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人生の最後に聞きたい曲

人生の最後にはどんな曲を聞きたいか。
何とも暗い話題で申し訳ないが、それでも、人生の最後は誰にでも訪れるものだ。
それが50年後か5年後かの違いだけで、しかもそれくらいの時間差など、宇宙の経てきた時間から見れば一瞬にもならない。
よく、無人島に行くとした何を持っていくなどという質問があるが、人生で無人島に行く機会がどれだけの人に訪れるだろう。
それと比べれば、人生の最後を考えることは遥かに現実的で建設的であるはずだ。

あらためて、人生の最後に、僕はどんな曲を聞きたいだろう。
と言っても、通夜や告別式で流して欲しい曲ではない。
そんな時に流されても、くたばっている僕自身は聞くことはできないので、生きている者で好きなようにしてくれればいい。
そうではなくて、間も無く死んでいく、しかしまだ少し意識があり、かろうじて、流れている曲もあと一曲くらいなら聞き分けられる、そんな時に、聞きたい曲だ。

できれば静かな曲がいい。
最後はにぎやかにと言うこともないではないし、そんな人もいることだろう。
でも、僕ははやはり最後は静かな曲で目を閉じたいと思う。
聞くところによると、今際の際には、己の人生が走馬灯のように見られるらしい。
どんな映像が流れるのか、いまから楽しみだ。
いわば最後の映画鑑賞になる。
その映像に相応しいのは、静かな曲であると思うのだ。
多少の浮き沈みはあるが、それほどアクロバティックな展開もないストーリー。
この先何があるかわからないとは言うものの、最底辺を彷徨うこともなく、頂点に上り詰めることもなく、もちろん、撃ったり撃たれたり、斬ったり斬られたりもない、平凡な男の人生。
そんな人生に相応しい曲を聞きたいと思う。

そこで思いつくのは、まずは「ダニーボーイ」
元々はアイルランドの民謡らしい。
多くの歌手が歌っているが、僕が聞きたいのは、パティ・ペイジだ。


あるいは、「この世の果てまで」
歌詞の内容はともかく、タイトルはピッタリだ。
大勢の歌手がカバーしているが、ここはやはり、スキータ・デイヴィスで。

もしかすると、その最後の時でさえ、ベッドの周りに誰かがいれば、僕は見栄を張ってしまうかもしれない。
ええカッコしいの僕は、息も絶え絶えに言うだろう。
「ドヴォルザークの『新世界より』第二楽章を頼む」


でも、最後の走馬灯が、とんでもないコメディだったらどうしよう。
まあ、そんときゃそん時で。
来世があるさ。
ないか。

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