!


【追記】スリルミー2023

大阪で観てきましたので追記します!
前回と比べて違うところが何点かあったので書いときます。
※ナゴヤミーもしたので更に追記

①審理委員会に呼ばれた私が下手通路を通らずに舞台下手から現れる
通路登場の方がゾワッとして世界観に入り込めるのと、委員会に出席してる感が出て好きでした。
※名古屋は前方下手客席扉からの登場で、一番端の通路通過でした。東京だと前回通りだったらしいので会場の都合かな。

②審理委員会の天窓の照明
前回は昼白色みたいな白っぽい光が上から差してましたが、今回はセピアみのある電球色でした。
※名古屋だと昼白色に見えたので、会場設備の問題?なのかも。

③殺人後、「超人」で私が舞台上から下手通路まで降りてくる
前方通路にしばらくいる。
舞台を降りることで一歩離れたところで冷静に見ているという表現なのかも。前回までは二人で大興奮してましたが、今回は興奮してる彼を眺める私になっており、壇上に上がると怯え出す(演技?)感じでした。
なので前回注目していた二人でハアハアするところ、基本的には彼一人でする仕様になってたように思います。

④護送車の「99年」のところで照明が赤→青
彼の衝撃や死の予感など、不吉な印象を与える赤だったのが青になっていた。
優しい炎の赤とは違うハッキリした赤で、少年を殺害したときの赤と同じ色だったと思われる。
青にすることでレイ視点の色になったのではないだろうか。あの時点のレイは幸せの頂点なので、青が適切なのかも。

⑤釈放後、公園での照明が青→白
青春、若かりし日の思い出の色が青だったと思うのだが、白にすることでレイが見てるのは「思い出の中の彼」ではなく「今見てる幻覚」だとはっきり立ち上がってくるのではないだろうか。
この白の照明見ながら、ラストシーンの彼は冒頭でレイが語ってる彼の姿そのままなのではないか?と思いました。
「私は壊れた船の様に取り残されて、だけど彼はそれを見て意地悪く微笑む」
大阪でしか観てないのですが、あの場面で微笑んでたのは廣瀬彼だけだったのでその辺もペア毎の解釈があるのかなと思います。
尾上私と松岡私は絶望顔してたので幻覚だと自覚出来てそうですが、木村私は満足そうに天を仰いでたので幻覚の彼と抱き合ってそうです。
※名古屋では山崎彼も微笑んでる様に見えました。

⑥「契約書」で私が振り返るタイミング
これはわざとずらしてるのかどうなのか分からないんですが、「正式に 結ばれる」の時に彼と私が同時に振り返ってたのが、ワンテンポ遅れて私が振り返っていた。日によるのかも。ネクタイ落とすタイミングがずれてるペアもいたのでたまたまなのか、各々の演技プランなのかも。
スリルミーって動作の決まり事が多くて、それがビシッと曲にハマる瞬間が好きです。

⑦「計画」の影の投影
二人の影が背景にゆらゆら投影されてるな~と思ったのですが私の座席位置からはあんまりよく見えませんでした。
影=本当の自分という様な意味合いでの演出がされてるならじっくり正面から見たいのですが…。配信とかあれば冷静に見られるんですが、単にライティングを変えただけなのかなとも思います。

他にももしかしたら色々変わってるかもしれません。
あんま関係無いですが、冒頭の私による彼の説明聞いてて(彼、もしかして人間関係リセット癖があるのでは?)と思うなどしてました。

ここから思い付くまま感想です。
今更気付いたんですが、彼がロープとか準備してるときの私の「戻れない道」の歌詞に「力への意志」と入ってるので、レイは契約書の後でニーチェについて勉強したんですね。好きな人の好きなものを勉強、健気だ~!(そうか?)
「ニーチェを思い出せ!」と彼に言われてるので、もしかしたら彼が勉強会開いて手取り足取り教えてくれたのかも。

