お父ちゃんなんかじゃない
保護責任者遺棄
保護責任者遺棄とは、老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしないことをいう。
ここ数年、この言葉が新聞に載らない日はないのではないかと思う。ただ、悲しい。
私は、子どもが辛い目に遭った事件に触れると、必ず思い出す映画がある。
緒方拳と岩下志麻が演じた、1978年公開の映画、「鬼畜」だ。
少し前に、北野武と黒木瞳でリメイクされ、ドラマが放映されたが、私には見る勇気がなかった。
小さな印刷会社を営んでいた男の許に、ある日、妾が三人の子どもを置いたままいなくなる。妻は、男と子ども達に辛くあたり、放ったらかしの乳呑み児は窒息死してしまう。
その後、妻に何も言えない男は途方に暮れて、小さな娘を東京タワーに置き去りにし、(私が思うのには小学2年くらいの)息子に至っては、断崖絶壁から投げ落とす。
もちろん、男の本意ではなかっただろう、男は妻にわからないように彼なりの愛情をかけてやっているようにも見えた。がそうであっても妻の冷たい仕打ちや子育てに疲れたからと言って子どもを捨てていいはずがない。小さな娘は、一緒に東京タワーに上った男にこう耳打ちするのだ、これから捨てられることも知らずに。
「あのね、よっこ、お父ちゃんのこと大好きですよ」・・・
親には、義務がある。
子どもが途方に暮れるような、明日が見えないような生活をさせてはいけない。自分の足で歩けるようになるまで、手放しで信頼している子どもを裏切ってはいけないと言う義務がある。
以前、書いたこと(母が娘を殺める)と重なるけれど、非道い事件がつづくといたたまれないのだ。
しつけの名の下に紐で縛られ、物置に宙づりにされたまま亡くなった女の子。
殴られ寒空に二時間立たされた上、唐辛子を喉に詰まらせて亡くなった男の子。
子ども達は、死ななければならないような大きな罪を犯したのか、不憫でならない。
親が子を思う心など、存在しないのかもしれない。
「お腹を痛めて産んだ」、血と肉を分けて生を受けたことなど意味がないのかもしれない。そう思えてくる。
実際、血の繋がりがなくても労り合い思い合う親子は数え切れないほどいるだろう。
崖から落とされた男の子は、木の枝にかかり、一命を取り留める。
保護されていた警察に迎えに行った男に、
「お父ちゃんなんかじゃない。知らない人だ。」と言い放つ。
保護責任者遺棄は刑法218条で3月以上5年以下の懲役と定められており、
遺棄致死は219条で、傷害の罪と比較して、重い刑により処断するとなっている。
【散在していた書いたものを少しずつnoteにまとめています。】