未来の世代につけを残すな〜【俳句】阪神忌
椀受くる両手のかたち阪神忌
碧萃生
震災も含めて自然災害は無くすことができない。
中には、地球温暖化の影響で発生したり、被害が拡大することもあるだろうが、それとて、いまさら人間の手でどうすることもできない。
戦争は人間のやることだ。
その悲惨さを語り継ぐことは、戦争を防ぐことにもつながる。
そして、それこそが語り継ぐ目的だろう。
自然災害は違う。
特に、震災などは、予測すら不可能だ。
だから、その被害を語り継ぐことは、自ずとその目的も、戦争とは違ってくる。
防ぎようのない災害にたいして、いかに対処するか。
生き延びて欲しいという願いと、そのために何をするかを伝える。
それが、その目的だと思う。
語り継ぐことによって、僕のようなお気楽な人間も「備えなあかん」と思うことができる。
この30年の間に、東日本大震災、昨年の能登半島地震をはじめ、多くの大きな地震が発生した。
地震以外にも、水害を含めて多くの災害が発生している。
人々の意識も、それまでとは大きく変わってきているだろう。
我が家でも、ローリングストックとして、時々食卓に非常食が並ぶ。
非常食とは言え、言われなければわからないほど食べやすく美味しいものが多い。
水などは、水不足になれば、世界を支配できるのではと思うほど蓄えている。
だが、国や自治体はどうなのだろうか。
避難所は、今も雑魚寝が当たり前だ。
30年間、何も改善されていない。
人口減少と高齢化が進み、これからは、高齢者が数組だけという過疎地も増えてくるだろう。
被災地が分散化して、さらにそれを助ける人の数は減っていく。
必ずやってくる未来。
どのように救助するのか。
今から考えていかないと、間違いなく手遅れになる。
子育て支援も大切だけれども、少子化対策とはこのようなことでもあると思う。
よく、「未来の世代につけを残すな」言われる。
何もしない、何も考えないことも、つけを残すことになるのだ。
※写真は讀賣新聞オンラインから