 3ペア観た雑感です。
◆松岡山崎
前回と全然違う!!!
どれだけ成長したか見せてやるよ…ってことですか!?
前回は友達いそうな彼だったのに今回はいなさそう。なんか地下ドル彼×オタク私から陰キャ彼×ド陰キャ私になってました。
34年後私の演技と切り替えが凄すぎた、上手すぎる。「戻れない道」を歌う時も、54歳のまま歌っててそんなこと出来るんだ…って震えました。
本当に前回と全く違う仕上がりになってて「超人」のところ、大興奮してる山崎彼と息も乱してない松岡私の対比がヤバ過ぎて怖かったです。
※ナゴヤミー、めちゃめちゃ良かった…。
松岡くん上手すぎる(2回目)。松岡くんを観てると、この公演の肝は私なんだなあとまざまざと思い知らされる。
山崎彼が1回キス離したタイミングでガバッと向かって行ったり、「スリルミー」で腰をくねらせながら床を這うところや、全然そういう雰囲気じゃないときに触られても即座にトロ顔になってるのが超良かったです。あと審理委員会で彼の死についてなかなか話し出せないところとか…細部に神経が行き届いた芝居で最高でした。護送車で俯く彼を下から覗き込もうとするところ、かなり好きです。
他の彼はスポーツカーのとき怪しいおじさんスタイルの声の掛け方なんですが、山崎彼だけ少年の年齢に合わせて友達ぶる感じで良かったです。
※配信見ました。
東京公演の序盤で録られたのか、大阪名古屋で観たときとまた全然違ってびっくりしました。
千秋楽収録して!と言わないまでもせめて終盤の公演を収録して欲しかったです😭

◆木村前田
前田彼が気怠げで陰鬱、厭世的で冷笑仕草してそうだったのに殺人でいきなりテンション上がるのが面白かったです。二人とも結構急に豹変するので狂気系×狂気系かなと思いました。
これは邪推なんですが、観ながら(この二人、もしかして打ち合わせしてないのでは…?)と思いました。
すれ違いが持ち味なのかな。

◆尾上廣瀬
この彼は56人抱いてる(東京ラブストーリー)
歌も演技も安定してて安心、今回唯一ねっとりしたキスを見られる。
尾上私もねっとり彼の脚を撫でたりするので良かったです。
廣瀬さん、東ラブでも思ったんですがめちゃめちゃ前方の客席見て釣ってきません?もしジェンヌだったら銀橋渡りで20人くらい釣りまくって帰ってくる。そうに違いない(何の確信?)
廣瀬彼、自分の事を好きな相手を弄ぶのが上手すぎる。期待させるように触り、尾上私がその恋の緊張感を上手く表現してくれるのでイッヒッヒと思いながら観てました。ドイツ語でさよならを言う時の胸の触り方、倒れ方、二人の職人芸ですね。
宝塚の様に客席からどう見えるかを計算して美しい振舞いをして下さるので眼福です。
尾上私はあんまりビクビクしてなくて結構冷静なので、レイがわざわざ立てておいた生存フラグを全部彼がポキポキ折っていく様子がよく分かって良かったです。
最短ルートで彼をムショにブチ込むなら眼鏡じゃなくて彼の私物を落としておけば良かったので、殺人後はずっとレイのプレイなんだな~とよく分かりました。
レイは煙草を吸わないので、釈放されたときに返ってきた煙草はもしかしたら彼の私物で、ギリギリまで眼鏡と煙草、どっちを落とすか悩んでたとかあるのかな?なんて思いました。
尾上私、「これから同じところで過ごすんだ」の言い方が「丘の上に僕らの新しい家を立てたよ♥️」って感じのメルヘンハッピー感が凄くて良かったです。「落ち着かない」も付き合い始め初日みたいなフワフワそわそわキラキラ感ありました。トニカクカワイイ尾上私。
「死にたくない」の彼があんまり髪型乱れてなくて、外見を取り繕ったままなのが新解釈だな~と思いました。

彼って脚本上は典型的なDVモラ男だと思うんですが、モラ男特有の自らの感情の起伏で相手を操ろうとする感じが山崎彼と前田彼にはあんまり無くてなんというか令和男子っぽいな~と思いました。あんまり恫喝しないからかな。
前田彼、足でセットを蹴る時も全然音が出てなくてなんか生来の優しみを感じました。暴力性が低い分、インテリヤクザっぽさがあるというか。
廣瀬彼はなんかもう作画がJUNE、絶滅危惧種の平成BLスパダリスーパー攻め様って感じで見てるだけでなかなかの満足感でした。

なんかめちゃ今更の話しますけど、公園で待ち合わせって可愛くないです?幼なじみだから小さい頃からずっと公園で待ち合わせて遊ぶ約束してて、大学生になってもそのまま公園で待ち合わせしてるの可愛くないです?
絶対今の彼は公園に用事無いですもん。
一つ譲歩したら一つ相手に不利益を与えるのが彼のやり方だと思うので、私が暇しない公園で待ち合わせするという譲歩をしたからわざと遅れて来てイーブン(彼の中では)にしてるのかなあと思ったり。

あとずっと引っ掛かってたのが、「戻れない道」のときに「彼は3日で準備を整えました」って私は証言してるけど、下手後ろの回想の彼によると道具を準備してるの私ですよね。なんでここで嘘を吐く必要が?まあでも車を借りてきたり黒服用意したのかも?と思ってたのですが、自分が全てを誘導していた事を知られたくなかったのかもですね。
一応審理官に対しては「自分自身で考えて行動することが不可能だった」という体裁にしてるので、私が「信頼出来ない語り手」であるという証左と言えなくも無いかもしれません。
秘密を全て語ってしまうともう「共犯」と言えないと思ってるからかもですが。

彼が「99年」で「でもこれから君は 孤独だ 一人」と歌うところ、エリザで言う(またエリザの話してる)「私だけに」やレディ・ベス「秘めた想い」のような「心までは自由にさせない」という意味で言ってると思うんですが、手遅れなのがまた良いですね。
心を明け渡さない!という覚悟は心を欲しいと思ってる者にしか通じないので、そのフラグも「お前は最低だ」と私に吐き捨てた事でポキッてるので丁寧に丁寧に最悪のルートを歩んでます。
もう彼の心なんてどうでもいいからネタばらししたワケですし。

ところで、初見時に「俺が寝てるのを見てればいい」というセリフに私は雷に打たれた様な衝撃を受けたんですが、皆さんどうでした?
寝顔って見られたくないものトップ3くらいに入りません?白目剥いたりよだれ垂らしたりするかもだし、何しろ無防備なわけですから。それをこんなカッコ良く、信頼感と無造作感を同時に理解させるのスゲェな!?と震え上がった思い出です。

めちゃめちゃ今更の話するんですけど、そもそもレイはなぜ5回も仮釈放申請をしたんだろ?と思いながら観てました。「自由?」と言ってるから自由が目的では無いですし。
①彼の話を語りたい、誰かに聞いて欲しい(ノロケ?)
②籠の中にもう彼はいない→籠から出ていったんだ→じゃあ僕も出なきゃ、また僕のところに戻ってきてくれるはず
明言されてないので想像です。

スクリプトを読んで

そういえば2021年に買ってから積んでた改訂版スクリプト(英語版脚本)を読破しました。
時代も場所も明確な脚本なので、色々と違いはありますが、一番の違いは「WAY TOO FAR(戻れない道)」で「禁じられた森」というワードが出て来ず、日本版の意訳だということでしょうか。韓国版の歌詞が分からないのでもしかしたらそちらにはあるのかもしれませんが。
護送車で自分達を鳥に例えるのは原文そのままなので、そこに絡めた綺麗な訳だなあと思いました。
「戻れない道」で「HE'D BE TIED TO ME FOREVER(彼は永遠に私に束縛される)」という歌詞が出てたのに驚きました。
もうこの時点で私は企んでますよ~!と分かりやすく提示されており、結構日本版とミステリーとしての味わいが変わります。
釈放後に現れる彼は「warmly(温かく、親切)」とト書きが入っており、煙草を吸ってます。
煙草を現場に落とそうとしてたのかも?なんて前述しましたが、ここを読んで単に彼の匂いを持ち歩きたい恋心で煙草を持っていたんじゃないか?と思いました。
日本版「さあ いいか 僕たち共犯者」の部分が、
「I'M ONE PERFECT ACCOMPLICE WHO'D NEVER BETRAY YOU(私は君を決して裏切らない完璧な共犯者)」
で、えー!?どの口が!?とのけぞりましたわ。
その後の私については、
「All alone, he wickedly sings his final words.(孤独に、彼は邪悪に最後の言葉を歌う)」
「mischievously giggles(いたずらっぽくクスクス笑う)」
というト書きがあるので、日本版はだいぶ解釈が変わってるなと思いました。原文だとこれで彼を手に入れられたと満足してる感ありますね。木前の解釈に近いかも。

「AFRAID(死にたくない)」はスクリプトを見ると、
「I CAN'T LET YOU SEE.(君には見せられない)
IF I SHOW A SLIGHT TOUCH OF WEAKNESS
YOU'D CHANGE YOUR OPINION OF ME!(もし少しでも弱みを見せたら君は俺に対する見方を変えるだろう)」
という歌詞があり、日本版だと「誰にも見られたくない」で特別私に見られたくないわけでは無さそうだったのが、原文だとレイに向けた言葉になっており、彼は彼でレイの望む自分であろうとしていた事、虚勢を張っていた事が分かります。ラブラブやんけ。
こんなの聞いちゃったら満面笑顔で「え~!!!やっぱ僕のこと意識してくれてたの!?嬉しい♥️♥️♥️」となって緊張感が途切れる気がしないでもないので削って良かったかもしれない。

というかスクリプトに「85分で終わるのが理想的」って書いててビビりました。
早ない???


また何かあれば追記します!

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